第45話 花の魔女、生まれた国を訪ねる

 アイセル君と結婚してから一年ちょっと過ぎて、アイセル君の休暇に合わせて、草原の国跡地を訪ねた。

 自分の生まれた国がどんなところか一度見てみたかった。ただの好奇心に近かった。


 だけど、実際に行ってみると、何も懐かしいと思えるものはなかった。

 戦で廃墟となった街。壁は崩れ,道は荒れ,草に埋もれて全てが土に帰ろうとしている。

 街の中を流れる川は恐らくかつてと変わらない流れのまま、人が石を積み河辺に行きやすいようにしたかつての水場は流れに削られ,所々欠けていた。

 建物は荒らされ、崩れ、中には古い地図や本、何かの文献のようなものが見つかることもあったけれど、崩れた壁に埋まってしまっているものも多かった。

 アイセル君は花の魔女に関するものを探していて、私も手伝ったけど、これもそうそう見つかるものではないらしい。でも宝探しのようでちょっと面白かった。

 難しそうな本に隠された恋文とか、子供のものと思われる落書きの入ったメモとか、かつてここで暮らしていた人の名残が、街の静けさの中、滅んだ国を思わせた。


 付近で見つけた花を街の中心にあった壊れた泉に供えて、ここで散ってしまった命に祈りを捧げた。

 少しは何かを思い出すだろうか。そう思っていたけれど、何にもない。

「ここは、私の生まれたところかもしれないけど、故郷じゃないね」

 そう言った私を、アイセル君は黙ってそっと肩を引き寄せた。


 三日間滞在し、フロレンシアに帰るためテントを片付けていると、数人の人影が少し離れた場所からこっちを見ていた。

 アイセル君が警戒し、剣に手をやると、うちの一人が近づいてきて、

「アイセル様」

と、アイセル君の名を呼んだ。

「花の魔女様が、是非集落にお越しくださいと仰せです。そちらのお方と共に…」

 アイセル君は自分を知っている人だとわかっても、警戒を解くどころか身構え、剣を抜いた。

「無理に連れて行こうとするなら、命は保証しない」

 感情のない、冷たい声。

 そばに近寄ろうとする者には,遠慮なく足元に氷のつぶてを放った。

「そのお方と、魔女様がお話がしたいと」

 アイセル君が今回の旅で一番警戒していた草原の集落の人達が絡んできて、アイセル君の殺気が満ちてくる。それだけで周りの人を怯えさせるほどに。

 剣が魔法をまとってる。次の一振りは魔法を発動する。草原の人達が数歩下がり、走って遠くに逃げる人もいた。

「外でいい? 集落に入らず、建物の外でなら、少しだけなら話しても…」

 そう答えた私に、アイセル君は

「駄目だ。こいつらは信用できない」

と一蹴し、草原の人達を更に後ろに下がらせた。

「アイセル君、一緒に来てくれるでしょ?」

 私がそう言ってもしばらくそのまま威嚇していたけれど、やがて剣の魔法を解き、口をつぐんだまま剣を鞘に収めた。草原の人達が一様に安堵の表情を見せたものの、私に近寄ることは許さなかった。

 私達の片付けが終わるのを待ってもらい、その間に先触れのため二人が集落に戻っていた。

 私とアイセル君は少し距離を保ったまま、草原の人達の後について草原の集落へと馬を進めた。


 草原の集落は、以前より更に大きくなり、人も増えていた。

 先に戻った人が私の言った条件を伝えて準備をしていたらしく、集落の外に天幕が張られていて、そこにかつてアイセル君を携えていたあの草原の花の魔女がお供を一人連れて待っていた。

 もう一人のお供は、私達を迎えに来た人の中にいた。アイセル君を名前で呼んだ人だ。急ぎ魔女の隣に着き、二人の供が揃うと、魔女はおもむろに立ち上がり、まず警戒に満ちたアイセル君に視線を送り、魅惑的な笑みを浮かべた。

「アイセル様、お元気でしたか」

 アイセル君は草原の花の魔女を睨み付けたまま、返事をしなかった。魔女はそれに動じることなく、

「それが、あなたの『フィア』ですか? 惑わしの花の誘いをはねのけるほど愛された…」

 アイセル君は私の肩に手を添えて、より近くに引き寄せた。痛いほどの強さが私を守ろうとする意思を感じさせた。

「そのように警戒しなくても…。何もしませんよ。お約束しましょう」

「約束? 信用できない」

 アイセル君の声は、氷のように冷たい。

十分じゅっぷんだ。それ以上はここに留まらない。要件は手短に」

「せっかちな男ですね」

 草原の花の魔女は、警戒を解かないアイセル君を気にも留めず、私の方に向き直ると、さっと身をかがめた。

「花の魔女様ですね。お帰りをお待ちしてました」

 その言葉に、草原の魔女と私の間に氷の槍が数本突き刺さった。さすがに魔女も驚いて、後ずさりした。

 交渉の余地はない。はっきりとそう示している。

 そして私も。

「ごめんなさい。私、草原の民にはなれない」

 その言葉に、草原の花の魔女が目を見開き、今まで見せていた笑顔が消えた。

「私はチェントリアで育ったから、王都で教えられた考え方で生きていて、あなたたちがアイセル君にしたことを、野蛮で、下品で、破廉恥なことだって思ってしまう。どうしても許せないの。私は、…仲間にはなれない」

