第31話 花の魔女、森に迷う

 切り立った崖沿いに森の中を歩いているうちに日は暮れていき、途中木の実や食べられる葉っぱで空腹を紛らわせたものの、全然足りない。手に入れた花はわずかで、それも獣を追い払って使い切ってしまった。

 これ以上歩くと迷子になりそう。今日は森で野宿か。何の準備もないのに。


 森の生き物は魔物でなくても人を襲うことがある。今日は木の上で寝よう。

 手頃な木を見つけて登り、枝にもたれて、はあっと溜息をついた。

 北にあるノストリアの春はフロレンシアよりも王都よりもゆっくりと巡ってくる。夕暮れのひんやりとした空気が、夜の寒さを思わせた。

 治癒の時、上着を脱がなきゃ良かったな。

 このところ、アイセル君に甘やかされるのに慣れてしまって、自己管理がなってない。自分のための花も残してないなんて、たるんでる証拠だ。これからは一人で暮らすんだから、気合い入れて抜かりのないようにしなきゃ。

 そろそろノストリアを離れよう。充分お世話になったし、お礼もできた。

 街に戻ったら出発しよう。駅馬車に乗って、南西の街へ、それとも東へ? 次来る駅馬車に任せて、今度こそ一人で、気の向くままに…。

 こくり、こくりと眠気が襲ってくる。それを邪魔するように寒さを感じる。

 寒いけれど、眠い。眠いから寝る。

 何だか疲れた。


 うつらうつらとしている中、遠くの方ではじける魔力を感じ、ガラスが割れるような少し甲高い音がした。誰かが戦ってる? 魔物が出た?

 起き上がろうとしてるのに体が重い。黒い霧状のものがまとわりついている。半ば転がるように木から下りたものの、体がうまく動かない。霧を払おうにもまだ魔力がほとんど回復してなくて、ただでさえ底をついてる魔力が吸われていく。周りがよく見えない。手探りで花を探すけど、何もなくて…


 近くで木の倒れる音がした。体にかかる風圧、何かが顔の真横を通り抜け、自分にまとわりついていた霧が散ったのを感じた。

 新たな魔物?

 体が重い。何だかゾクゾクする。あの霧のせいだろうか。多分魔力を吸う魔物だと思うんだけど、あんな雑魚魔物に近づかれても気がつかずに寝てるなんて、どれだけ油断しまくってるのか。しっかりしろ、私!

 両手で頬を叩いて気合いを入れ、とりあえず手探りで歩こうとして、

 ガンッ

 おでこが痛い。木にぶつかったみたい。

 木があることもわからなかった。夜の闇の中、ただでさえ真っ暗なのに、いつまで経っても目が慣れない。視力をやられてるかもしれない。森の中で木の下にいるのは得策じゃないけど、下手に動くと自分がどこにいるかもわからなくなってしまう。崖を確認しながら歩かなければ、森に深く入り込んだら帰れなくなってしまう。ただでさえ土地勘のない場所なのに。


 だるくて、立っていられない。近くの木にもたれて目を閉じる。ずるずると落ちていく体。そのまま座り込み、顔を伏せる。…眠い。

 …何? 揺さぶらないで。…眠いの。眠らせて。

 朝になったら起きるから。歩いて帰るから。そのままそっとしておいて。

 お願いしているのに何度も揺さぶられて、口に何かを入れられた。

 …花? 何の花だろう。花が魔力に変わる。

 続けて、甘くておいしい…何かの木の実。口に入れられたものを、ゆっくりかみしめる。おいしい…。唇に当てられるままに口を開き、次の実も。

 蜜の多い花も、凍らせた花もあった。氷の魔力が体に巡っていくのを感じる。

 ゆっくりと目を開けると、目の前にぼんやりと人影が見えた。影の後ろに…

 危ない!

 とっさに手を広げて放った氷の矢は、当たったかどうかわからない。でも隙を作ることができたようで、人影が放った透き通るような魔法が広がった後、魔物の気配が霧散していった。

 

 手を引かれて、立たせようとしているのはわかる。でも力が入らない。

 魔物がいるなら私は足手まといになる。早く逃げてもらわなきゃ。

「逃げ、て…」

 肩に何かを掛けられた。…上着? さっきまで着ていたのか、ほんのりとぬくもりを感じる。なされるままに袖を通すけど、手が袖から出てこない。おっきい。

 握られた手から伝わってくる痛みの感覚。…怪我をしてる? 見えなくても治せるかな…

 手を握ったまま、治癒魔法をかけてみた。

 大丈夫、もう、痛くない、よ…

 もう…



 ゆさゆさと左右に体が揺れてる。私、寝てた?

 重い頭が沈んでいく。頬に触れているのは、髪? 誰かに背負われてるみたい。いつの間に背負われたんだろう。くっついてる背中があったかい。

 あったかいのに寒い。寒いけど、あったかい。

 しがみつくように腕を少しだけ首に回す。シャツを握って、落ちないように…。でも、力が入らず、けだるくてそのままだらんと腕が垂れてしまう。

 私を背負った人は立ち止まり、軽く飛び上がってずり落ちそうな私を背負い直した。そしてもう一度歩き出す。

 ゆさゆさと左右に揺れる。その揺れが気持ちいい。

 ごめんね。起きなきゃいけないのに、もう、動けない…

 このまま、眠って…いい? …

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