第10話 恋乞う(8)



陽が暮れ、私は御池様の元を離れ祖父の家に戻った。



「こらっ瑞生、何処に行っていたの!」


待ち構えていた母に開口一番怒られた。


「ごめんなさい。御池様の処に行っていて……」

「……」


私が御池様の名前を出すと母は黙ってしまった。なんともいえない表情を浮かべ母は私をジッと見つめた。


ほんの数秒辺りに静寂が訪れた。


それを破ったのは伯父さんだった。


「瑞生、車に乗れ。帰るぞ」

「……伯父さん」


伯父の言葉を皮切りに母も父も動き出した。


祖父のお墓参りに来た時は大抵伯父さんの家に泊まっていた。


「瑞生ちゃんは僕の車に乗って」

「辰朗さん」


伯父の車には母と父が、そして私は辰朗さんの車に乗せてもらうことになった。


緩やかに発車した辰朗さんの車の窓から流れる景色を見つめていた。


「……御池様って」


ぼんやりとしていた耳に辰朗さんの声が届いた。


車窓から運転席の辰朗さんに視線を移すと、まっすぐ前を見ながら辰朗さんは口を開いた。


「御池様って、本当にいるの?」

「……」

「その……森の中にある池っていうのも」

「あるよ」

「……」

「……」


私と辰朗さんの間に沈黙が漂った。


四年前、御池様に出逢った私は両親に御池様のことを話した。最初はひとりで森に入ったことを怒っていた母が私の話を訊く内に表情を曇らせていった。


野宮家には古くから伝わる伝承があって、それをまとめた本の中に書かれていた内容が御池様が私に話した内容とほぼ酷似したものだった。


野宮家に産まれた霊力の高い女児は森の中に祀られている龍神様の巫女として仕えることが掟だとか、森の中にある池の水を呑むと蛟になってしまうとか。


そしてその伝承本の割と新しいページに書き加えられていた一文が母の表情を暗くさせた。



【蛟の杜にて池を見出し其の水を呑んだ者は池の主様の花嫁となる】



母にとってそれはお伽話でしかなかった。だって母は勿論、亡くなった祖母もその姉妹たち近しい野宮の血筋の女性たちは揃って丘の上に広がる森の中で池を見つけたことなどなかったから。


私だけに見える池。それは池の主に選ばれた花嫁にしか見えないし呑めない水だということだった。


私から御池様の話を訊いた母は驚愕した。だけど野宮の家に生まれたからにはその伝承に逆らうことは出来なかった。


近代文明が発達した現代においても何故かその伝承は絶対的な威力を持って一族の中で存在し続けていた。


だから両親を始め、野宮の親戚一同はいずれ私が御池様の元に嫁ぐことをありうる話として黙認しているところがあった。



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