第4話 霜烈、死を希う
「では、
「そんな……忘れるはず、ないでしょ!?」
けれど、霜烈の語り口は自身の過去や父帝に対するそれと同様にさらりとした、突き放したものだった。
「漏れ聞こえるご様子からは、都合の悪いことは忘れてしまわれるようだったからな」
「可愛がって……いたのよね? それは、良いやり方ではなかったけど!」
手放したくない一心で、幼い子供を宦官にしようとするなんて。ひどいし間違っているし、絶対に許されない。
でも、だからこそ。愛し子を失う切っ掛けになったことなら、毎日のように思い出しては悔やむのが普通だろう。
「『陽春皇子』は
「優しそうな方だったのに……」
一度だけ拝謁した時は、品の良い老婦人だと思ったのだ。燦珠と
でも、確かに。燦珠もあの御方の言動の端々から不穏な気配は感じていた。
『
(嘘を吐く必要がある御方じゃないんでしょうけど……)
いくら驪珠の
「優しい方なのは間違いない。本当に」
と、霜烈の声に首筋を撫でられた気がして、燦珠は我に返った。
凍らせた
「傷は大丈夫だったのかとかそんなことを、
「貴方を探して、どうしようとしていたのかしら」
偽物も、さぞ驚いただろうし話を合わせるのには苦労しただろう。あの男は、当然のことながら
(見つけ出したとして……言うことを聞くはずないのに)
あの男は、自分を「陽春皇子」だと信じ込ませるための証拠にするのだと言っていたけれど。大それた陰謀を企む者の考えなんて分からなくて当然、なのかどうか──眉を寄せる燦珠に軽く微笑むと、霜烈は驪珠の遺品を収めた箱をそっと撫でた。
「私でなければ知らないことを吐かせるとか、驪珠の遺品を持っていれば利用するとか企んだのだろう。なかなか良いところを突いている」
霜烈が捕らえられて、拷問される。驪珠の遺品が、その子を騙る詐欺師の手に落ちる。いずれも耐え難い想像に、燦珠の肌は粟立った。恐ろしいことを口にしながら涼しい顔をしているのが信じられなくて、つい、また声音が荒くなってしまう。
「そんなこと言ってる場合……!? 隼瓊
真実を知らされれば、隼瓊の憤った本当の理由が燦珠にもよく分かる。本物の姿を知っていたら、あんなのが陽春皇子を名乗っているのは侮辱にしか思えないだろう。
(貴方はそうは思わないの……!?)
燦珠は、霜烈にも悔しさや憤りを共にして欲しかった。悪を許さないと、陰謀は
なのに、彼の表情は波立たない。声も、どこまでも静かなものだった。
「皇族を騙る大罪は裁かれなければならぬ。が、『陽春皇子』は死んでいなければならない。欺瞞を暴くにしても、本物が生きていた、とするのは悪手だと思う」
そこまで言い終えると、霜烈は、何か重いものを乗せられたかのようにゆっくりと頭を垂れた。
「娘たちに危険なことをさせて、申し訳なく思っているのだ。隼瓊老師もお考えがあってのこと、恨まないで差し上げて欲しい」
「……そんなことしないけど」
先ほどの襲撃を気にしているらしいと知って、燦珠の怒りは冷水を浴びせられたように瞬時に冷めた。わざとなのかそうでないのか、霜烈は彼女の心を宥めるのがとても巧みだ。
(
少しくらい怖くて危ない目に遭ったとしても、お釣りが来るだろう。こんなにもらって良いのかと思うくらいだ。そんなことより──霜烈の、そして隼瓊の考えが分からない。
「本物がいれば、一番分かりやすいじゃない……」
どうして名乗り出てくれないのか、と。もどかしく言い募る燦珠に、霜烈はゆっくりと顔を上げた。彼の
「今の陛下は、先帝の御子ではない。『陽春皇子』が生きていれば、あの御方が玉座に登ることはなかった。此度のことも、そこを利用しようとしてのことだが」
「ええ……」
「この身は既に死んだようなものだから、帝位など望むべくもないが──だが、傍目には分かるまい。あるいは、分からない振りをするか。この身体を隠し通して擁立しよう、と企む輩が出るかもしれぬ」
誰にでも見透かせる嘘がまかり通るのが皇宮なのだと、燦珠は身を持って知っている。
あからさまな偽物を皇子として扱う者が多いのは、そのほうが都合が良いからだ。
(楊奉御はそんな人じゃないのに)
でも、それこそ分からない振りをされてしまうのだろう。彼の思いなんて関係なく、先帝の血を引いたという事実さえ利用できれば良いと考える者が出るのだろう。
そんなことはあり得ないと、燦珠にはとても言うことはできない。
「あるいは、もっと質の悪い言いがかりも考えられるな」
「……どんなの?」
霜烈が軽やかに嗤ったから、かえってろくでもないことなのだろうと容易く想像ができた。決して、聞きたい訳ではなかったけれど──悪戯っぽく微笑む目に見つめられると、聞き返さずにはいられない。
また、そしていつものことだ。彼と対すると、燦珠は台本を読まされているような気分になる。彼が描いた筋書き通りに、望んだ言葉を言わせられる。
「帝位を望む陛下にとって、『陽春皇子』が邪魔だった。死んでくれていれば良かったものを、見つけてしまったから──だから、宦官に貶めることにした、とか」
「あの御方はそんなことなさらないわ……!」
ほら、やっぱり。思わず──それでも、抑えた声で──叫んだ燦珠に、霜烈は満足そうに頷いた。彼女は、筋書き通りの台詞を言ってしまったのだ。
「そう。だからこそ下世話な醜聞が付け入る隙を見せてはならない。あの御方は先帝が顧みなかった
「そんなこと……」
称賛を、素直に喜ぶことができたら良かったのに。皇帝に芸を認めさせたと、誇ることができたら。
でも、今は不安が勝ってしまう。穏やかな声と表情でもっともらしいことを述べる霜烈の真意が、どこにあるのか。次は、彼女に何を言わせようとしているのか。分からないから、嫌な予感だけが募る。
「そなたたちの働きのお陰で、偽物の身元は暴けるかもしれない。が、問題はやはり
密やかな衣擦れの音がして──気が付くと、月がふたつ、燦珠を見上げていた。跪いた霜烈が彼女を見る眼差しは、月のように冴え冴えと澄み切って、胸が苦しくなるほど美しかった。形の良い唇が浮かべる笑みも、囁く声も、蕩けるようで燦珠の心に忍び込む。
「だからそなたに頼みたい。私を死なせておくれ」
燦珠の視線も呼吸も心も捕らえておいて、霜烈は恐ろしい懇願を口にした。
* * *
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