第3話 侵攻

「さってと……今日も動物探しするか……」

 昨日ギマリに注意されたばかりだが、私は今日も動物を探しに行く。傍らにはランディがいて、反重力ボードで進む私に並走してついてくる。

 事前に空を確認したが、今日はドローンは来ていないようだった。衛星で監視されているとなると丸見えなのだろうが、別に、今更って感じだった。

 誰かがナ国の領内で生きているという事が分かったとして、今更イ国が何かをしてくるという事は考えにくかった。私一人を殺すために兵隊をよこしたり空爆したり、そんなコストに見合わないことはやらないだろう。

 それは希望的観測だろうか。今までずっと……一年前にカプセルから目覚めてからずっと、私は漠然とした絶望の中で生きている。

 永遠に今の生活を続けることはできない。水も食料も尽きるし、病気にかかる可能性だってある。医療AIがある程度は治療してくれるが、遺伝的な疾患やがんの治療などにはやはり専門医が必要で、私とギマリだけでは出来ないことが多すぎた。

 今日は昨日の続き。でも明日は分からない。何が起きるか分からない。いつまで生きていられるのか分からない。

 だから――だから、と言っていいのだろうか。ギマリはきっと顔をしかめるだろうが……私は後悔の無い生き方をしている。動物を探しているのもその一環だ。

 ランディはサリフォアに対して適性を持っており、体内でサリフォアが繁殖しているのにも関わらず生きている。しかもすこぶる健康だし、通常では考えられない大きさにまで成長している。一方でギマリも不完全な抗生物質の効果で一応サリフォアへの耐性を獲得しているが、疲労しやすかったり不眠や食欲不振といった症状が慢性化している。

 ランディとギマリの症状の差には何が関わっているのか。それを調べるために、私は他の動物を探している。

 と言っても、仮に他の動物を見つけたとして、そこから何をどうすればいいのかは分からない。私は専門家ではないし、ギマリにしても機械設備の技師でしかない。恐らく史上最も稀有な粘菌による症状の解析なんて出来る訳がない。

 だが、国外に行けば何か分かるかもしれない。誰かの力を借りれば、ギマリの症状も回復し、そしてサリフォアの存在しない空間でも生きられるようになるかもしれない。

 かも知れない。かも知れない。かも知れない。いくつもの細い糸をより合わせて命を繋ごうとしている。無駄な行為なのかも知れないが、他にできることは思いつかない。だから私は、今日も動物を探しに行くのだ。

 防衛研究所から一時間ほど反重力ボードで走り、まだ調べていない区画に到着した。

 ここにはショッピングモールがあり、その内部にはペットショップがあった。ペット用のグッズやフードを取り扱っている店もあり、野良になった犬がそこで生活している可能性がある。

 ランディを見つけたのも他所のペットショップだった。置いてあるケージの中では何匹もの犬や猫が小さい体のまま死んで干からびていたが、一個だけ壊れているケージがあった。それに真新しい糞などがあり、何かが生きていると分かった。何日か張り込んで様子を見ていると、異様にでかい、寸法がバグったようなチワワが現れたのだ。それがランディだった。

 もし野生化して狂暴だったら、私はその時点で死んでいた可能性があった。しかしランディは非常に人懐っこく大人しく、私を襲う事もなく懐いてくれた。それで防衛研究所に持ち帰って飼うことにしたのだ。

「さて、どっから探そうかな……」

 私は反重力ボードを近くのベンチに立てかけて置いた。そしてランディの背中のリュックからボトルとボウルを取り出し、ボウルに水を注いでランディに飲ませる。一時間ほど私のボードについて五〇キロ近い速度で走り続けているが、ランディは少し息を切らせているだけで元気そのものだった。サリフォアの影響なのか、体が大きくなっただけではなく体力も化け物じみているのだ。それもギマリの症状とは違う点だった。

 ランディと一緒にモールの中を探す。本命のペットショップは荒らされている様子もなく、生き残った動物が来ている様子もなかった。ケージの中にも死んだ子猫や子犬しかいない。ペット用品店も同様の状態で、生きている動物の気配はなかった。

 そのままモールの中をうろうろと歩き、とっくに流行遅れになった一年前の服を冷やかし、食品売り場で炭酸水をくすねて一息つく。

 モールの二階のテラス席からはいくらか周囲の様子が見えた。離れた所に駅があり、そこから大通りがこのモールの区画まで続いている。街の中心部でさぞ賑やかだったのだろう。子供の頃に何度か連れてきてもらった記憶がある。ここにしかないアイス屋があって、それを食べたくてねだって連れてきてもらったのだ。

 残念ながら、そのアイス屋は数年前に廃業してしまった。赤と白の渦巻きの形のあのアイスは、もう食べる事が出来ない。戦争がなくったって、消えていくものはあるのだ。今となってはすべてが懐かしい。