 魔女のお供の二人も、ショックを受けているみたいだった。自分たちが探し求めていた花の魔女と思わしき人から、悪口を言われてしまったのだから。

「…ごめんなさい。勝手に草原の地で祈りを唱えたから、誤解させて、期待させてしまったのかな」

「とんでもございません」

 草原の魔女が、片膝をつき、頭を深く下げた。

「花の魔女様の祈りに、草原の花達が、散っていった同胞達が、皆喜んでおりました。あなた様を謝らせたのが私達であれば、それは私達の罪です」

 お供の人も同じように片膝をついて、深い礼をしている。

「祈りをありがとうございます。もし、お心をいただけるなら、この地に、草原の地に、今一度我が民のために…」

 私はゆっくりと首を横に振った。

「私の心はアイセル君と共にある。アイセル君はこの地を恨んでる。もう決してこの地になじめない。だから、私がここで暮らすことはないよ」

 草原の魔女も、集落の人々も、私の言葉に悲しんでしまう。でも、私の気持ちは揺るがない。だって、

「私はここには必要ないよ。ここにはここの花の魔女が生まれるから…」

 私の言葉に草原の花の魔女とそのお供が、そして周りに集まっていた人達も一斉に顔を上げた。その顔は希望と喜びに満ちていた。

「ほ、…本当ですか?」

「多分、だけど…。花の魔女のお祭り、だったっけ。成功したのかもしれないね」

 草原の皆さんは、本当に花の魔女を待ち望んでいたんだ。でも…

「草原では、…お父さんがわからないの、平気?」

 私の質問に、花の魔女とお供の人は顔を見合わせ、察したかのように頷き合うと、もう一度深く頭を下げた。

「恐れながら。花の魔女様は、おっしゃるとおり、王都の暮らしが長く、王都の人々の考え方をお持ちなのだと思います」

 魔女はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。


「草原の国の婚姻は、心も体も相性が合う者と行うものです。王都のように結婚するまでまぐわうことをよしとしない文化とは異なります。

 草原の民は婚姻において血統を重視しません。花の魔女は血縁ではなく、草原の王は最も強き力を持つ男。私達は人を見ています。血統を重視し、血統を統制するために女にだけ純潔を求める王都のあり方を正しいとは思いませんし、私達のあり方を恥じることはありません。それは同じく婚姻と呼ばれながらも性質の異なるものなのです。

 他国の者が言う花の魔女の祭りは、元は草原の国の若者のための祭でした。

 祭に参加できるのは未婚の者だけ。若者達に相性の合う者を見極めさせるため、祭の間は祭に参加する者同士であれば同意があればまぐわうことも咎められない。そして互いの意思が一致すれば婚姻を結ぶ。多くの者は、よくあるように恋をし、自らの意思で共に生きる者を選んだ上で祭に参加し、思いを成就していました。

 そこに外部の者が紛れ込むことがありました。その中にも草原の国に伴侶を見つけ、留まる者が何人かはいたので、よほどたちの悪い者でない限り放任していました。ですが中には婚姻を望むことなく、異性への欲望を満たすためだけに紛れ込み、自分たちの都合のいいように話を広める者もいました。自分たちこそ欲情にまみれ、恥ずべき行為をしながら、花の魔女様や草原の国を誹謗し、貶めた愚かな振る舞い。私はそうした者こそ破廉恥と呼ぶべきだと思っています。

 確かに、花の魔女様が数年に渡り生まれない時には多く祭が開かれました。それは花の魔女様の生誕を願えばこそ。ですがそのことで花の魔女は乱交により生まれるなどというくだらない妄言が出回っていたとも聞きます。

 そう思われているなら丁度いい。

 花の魔女様を失った私達は、その流言を利用し、今一度この草原の集落で花の魔女様の生誕を願うことにしました。花の魔女は、草原の地でなければ生まれない。それならば、この地でまぐわえばいいこと。かつてチェントリアが我が国に刃を向けながら、今更交流を求めるのなら、協力してもらえばいい。言葉だけでなく、実のある協力を。

 …ですが、かりそめの愛で強引に押し切った祭が花の魔女様のお心を乱すことになってしまったのですね」


 たまたまでも、偶然でも、利用しようとした人が私の思い人だった。それが私とこの草原の地を分かつのなら、それはそういう運命なんだと、縁がないのだと思えてしまう。

「私、結婚したの。今はまだ花の魔法を使えるけど、そう遠くないうちに花の魔女じゃなくなる。『花の魔法は花のごとく、実を宿せば枯れるのみ』。私は、ゆっくりと枯れていく。どうか私を、大好きな人のそばで、そっと枯れさせてほしい」

 それは花の魔女の言い伝えの一つ。草原の花の魔女も、その言葉を知っていたのかもしれない。

「花の魔女様のお心は花の魔女様のもの、他の誰があなた様に強いることができましょう」

 草原の花の魔女はすんなりと強いることはない、と言ってくれた。だけど、集落の人達は花の魔女がそばにいることを期待してる。

「花の魔女様、行かないで」

「花の魔女様」

「どうか我らのおそばに」

「花の魔女様」

 次々に発せられる、引き止める言葉。そして、それが私の心を揺らすことを期待してるのを感じる。

 肩の上にある、アイセル君の手の力が強まった。その手の上に、手を重ねた。

「ごめんね。私は草原の花の魔女にはなれない。この地には、この地にふさわしい花の魔女が目覚める日が来る。だから…」

「承知しました」

 草原の魔女が周りの人達を下がらせた。

 落胆した人もいる。不満そうな人もいる。それでも、草原の集落は新たな花の魔女の訪れに希望を抱き、期待を胸に活気づいていた。

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