第30話 花の魔女、罠を浄める

 白狼は私を咥えたまま崖の下に着地すると、そのまましばらく走って森の奥へと進み、止まった場所でぺっと吐き出すように乱暴に地面に下ろした。


 森の奥深く。どこかわからない場所。

 私を突き落とした黒狼もついては来ているけど、かなり重傷だ。一度は討伐完了と判断されたくらいだ。死んでいてもおかしくない。それなのに、不思議と二匹とも攻撃してくる様子はない。討伐される位なのだから、もっと理性をなくし、凶暴化していると思ったんだけど。

 時々黒狼に現れる瘴気。波のように湧き上がり、引いていき…。今は弱っているからこの程度だけど、怪我を負う前だったら狂化してたかもしれない。


 手にしていた花を口にし、黒狼に治癒の魔法をかけた。

 花が小さく、充分とは言えなかったけれど、大きな傷は何とか治せた。

 気になるのは足の傷。古い傷で、治癒魔法がほとんど効かない。虎挟みみたいな罠にはまった跡のような…。だけど、ただの傷じゃない。

 …花があるかな。

 森の中は光が弱い。それでもよく見ればそれなりに小さな花は咲いている。小花を次々にむしって口に含み、ある程度魔力が溜まってきたところで、再度足の怪我に向けて治癒魔法を使う。

 この傷、瘴気を感じる。傷にまとわりつく古くて濃い瘴気。傷をつけた物に変な魔法がかかっていたのかな。これを消さなくちゃ…

 うーん、やっぱり花が足りない。


 白狼が乗れ、とばかりに首を後ろに振り、伏せた。またがるといきなり走り出し、ひょいひょいと軽い身のこなしで森の中をかけていった。後ろから黒狼もついてくる。

 連れて行かれたのは、さらに森の奥。そこには傷の原因と思われる罠が残っていた。既に罠の口は閉じているけれど、良くない瘴気は消えてない。黒狼の足に残る瘴気と同じだ。

 一体何だってこんな罠を…。

 ちょっと便利な魔法付の罠を作って、それが忘れられているうちに妙な瘴気を秘めてしまったのかな。それとも魔物を生み出そうとわざと瘴気を付与して仕掛けて…。

 空想したところで、よくわからない。でもこれはこのままにしておいてはいけない物だ。これを消すにはもっと花をかき集めなければ。


 あ、そうだ。

「氷の結晶、出せる? こんなの」

 小さな氷の結晶を出してみると、通じたのか、白狼も結晶を出してきた。

 それを私が食べたのを見て、さすがの白狼も怪しげな目で見ていた。

 しゃべれなくても言葉は通じてると信じたい。

「私にとって、氷の花は花と一緒なの。魔法を生み出す力になるから…」

 白狼は続けて氷の結晶を出してくれた。同じ氷の結晶なのに、感じた力は全然違った。確かに強い魔力を感じるのに、白狼が出してくれた氷の結晶を頭がキーンとするほど食べても、自分の中に取り込める力はわずかで、思ったほど力が湧いてこない。