「あー……お腹空いてきちゃった」

 アイスの事を考えているとお腹がぐうと鳴った。今朝は食欲がなくて牛乳以外何も口にしていなかったが、遠出するのならやはり何か食べるべきだったか。ランディは足元で、ペットショップから失敬してきたフードを夢中になって食べている。ガツガツと、美味しそうに。

 乾いた音が響いた。私は欠伸しかけた体をびくっと震わせ、ランディもハッとしたように顔を上げた。

 静寂……私は耳を澄ます。

「何……風船でも割れたの……?」

 破裂したような音。今まで聞いたことが無いような……。

 もう一度同じ音がした。乾いた破裂音。空気がピリピリと震える。

 二度聞いて分かった。これは……銃声だ。私はランディの尻をつついてテラスからモールの内側に移動する。

 誰かがいる。しかも銃を持っている……。銃砲店で弾薬が暴発したという事はないだろう。誰かが……いや、イ国の兵士が入りこんで何かを撃った。そう考える方が自然だろう。

 ここは国境から三百キロくらいの位置だが、こんな所にまで兵士が入りこんでいるとは。国境付近ではサリフォアが活発で車なども故障してしまうはずだったが、それも弱まっているのかも知れない。あるいは、イ国が何らかの対抗策を生み出した可能性もある。

「ランディ、待て」

 私の指示にランディはペタンと尻を下ろす。ランディを置いて、私は姿勢を低くしながらテラスの方へ近づく。

 見えるものはない。人の姿はない……いや、いた。大通りに面した建物の前に三人いる。灰色の防護服を着ているようだ。

 私はスマホを取り出し、カメラモードでズームして確認する。国籍を示すような記章はないが……イ国だろう。他の国がわざわざナ国にやってくるという事は考えにくい。

 カメラで確認すると、三人とも小銃をストラップで肩から提げている。銃声は一体何だったのか……。

「私に気付いて撃ってきた……ってわけじゃなさそうね」

 カメラで周囲を確認すると、地面に横たわっているものに気付いた。それは……犬のようだった。大きい。ランディよりも大きい……人間以上のサイズだ。犬種ははっきり分からないが、毛は茶色でゴールデンレトリーバーのようにも見える。このモールではなく別の所で生きていたらしい。ランディ以外にもサリフォアに寄生されて生き残った個体がいたということだ。もっとも、それは今撃ち殺されてしまったようだが。

 兵士たちは死んだ犬を取り囲んで何か会話しているようだった。サリフォアの調査に来たのか。それとも生き残った動物の調査か。イ国はナ国の状況に無関心と思っていたが、それは私の勘違いだったのかも知れない。

 兵士のうちの一人が脚で犬の体を小突き回す。すると、死んでいたはずの犬は顔を起こしその兵士に噛みついた。男の悲鳴が聞こえる。そしてすぐに銃を連射する音が響き、犬は蜂の巣にされた。ぐったりと横になり、血が路面に広がっていくのが見えた。

 咆哮が聞こえた。後方からだった。突然の事に振り向くと、鬼の形相をしたランディが駆けて欠けていくのが見えた。

「ランディ……駄目!」

 私の声なんか無視して、ランディは疾走しテラス席から大きく跳躍した。着地できるか心配したがそれは杞憂で、ランディはしっかりと四肢で地面に着地した。そして勢いを殺さずに兵士たちに突進していく。

 何故ランディが走ったのかは分からない。可能性としては、同胞である犬の死を目の当たりにしたからか。分からない。多分あの犬とランディは知り合いでも何でもない。なのにあんな風に激怒して向かっていくとは。サリフォアの定着は知能にも影響を与えるのだろうか。

 兵士たちのうちの一人はさっきの犬に噛まれて倒れたままだが、残りの二人はランディに気付き銃を連射した。私は息を呑んで見守る。ランディ、死なないで。

 だが、現実は無慈悲だ。

 一発の弾がランディを貫いた。それでランディは姿勢を崩し思い切り前方に倒れ込む。何とか起き上がろうとするが、そこに更に銃弾を叩き込まれた。ランディの白い体に血の花が咲く。悲鳴のような声で一度鳴き、ランディは横になって動かなくなった。

 兵士たちは興奮した様子でまだランディに銃を向けていた。そして何事か叫びながらこっちの方を指差している。

「しまった……見つかっちゃった……?!」

 突進していくランディを見て、思わず大声を出してしまった。きっとあの兵士たちにも聞こえただろう。すぐにこっちにやってくる。逃げなければ……ボードは?

「……下じゃん。くそ、何やってんのよあたしは!」

 ボードはモールの入り口、正面玄関のベンチに置いてきた。取りに行こうとすればあの兵士たちに見つかってしまう。

 ひとまずモールの中に逃げ込むとしても……その後を考えなければならない。防衛研究所までは五十キロある。徒歩で帰ろうとすればかなり時間がかかる。一日がかりだ。自動車は運転できなくはないが、多分どれも一年放置されてるから鍵があったとしても電欠で動かないだろう。

「どうする……どうすれば……?!」

 私は知恵を巡らせるが一向にいい考えが浮かばなかった。どうすれば逃げられる? 防衛研究所に帰れる?

