第46話 花の魔女、草原に祈る

「…花の魔女様。あなた様のお名前をお伺いしても? 『フィア』は呼び名でいらっしゃいますでしょう?」

 草原の花の魔女に問われ、少し悩んだけど、正直に名乗ることにした。

「…フィオーレ」

 その名を口にした途端、草原の魔女から気負った緊張感が消えていき、親しみのこもった笑顔に変わった。

「フィオーレ。…そう。フィオーレなのね。ああ、年もそれくらい…。元気にしてたのね。あなたは覚えてないでしょうけど、私はあなたと共にチェントリアで過ごしたことがあるのよ。短い間だったけど、同じ養護院にいて…」

 チェントリアで、同じ、養護院に…?

「幼かったあなたには早々に引き取り手がついて、高貴な家に引き取られたって聞いていたから、王都で幸せに暮らしてると思ってた」

 王都で、高貴な家で、幸せに…?

 王様に引き取られて、食べることには困らなくなった。それは確かに、そうだったけど、…幸せ、だった? 私が幸せを知ったのは、むしろ王都を出てからだった。

「あなたを引き取ったのは、王ね」

 私はこくりと頷いた。

「王都で花の魔女様が戦いに使われているのは知ってた。恐らく王が買い取った奴隷の中にいたのだろう、と。チェントリアの王はそのために草原の民を買い取ったのだともっぱらの噂だったもの。花の魔女様は奴隷として蔑まれ、その力だけを利用されて戦いに連れ回され、それでもいつも祈りを届けることを忘れず、チェントリアを守っていると…。王があなたを連れ去り、道具にしたのね。草原の国の宝を…。あなたは戦う人じゃない。あなたはもっと敬愛を受け、誇り高く生きていくべき人なのに。フィオーレ、あなたを王に奪われたことが、口惜しくて、腹立たしくてならないっ」

 手を強く握りしめ、ぐっと耐えるように強く結んだ口が震えている。王都の花の魔女が私だとわかり、見せた激しい憤り。草原の花の魔女がこんなに感情的になるなんて。ずっと腹の内を見せず、作られた笑顔の裏に心を隠していたのに。

 この人は、本当に「花の魔女」を敬愛してるんだ。

「私はもう王都から離れたよ。今は私のことをちゃんと見てくれる人を見つけたから」

 私は隣にいるアイセル君にちらっと目をやった。アイセル君は相変わらず恐い顔をしていた。何があろうと決して油断しない。今のアイセル君は、私を守る騎士なんだ。

 アイセル君が私の隣にいる意味を、草原の魔女もわかったんだろう。

「私は、花の魔女様を救った方を奪おうとしたのね…」

 草原の魔女が泣きそうな顔になって、目線を下に向けた。でもすぐに顔を上げると誇り高い草原の魔女として、もう一度無理に作った笑みを見せた。

「道理で、『フィア』にかなわなかった訳だわ。花の魔女様に勝てる訳がないもの」


 養護院で覚えているのは、眠れなかった夜、背中をトントンって優しく叩いてくれた、あの手。

「昔…。背中、トントンって、してくれた?」

「背中を? …、ああ、そうね。あなたは普段は何にも考えてないかのように淡々としていて、泣くこともなくて、まだ幼いから何もわかっていないんだと思っていたけれど、夜になると時々背中をトントンしてって甘えてきたわね。きっと、寂しかったのね」

 トントンって、してくれた人。心細くて、眠れない夜に、眠りをくれた人。

「寂しい時はいつも思い出してた。…ありがとう」

 今、こうして草原のみんなを導いているのも、あの時と同じ優しさなのかもしれない。みんなのために。草原の民のために。アイセル君を私から奪おうとしたことさえ…。

 この人もまた確かに草原を守る「花の魔女」なんだ。

「…私のこと、両親のこととか、何か知ってる?」

 その顔はゆっくりと横に振られた。

 私達は戦争孤児の寄せ集めだった。お互いの事なんて、よほど運良く一緒に逃げられでもしない限りわからない。生きていることが、今こうして自由でいられることが奇蹟なくらいなのだから。

「…そう。うん。ならいい。…探すの、やめる。私は、草原の花を母に、風を父に産まれてきたんだと、そう思うことにする」

 それは、アイセル君がくれた言葉。

 私を救ってくれるのは、いつだって…。

「新しい花の魔女が生まれたら、どうか期待しすぎないで。みんなと一緒に、仲間に入れてあげてね。特別にしないで。私はずっと誰の仲間でもなかった。戦いさえすればいい。守っていればいい。そうするのが当たり前で、ずっと一人で、寂しいって事さえ気がつかなかった。どうか、花の魔女が寂しい思いをしないように…」

 草原の花の魔女と、そのお供の二人、そして集落のみんなが、ゆっくりと頭を下げた。


 集落の女の子が花を手に笑顔で駆け寄ってきた。一瞬緊張したアイセル君が、すぐに警戒を解いた。

 以前ここに来たときに水汲み場で何度か会った子だった。ずいぶん背が伸びてる。

「氷の騎士様と一緒になれて、よかったね」

 小声でかけてくれた言葉。私のこと、覚えていてくれたんだ。

 笑って小さく頷き、花を受け取り、口に含んだ。

 そして、この集落に平和があることを、人々に安らぎがあることを祈った。


 争いのないように。

 病のないように。

 不作のないように。

 水涸れのないように。


 草原の人々は跪いて頭を垂れ、その祈りに感謝を示していた。

 戦いではなく、祈りを。

 これが本来の花の魔女の姿なんだ。



 別れの言葉も交わすことなく、ただ黙って手を振り、アイセル君と二人で草原の集落を離れ、フロレンシアに向けて馬を走らせた。

 馬を休ませるために途中の村で休憩をとり、木陰に腰を下ろすと、すぐにアイセル君に肩を引き寄せられた。アイセル君の肩の上に自分の頭を乗せて、じっと目を閉じた。

 二人で戻れる幸せを感じながら、目からこぼれる涙。静かに泣けるようになったと思ったのに、漏れてくる嗚咽に、アイセル君はただ黙ってそばにいてくれた。

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