第5話 燦珠、報告する
(これでやっとお見舞いに行けるんだから!)
距離を隔てて聞いた
あと──彼からの伝言の解釈について話したい。大人しくしていたら幾らでも唄ってくれる、という話について、だ。燦珠はどう考えても大人しくはしていなかったけれど、一方で功績もあったはずで。幾らでも、とは言わずとも、何とか唄ってもらえないか、あわよくば舞も見せてくれないか、交渉しなくては、と思う。
「燦珠さんなら、
「
霜烈の身辺の世話をする少年
「
「燦珠。ちょうど君の話をしていたところだよ。とても、お手柄だったと」
蕩けるように微笑む眼差しも、呼び掛けた声も、甘くて綺麗でうっとりとしてしまうものだった。でも、訪ねた相手のそれではなかったから、燦珠は首を傾げた。
「あの、
「そう。
なぜか霜烈と立ったままで話をしていたらしい芳絶は、謎めいた言葉と蠱惑的な笑顔を残して、ついでに長い手指で燦珠の頬をくすぐってから辞去していった。熱くなった頬を手で扇いで冷ましながら、燦珠は恐る恐る霜烈に尋ねた。
「私、芳絶さんを急かしちゃったの? 邪魔だったかしら」
片手を卓につき、逆の手で額を押さえる霜烈は、どうも困っているように見えた。
(入れてくれたんだから、来ちゃダメってことはないんだろうけど)
とはいえ、彼と話すのは久しぶりだ。前に見たのは、
「いや。大した話はしていなかった。──そなたは変わりないな。安心した」
燦珠がじっと見つめていると、霜烈はやがて首を振った。次いで、美しい
「でも、すっごく心配してたのよ。もう大丈夫なの? 立って話してたの? なんで?」
「それは、座るほうが傷に障るから──だが、大事はない」
霜烈はさらりと言ったけれど、背中から杖で打たれていた姿を思い出せば冷静ではいられない。頬が強張るのを感じながら、燦珠は
「あのね、
燦珠は、青蘭小父さんの薬をある意味では医者の処方以上に信頼している。何しろ役者稼業には色々な苦労がつきものだから。怪我の痛みや熱の苦しみを隠して舞台に立つために、偉大な先輩は身をもって実験を重ねたらしい。
(あと、楊太監なら小父さんのこと知ってるかもだし……)
青蘭小父さんも優れた役者なのだ。父、
「
「
予想以上の喜ばれように、燦珠は慌てて彼を止めることになった。
(私だって、
いくら嬉しくても、怪我人が急に膝をつこうとするのはよろしくない。小父さんがこれほどまでに霜烈に認められていると分かったこと、珍しいほど弾んだ彼の声を聞けたのは嬉しいけれど。
(うん、いつもの楊太監ね!)
見蕩れるほどの美貌なのに、燦珠でさえ驚くほどの
「……おおよそのことは
燦珠と霜烈の間を、まだ冷たい春の風が通り抜けていく。以前、深夜に話した時よりよほど広い部屋にいるのに、彼はやっぱりそういうところに厳しいのだ。とはいえ、出された茶は温かいし、久しぶりに話せる興奮もあるから、寒さはまったく気にならない。なお、霜烈に倣って燦珠も立ったままだ。霜烈は背が高いから、彼女が座るととても話しづらいのだ。
「そうね、人のをじっくり見ることなんて、そうそうないから。でも、
燦珠を見るなり、姸玉が
(あの子も、董貴妃様や董家の若君を応援しようと思ってたのに)
苦い思いを呑み込んで、燦珠は霜烈への報告を続けた。
当たりをつけた上で、
「
「ええ。最初は
仙娥のあの下手な芝居は、
(長公主様が来てくださって、本当に良かった……!)
長公主と公主役の
「相変わらずそなたは
「ありがとう! 長公主様もね、とても頑張ってらしたの。《
「
燦珠の表情を窺う眼差しで囁く霜烈は、皇父殿下──あの厳しい
(これじゃ、私がずっと怒ってる訳にもいかないじゃない……)
尊い御方に対して、恨んでどうこう、だなんて思っていた訳ではないけれど。誤解で人を打たせたのだから、ひと言ぐらい御言葉があっても良いのでは、と思う。
「……そうね。悪いのは董貴妃様、なのかしら。分かってくださるなら……良いんだけど」
言葉では一応頷きながら、燦珠はもうひとり、「ひと言ぐらい御言葉をいただきたい御方」がいたことを思い出した。芳絶の主でもある幼い貴妃、
「あ、あとね。周貴妃様はどうして私たちの味方をしてくださったのかしら。芳絶さんは、何て言っておいてくれたのかしら? 楊太監は、何か聞いた?」
芝居に全面的に協力してくれた華麟は、もはや役者の一員だった。でも、鶯佳にすべての企みを打ち明けておくことなんてできなかった。芳絶は大丈夫だと請け合ってくれたし、実際そうだったのだけど。あの強情そうな方をどう動かしたのかは、とても気になるところだ。
「聞いていないが、想像はつく」
燦珠が話題を変えたことで、霜烈は安堵したようだった。明らかに表情を緩めて、滑らかに教えてくれる。
「藍芳絶は、周貴妃にひたすら長公主様に同意するように勧めたのだろう」
「ああ……そういえば、そうだったかも?」
あの時の鶯佳の言葉を思い出せば、確かに明婉の意に沿った発言ばかりだった。芳絶にまで
(そんな単純なことで……でも、何も間違ってないし悪いことでもないわね!)
鶯佳は、何も疑わずに
「周貴妃は、幼いだろう。だから良くも悪くも素直なのだ。
「……なるほど?」
あの時、燦珠の衣装を損ねた
(でも、今の話だと、貴妃様もあんまり深く考えて言った訳じゃないってことなのかな……?)
燦珠の足を引っ張れと、明確に命じた訳ではなくて。とにかく、かつ何となく、抱えの
「……子供だから許せ、と言うつもりもないが。ただ、頭に置いておくのが良いと思う」
「まあ、私もあの時のことは良いって、天子様にも言ったしね……お陰で《
興徳王は恨むなと言った霜烈も、鶯佳についてはまた意見が違うらしい。だから今度は、燦珠も素直に頷くことができた。そういう方だと分かっているなら諦めもつくし、今後は対応できるかもしれない。
「だが、今の周貴妃は藍芳絶の言葉に耳を傾けるようになった。無理を言わなくなったのは、
燦珠の反応は素直過ぎて、霜烈は不安になったのかもしれない。長身を軽く屈めて、燦珠の目を覗き込むようにして言い添えてくれた。心配げに眉を顰めた表情も、とても綺麗なのが霜烈だ。憂い顔を間近に堪能して見蕩れた後──燦珠の頭に、閃くものがあった。
(ああ、だから!?)
謎が解けた気持ちの良さに駆られて、燦珠は軽く背伸びするようにして霜烈に問いかけた。
「楊太監と芳絶さんが恋人みたいな演技をしてたのって、その辺に関係があったりする?」
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