第2話 皇帝、急行する
皇帝であるはずの翔雲の頭上で、父と
「
「郷試の段階では花家の系譜を提出したのであろう。それでも気付かれるべきであったし、及第できるだけの答案が出せたのも不可解ではあるが。……
それに──
(郷試では普通に回答したのか? だが、会試だとて最終試験ではないというのに。都で受験することに意味があったのか? 父君の縁者と会う、とか──それはそれで、父上は反逆扱いにしたがりそうだが)
違和感を覚えて沈思する翔雲を覗き込んで、父はふと思いついた、という口振りで語り掛けてきた。
「花志耀の郷試の答案も調べねばならぬな? 不正な手段で及第したならば、関わった者も処罰せねば」
「確かに必要なこととは存じます。ですが──それ以前に、なぜ、今になってこれを提出したのでしょうな。その花なる者は、父上のお見立てでは
手持ち無沙汰の間に、花志耀の糾弾の文は目に入ってしまっている。やはり、傍系の翔雲が帝位を継いだことを
地方の官が対処するのは気の毒になるほど、過激な内容ではあるだろう。だが、だからこそ早い段階で出したほうが、都に届くまでに大事になりそうなものなのだが。
翔雲の指摘をもっともと認めたらしく、
「……半端な時機ではございますな。
「まさか──三十にもならぬ年だぞ。そうそう殿試にまで残れるものか」
三十にもならぬ
父の言葉は、内容だけならば間違ってはいないから、何も知らぬ
「ここまで、と見定めたということならばある意味謙虚ではあるのでしょうか。……となると、
「そうだ。
糾弾したいだけならば、もっと早くに機会があった。彼を害したいのであれば、もっと耐え忍んで機を窺うべきだった。
(今でなければならない理由があるのか……?)
「……受験者はすでに各々の宿に戻っておりましょう。滞在場所などいちいち申請することでもなし、捕らえるにしろ話を聞くにしろ、花志耀の身柄を押さえるのは難事かもしれませぬな」
「
花志耀の思惑が量り難いのを悟ってだろう、
「お召しに従って参上いたしました」
涼やかな美声が、重苦しく張り詰めた空気を華やがせた。次いで、輝くばかりの美貌が夕闇に翳り始めた室内を照らす。後宮から呼び出された霜烈が、ようやく現れたのだ。
* * *
傷が癒えてない霜烈もまた、改めて立ったままで話をすることが許された。せめて
(本来は、療養中に余計な心労はかけるべきではないのだろうが……)
案じながらもことの経緯を説明するするうち、霜烈の痩せた頬はみるみる色を失っていった。
「
「そうだ。本来は王にもなるべき者のこと、朕としては断罪するには忍びない。そなたは、先帝の時代の後宮も知っていよう。何か、酌量すべき事情に心当たりはないか?」
亡き兄の名を不意に、しかもこのような形で突きつけられるのはやはり辛いのだろう。皇父と
(だが、そなたの力が必要なのだ)
心苦しさと後ろめたさを感じながらも促すと、霜烈はきつく眉を寄せて瞑目した。苦しげな表情で翔雲たちの息を呑ませたのも一瞬のこと、すぐにその目が見開かれ、夜を裂く刃のような眼差しが、鋭く父を捉える。
「非常の時ゆえ、直言の非礼をお詫び申し上げます。──
「何を──」
父が絶句したのは、宦官風情に話しかけられる非礼に怒ったからか、霜烈の眼差しを正面から受け止めてさすがに怯んだからか。あるいは──
(何を言い出すのだ……?)
霜烈の発言を理解した者は、誰もいなかっただろう。訝しげに顔を見合わせる三者に焦れたように、霜烈は一段と声を張り上げた。
「私はつい先日、後宮で花姓の者に会いました。
霜烈の声はいついかなる時も耳に心地良く、言葉は明瞭で聞き取りやすい。聞く者を芝居の間に取り込むような不可思議な力は、今も、父に対してさえも発揮された。父は、瞬きしながら、問われるがままに頷いたのだ。
「名は──失念したが。
父の顔が強張ったのは、言葉を紡ぐうちにその重大さに気付いたからに違いない。翔雲も、もはや座って聞いてなどいられず、椅子を蹴立てて立ち上がる。
「父上……!
「む──」
父は、亡き皇子の息子を警戒はしていても、娘のことはすっかり忘れていたのだ。淳鵬皇子の娘、花志耀の妹とやらは、父も翔雲も目に入れたことくらいはあっただろうに。疑われることなく
「
「陛下。この場で時間を浪費すべきではございません」
霜烈の強く静かな声には、冷水を浴びせられたような気にさせる力があった。父に、いつまでも怒りと焦りをぶつけそうになっていた翔雲をして、我に返らせるほどの。とはいえ、この者も完全に冷静でいる訳ではないのは、先ほどまで青褪めていた頬が紅潮していることから、分かる。
「花志耀──兄のほうは、
「うむ。朕も後宮に向かう」
この期に及んでは、身分だの立場を気に懸ける者はいない。執務室を出る翔雲の背を、霜烈や父たちが続く気配が追ってくる。
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