 どうしてだろう…。

 がっくりする私を見て、白狼も黒狼も心配そうにしてる。

「…大丈夫。氷が駄目でも、花を食べれば魔法が使えるから。花がいっぱい咲いてるところ、あるかな?」

 白狼は再びしゃがんで私を乗せると、さらに森の奥へと走って行った。


 連れて行ってくれたところは、森の木が途切れ、なだらかな斜面に光が差し、黄色やオレンジ、白に赤、様々な色の花がたくさん咲いていた。森の中の小さなお花畑だ。

 とりあえず、いくつか口に含む。摘みたての花に力が湧いてくる。

 まずは黒狼の治療再開。奥の奥まで徹底的に治療し、時間をかけて傷に潜む黒い瘴気を全て取り除くと、黒狼は魔物かどうかさえわからないくらい落ち着いた状態になっていた。

 あの罠の瘴気のせいで魔物化し、暴れていたんだろうか。穏やかな目。瘴気が苦しかったのかもしれない。

 もう一匹は討伐され、死んでしまったけれど、もしかして同じ傷が原因だったら、もう少し早く気がついていれば、討伐されることもなかったのに。


 続けて花をたっぷりと口にし、さらにシャツをズボンから引き出し、裾を持って摘んだ花を入るだけ入れて、もう一度さっきの罠の所へ戻った。


 静まりかえる森の中。

 生き物に傷を負わせ、瘴気をまとう罠。

 シャツから手を離し、摘んできた花をそっと足下に置く。

 胸の前で合わせた手をゆっくりと広げ、自分の中に力をみなぎらせて、浄化の魔法を繰り出す。


  森の命を奪いしモノよ

  恨みを重ね、呪いを募らせ

  魔を呼ぶ使いとなりしモノよ

  今、その呪いより解き放たれ

  元のモノへと還るものなり


 浄化の魔法の光に包まれ、目の前の罠が瘴気を消していく。

 浄化を果たすと、いつ作られたかもわからない瘴気に満ちていた罠はただの鉄となり、赤く錆び、ボロボロと崩れ、粉になり、土へと還っていった。


 よし、おしまい。思ったより簡単…


 …じゃない。

 一つと思っていた罠は、周辺にまだいくつかあったらしく、浄化の魔法が飛んでいき、あちこちで瘴気が散っていく。

 これは、まずい。さっきため込んだ花の魔力があっという間になくなっていく。

 足下に置いた、摘んできた花を口にする。

 え、まだある?

 まだ奥にもある。向こうにも…、いくつ仕掛けてんの?

 花! 花、花、花!

 とにかく花を口に含んで魔力を補給し、魔法の届く範囲、全ての瘴気を解いていく。しゃがみ込んで、拾っては喰い、魔法出して、拾っては喰う。格好など何ほどのものか。

 あっちも、

 こっちも、

 奥にも、

 まだ?

 花が足りる? でも花がある限り!

 うおおおおおおっ!


 感じ取れる範囲の最後の一つが崩れ、土に戻っていった。

 脱力…。思わず大の字に寝そべった。

 気がつけば手持ちの花は使い切っていて、花の魔力も自分の魔力もほとんど残っていない。多分、私の魔法が届くところにあった罠は全て処理できた…はず。

 はああああああっ。つ、疲れたぁ… 


 寝転んでいる私を、白狼と黒狼が覗き込んでいた。私の仕事ぶりに納得しているように見える。

 要するに、森の中に潜む呪いを解いて欲しかった訳か。


 この白狼は理性的な生き物だ。魔物と言うより、森の主のような…。きっと、そうそう人を襲うことはないだろう。

 黒狼は普通の狼レベルに戻ってるし、魔物のまま討伐されてしまった狼には申し訳ないけれど、今はただ、鎮魂の祈りを捧げるしかない。

 …花がないや。

 付近を探し、小さな花を三つ見つけてそっと摘み、この森のどこかで眠っているだろう黒狼に祈りを捧げた。

 狼の魔物襲撃事件も、まあ解決、と言ったところかな。


 白狼は私を背中に乗せ、再び走り出した。

 律儀にも白狼は砦の見える崖の下まで送ってくれたものの、体をブルブルと震わせ、その場に振り落とすように強引に私を背中から下ろすと、挨拶する間もなく森の中に帰っていった。


 さて。近くまで送ってもらったのはいいけれど。

 魔物なら、この断崖絶壁を登れるだろう。

 私に、どうしろと??


 花も使い切り、自分の魔力もすっからかん。おまけに朝ご飯以降、花以外何も食べてない。いつも討伐に行く時には携帯食料を忍ばせているのに、その準備もしていなかった。すぐ帰るつもりだったとは言え、油断しすぎ。

 おなかがすいて、ただひたすら疲れてる。空腹は駄目だってあれほど要塞で人に言っておきながら、自分がこれじゃあ…。甘やかされて、なまっちゃったかなあ。

 どうすればこの断崖絶壁の上にある要塞や、ノストリアの街まで戻れるんだろう。辺りに道はなく、…登れるところを見つけるまで、大回りするしかなさそう。

 白狼さん、もう一息、崖の上まで運んで欲しかったなあ…。

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