「だから遠出をするなと言ったんだ、まったく……」

 声に振り向くと、そこにはギマリが立っていた。いつもの白衣ではなく、兵士のような黒いタクティカルスーツを着ている。それに……自動小銃を肩から提げている。

「ギマリ……どうして……」

「また勝手にどこかに行くのは目に見えていたからな……ボードに発信器をつけておいた。それに国境付近に数日前からイ国の車両が停まっていた。何か胸騒ぎがして今日はお前をつけて来たんだが……運がよかった。不幸中の幸いと言うやつだな」

「ランディ……ランディが……!」

 私は泣きそうになるのをこらえながら、それ以上言葉にする事が出来なかった。

「分かってる……残念だったな。しかし時間がない。このまま二階から西口に迎え。一階の入り口に電動バイクモペットを停めてある。それでお前は帰れ」

 そう言い、ギマリは私にモペットの鍵を差し出す。私は受け取ろうと手を伸ばしながら聞いた。

「ギマリは……? 一緒に帰るんじゃないの?」

「奴らもバイクか何かで来ているはずだ。見つかれば追いつかれる危険性がある……私が奴らを引き付けておく。その間にお前は逃げろ。私はお前の反重力ボードで帰る」

「そんな……駄目だよ! 一緒に帰ろう……! ギマリが……殺されちゃう!」

「研究所の研修でな、基礎的な軍事訓練は受けている。偵察兵の数人ならなんとかなるさ。奴らはまだ私の存在に気付いてはいないから有利だ。心配するな、リテア。私は必ず戻る。さ、もう時間がない。奴らがモールに入ってくる」

 ギマリが私の肩を西口の方へ押す。

「でも……ギマリが……!」

「いいから行け! お前は生きなければならない!」

 ギマリが私を強く突き飛ばす。階下で話し声が聞こえる。もう言い争っている時間は無かった。

「絶対に……絶対に帰ってきてよ!」

 私はギマリを振り返りながら走った。ギマリは親指を立てて頷いていた。

 西口の方へ進み、周辺を確認しながら静かに階段を下りる。見回すと開いたままになった自動ドアの脇にモペットが立てかけられていた。

 鍵を指して始動すると静かなモーターの唸りが聞こえた。

 一発の銃声。そして、少し間をおいて撃ち合いが始まる。どちらがギマリの銃の音かは分からない。ただ、銃声は鳴り響き続けた。

 私は身がすくみ、ギマリの事が心配で動くことが出来なかった。しかし、逃げなければならない。ギマリはその為に時間を稼いでくれているのだ。

 一発ごとに、ギマリが死んだんじゃないかと不安になる。だがこれ以上ここで待っていても意味はない。私はモペットに跨り、一気にフルスロットルで走り出した。

 バイクのミラー越しに後ろを見た。ギマリは見えない。兵士も。モールの中で戦っているようだ。激しい銃声を背中に受けながら、私は防衛研究所に向かって走った。


 守衛室でカメラの映像を睨みながら、私はギマリが帰ってくるのを待ち続けていた。私が帰り着いたのが午後一時過ぎ。今は六時だが、ギマリはまだ帰ってこない。

 反重力ボードを使えば、ゆっくり走っても三時間ほどで帰ってこられるはずだ。道もほとんど一本道だし、ギマリが迷うという事は考えられない。

 それでも帰ってこないのは、ギマリが……。嫌な想像を頭から追い出そうとするが、時間が経てば経つほど膨れ上がってくる。

 私が動物なんか探しに行ったからだ。ランディも殺されてしまった。ギマリまで危険な目に合わせている。全部全部、私のせいだ。

 もう一度あの場所に戻ってギマリを探しに行くべきだろうか。行くべきではないというのは頭では分かるが……このままずっと待ち続けるよりはましなような気がした。ギマリがもし死んでいるのなら、私もそこで……。

 構外のカメラに動くものがあった。防衛研究所の後ろの搬入路。ボードに乗った人影……。

「ギマリだ! 良かった……帰ってきた……!」

 モニターに抱き着きたいくらいだったが、そんな事より早く迎えに行かねばならない。映像ではよく分からないが、どこかを怪我しているかもしれない。用意しておいた救急箱を持って、私は研究所の裏口に走った。

 やがて、中央の横断通路でこちらに歩いてくるギマリが見えた。

「ギマリ! 怪我は!」

「問題ない……一発食らったが、貫通した」

 よく見るとギマリの左肩に黒い包帯が巻かれていた。うっすらと濡れているように見える……血のようだった。

「早く手当てしないと!」

「命にかかわる傷じゃない。落ち着け。司令センターに行こう。話したいことがある」

「わかっ……分かった。ごめん」

 私は何もできないまま、ギマリと司令センターまで歩いていった。

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