第9話 死児、いまだ忘れられず
後宮の
「陛下──
「うむ」
皇帝と
先帝時代から長く政の中枢に携わる海千山千の曲者は、若造に大人しく使われてはくれない。とはいえ、この書簡については彼を試す意図はないだろう。出席者と演目とを
「──なるほど、な」
あるていどは聞いていたとはいえ、皇太后をはじめとして、皇族の面々が列挙された紙面は見るだけで眩く、翔雲にうんざりとした気分を味わわせた。皇太后に招かれていそいそとやってくるのは、彼が会って楽しい面々では決してない。
「たかが芝居に大げさなものだな。これで
苦笑しつつ書簡を
「残念ながら、先帝の御代ではさほど珍しい規模ではございませんでした。皇太后様がご満足なさるとしても、ほんの一時かもしれませぬ」
かように火の消えたような後宮では文宗帝に申し訳が立たぬ、と。亡夫さえ口実にして
皇位を継いだ以上は、先帝も皇太后も実の父母同様に敬わねばならぬのは確かなのだが──
「
仮にも至尊の地位に登る者のことなのだ。
「恐れながら推察いたしますれば、陛下は
厳しい教師役も兼ねる
「そのようなお若い皇子がおられたか?」
先帝の皇子たちの死因の詳細については、噂ていどにしか聞いていない。だが、それでも、一時でも皇太子の地位にあった方々の名なら、翔雲も把握しているはずだ。彼と同年というなら、かなり遅い時期にできた御子だろう。
(母君はどなただ……?)
いずれも皇太后と似たり寄ったりの面倒さの
「
「ああ……」
決して感心できないが、いかにもありそうなことだった。
「母親は秘華園きっての名優とのことでしたので、恐らくはそちらに似たのでしょうな。見目麗しく利発で──当時皇后であらせられた皇太后様が、いたくお気に召して養育なさっていということでございます」
「
若く健康だったはずの皇子たちが次々に
暗澹とした気分で呟いてから──翔雲は、気付く。
皇帝となるのに母の血筋は本来まったく関係ない。皇帝の血を受け継いだ御子は、その事実のみで十分に尊いのだから。翔雲に帝位が回ってきたということは──
「だが、その皇子も亡くなったのだな?」
当然の推論だったからだろう、
「厳密には、行方不明、ということなのですが。十になるかならぬかの御年の時に、後宮から姿を消された、と」
「そのようなことが──いや、あり得るか」
後宮の庭園には、池や小川はもちろんのこと、地方の絶景を模した小さな山や滝まである。無数にも思える建物の中には長く使われていないものも多い。
十歳かそこらの子供が迷えば、誰にも気づかれることなく水底や木の葉の下に朽ち果てる悲劇も起きるだろう。
助けを求める子供を無視する者がいたのかもしれないし、あるいは、そもそもその皇子は暗殺されて遺体を隠されたのかもしれない。
「痛ましいが、迂闊なことだ」
「まことに」
今現在悩まされているからか、皇太后がもっとちゃんと見ていてやれば良かったのに、と翔雲は思ってしまう。恐らく
「ともあれ、皇太后陛下は、いまだその陽春皇子の
「愚かなことだ。
そして
「陽春皇子が生きておられれば、と思わずにはいられぬのでしょう。何しろご遺体も見つかってはおりませんので」
「その御方がご存命だったなら、朕も余計な苦労を負わずに済んだという訳か。今からでも姿を見せていただきたいものだな。
本心では皇太后を疎んじているのだろうに、口では悼むようなことを言うのが白々しい。
「先帝の御子がおられるならば、朕は位を退くのが筋ということになるな?」
「まさか、そのようなことは起きますまい。以前は、陽春皇子の消息を知っていると称する者も時おり現れたようですが。もはや十五年も前のことですから──」
ふたり分の乾いた笑い声が、決済を待つ書類の間にひそやかに響いた。死者を種にしての危うい冗談は、生者の特権なのだろう。
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