第3話 皇帝、弁明する
尊崇する父の憤怒は、
(さて、どこから説明したものか……)
だが、今回ばかりは困惑が勝る。科挙の合否への不正めいた口出しといい、この訳の分からない邪推といい、いったいどうしてそのような考えに至ったのか理解しがたい。
「その
父の糾弾は、一応は事実ではあった。が、それだけに翔雲をうんざりさせた。
(後宮のこと、それもひとりの宦官のことをよく調べられたものだ)
もうひとつ、これ見よがしに溜息を吐いてから、翔雲は父の誤解を解こうと口を開いた。激情が醒めた今、立って話を続けるのも体裁が悪い気がしたが、父は大人しく腰掛けてくれそうになかった。仕方なく、いたずらに指で卓を叩きながらの言葉になる。
「過分とは思いませぬ。《
「その者の容姿は関係ないと言うのだな? 役者さながらの美貌と聞いたが」
「美しいのは確かですが、父上が邪推なさるようなことは、何も。月や星を見て劣情を抱く者はおりません」
霜烈の美貌に対する正直な感想では、あった。だが、この場で口にすべき表現ではなかった、と気付いた時には、父が彼を見る目には侮蔑の色が宿っていた。
「まるで先帝のようなことを言う」
「そうでしたか」
宦官の容姿を称賛することは、父にとっては先帝の
「
苛立ちを紛らわすためか、大股で室内を歩きながら父が吐き捨てる言葉は、図らずも核心を突いていた。話題に出ている宦官が、まさに先帝が
(そう……だから、まったく過分のことではないのだ)
胸に
彼がこの
霜烈は、本来ならば父である先帝の寵を一身に受けて、皇族の一員として敬われていたはずだ。ほかならぬ父帝の手によって身体を損なわれることがなかったら、翔雲こそあの者の下に立つことになっていただろう。
(あの者はどうせ、
同い年の従兄弟であるはずなのに、霜烈の胸の裡は計り知れない。不埒な意味ではまったくなく、あの美しい笑みを思い浮かべて翔雲が溜息を呑み込んだ時──父の、先帝への恨み言もちょうど終わったようだった。
「──
鼻息荒く命じた父は、息子が物思いに耽ってほとんど聞き流していたのは、幸いに気付いていないらしい。内心で安堵しながら、翔雲は重々しく首を振る。
「なりませぬ。宦官とはいえ、務めを妨げるのはよろしくないかと。というか、父上がお気になさるほどの見目ではございません」
はっきり言って、霜烈の姿をひと目見れば父の誤解は解けるだろう、と思う。
(あれに触れる気など起きるものか)
花なら戯れに摘むこともあるだろう。玉なら所有の欲も抱くだろう。だが、天に輝く月を見て手に入れたいと思う者はまずいない。先ほどの
霜烈の美貌は、先帝を魅了した母譲りだというのだから。
先帝が格別に愛した「陽春皇子」がまだ生きているかもしれない、などとは父に気付かせてはならないのだ。父にとっては、息子の玉座を脅かす邪魔者でしかないのだろうから。
「父にも見せられぬほど大事に囲っているのか」
「違います!」
「あの、陛下──
「ああ」
寵愛する妃の名を聞いて、翔雲は肩の力を抜いた。これで話題が変えられると思うと──それに、
「父上、香雪──沈貴妃のことは書でお伝えしておりましたでしょう。父上がお出でになると聞いて、招いておりました。是非ご挨拶申し上げたいとのことですので」
「ほう」
言い争いに不毛さを感じていたのは、父も同じだったのかどうか。後にしろ、と言われなかったのを良いことに、翔雲は香雪を招き入れるよう宦官に目で命じた。
「まあ……?」
そして入室した香雪は、皇帝とその父が立ち話をする光景を見て、不思議そうに目を瞠った。が、それも一瞬のこと、すぐに恭しく目を伏せて、流れるような優雅な所作で跪き、拝礼をした。
「
「翔雲が選んで貴妃に進めたのだったか。《偽春の変》では賢い振る舞いをしたと聞いておる。顔を上げよ。同席を許す」
「恐れ入ります」
声を掛けられて立ち上がる時も、香雪の姿は一分の隙もなく美しく
(香雪がいるのに、余所に目を向けるものか)
口に出せば話を蒸し返すことになるから、あえては言わないが。父の表情もすっかり緩んでいるのを見れば、香雪の気品と美しさが怒りも苛立ちも忘れさせたのだろうと分かる。ちょうど良い時に現れてくれたことに心から感謝しながら、翔雲はようやくまた腰を下ろすことができた。
「後宮に上がって以来、目覚めるたびに夢のようだと思っておりますが、殿下にお言葉を賜ることは格別の喜びでございます」
翔雲と並んで父に対した香雪は、緊張と高揚を同時に覚えているようだった。白い頬にわずかに朱が差しているのが、翔雲の目には眩しく愛しい。
「
香雪が熱心に語る表情と口調は、
それに、この話題は父にもよく効くはずだ。
(学問の奨励は、富貴の者の使命と心得ていらっしゃるからな)
先帝への数知れぬ諫言が聞き入れられない鬱憤を晴らすように、父は有志の人材を育てることに注力してきたのだから。
「嬉しいことを言ってくれる。が、女人がよく読みこなせるものだ」
「父は
「おお、沈
案の定、父は嬉しそうに語り始めている。香雪ならば話題についていけないということはないだろうし──面倒な話は有耶無耶になりそうだ、と判断して、翔雲は密かに息を吐いた。
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