第42話 花の魔女、祝福を受ける

 結婚式はしなくていいということは、私もアイセル君も同じ意見だった。

 もう結婚しちゃったし、こんなに簡単に済むなら別にこれでいいよね。アイセル君も、結婚できて充分満足そうだし。

 けれど、おばあさまはあえてアイセル君に何度も声をかけ、確認していた。本当にそれでいいの?、と。


 不思議なほどに何も変わらない。

 昼食を終えて明日のフロレンシア行きの準備をしていると、おばあさまに呼ばれた。部屋に入ると、そこには白いドレスが広げてあった。白い、ウェディングドレス。

「これは、かつて私が着たものよ。ずいぶんと古いものだけど、よければこれを一緒にフロレンシアに持って行って。もしその気になったら、アイセルと二人だけでいいわ、聖堂で式を挙げてはどうかしら。こうしたものに身を包んだことを思い出にできることも、また幸せなものよ」

 高価なウェディングドレスを式のたびに新調できるのは貴族くらいなもの。街では、親子や親戚で譲り合うことも珍しくなく、手持ちの一番上等な服で式をする人も多い。討伐の行き帰りや、フロレンシアで見かけた結婚式も、みんなそうだった。

「サイズが合うかしら。試しに着てみてくれる? 私も見てみたいわ」

 薦められるまま自分の部屋に持って行き、袖を通してみた。そんな気になった自分にちょっと驚いた。

 侍女さんに手伝ってもらうと、そんなにサイズは違わず、違和感はなかった。

 かつておばあさまが袖を通し、おじいさまとノストリアで添い遂げることを誓ったウェディングドレス。今までずっと大切に保管されていた思い出の品。

 ハイネックで露出が少ない、おばあさまらしい清楚なデザイン。裾は大きく広がらず、花と蔦をモチーフにしたレースが全体を覆い、所々花弁に小さな真珠が使われている。

「せっかくなので、髪も軽くまとめましょうね」

 手際よく髪を結い上げられ、軽くお化粧もされて、部屋に飾ってあった小さな白いバラの花が編み込んだ髪に挿されて、何だかお試しなのに本格的に見える。

 鏡に映った私は、かつて討伐の帰りに見た花嫁さんのようだった。


 聖堂から出てきて、たくさんの人に祝福されて、笑顔を向ける二人。周りのみんなも心からの拍手を送り、幸せを願う。大きな街で、小さな村で、どこかで繰り返される特別な光景。

 無事に魔物を倒せて良かった。ここの平和を守れて、みんな笑顔で暮らせて良かった。

 いつも、私は通りすがりに見守っていた。それが私の役割だから。


 立ち上がれば、少し丈が長くて、踏んづけてしまいそうだった。転ばないように両手で裾を引き上げて慎重に歩いておばあさまのいる部屋に戻り、入室のためドアを叩こうと腕を振り上げた時、そこにアイセル君が現れた。

 ただじっと私を見ていた。

 式はしないと決めたのに、こんな格好をしているから驚いたのかも。急に恥ずかしくなった。

「あ、あの、これ、おばあさまので、ちょっと試して…、おばあさまに見てもらおうと、…」

 仕方のない言い訳にさえもたついていると、アイセル君に引き寄せられ、ぎゅっと抱きしめられた。

「フィア…。ごめん、僕が間違えてた」

 いきなりそう言われても、何が…?

 まさか、ついさっき出したばかりの婚姻の書類に不備とか、…やっぱりやめとく、とか…?

 頭が真っ白になって立ちすくむ私をよそに、アイセル君は目の前のおばあさまの部屋につながるドアをノックすると、私の手を引いて返事も待たずに入った。

「あらあら、行儀の悪い…」

 呆れた様子ながらも笑顔のおばあさま。

「おばあさまの言うとおりだった。フィア、ここにいて。…すぐ準備してくる」

 そう言うと、私はそのままおばあさまの部屋のソファに座らされ、アイセル君は部屋を出て行った。

 続いて侍女さん達も出て行く。

 おばあさまは少しすました振りをしながらも、口許に笑みが浮かんでいた。


 さほど時間をかけず、もう一度おばあさまの部屋に現れたアイセル君は、フロレンシアの騎士の正装に着替えていた。手を引かれて玄関に行くと、既に馬車が横付けされていた。

「この格好でお出かけ? 今から?」

 頷くだけのアイセル君。私とアイセル君二人で馬車に乗り込むと、アイセル君は私の横髪に大きな白いバラの花を挿した。同じバラがアイセル君の胸元にも挿してあった。


 着いた先はノストリアの街の中心にある聖堂。

 着くとすぐに司祭様が待っていた。

「どうぞこちらへ」

 導かれるまま移動すると、祭壇の中央には大司祭様がいた。大きな主教帽をかぶり、肩には金色の長い帯を掛け、手には杖を持っている。正式な儀式をする時の格好だ。無理を言って、急に式をお願いしたんだろうか。なんと言っても領主様の家族だし。

 それでも、それに恐縮するよりも、目の前の光景が夢としか思えなかった。


 夕日がガラスを赤く染める。

 祈りの言葉は、よく覚えていない。

 神様の存在はわからない。自分が信じるべき宗教も、自分の生まれさえも知らない。

 それでも、咎められることなく、ここにいることを許される。

「あなたは、フィオーレの夫として、その命が果てるまで、幸せも、悩みも、喜びも、悲しみも、共に分かち合い、生きていくことを誓いますか?」

 アイセル君は、女神の像ではなく、私を見ながら

「はい」

と言った。

「あなたは、アイセル・アイスバーグの妻として、その命が果てるまで、幸せも、悩みも、喜びも、悲しみも、共に分かち合い、生きていくことを誓いますか?」

 言うべき言葉は「はい」だけ。

 司祭様も、アイセル君も、笑顔で待つ中、ようやく言えた

「はい」

の言葉に、誓いを心に留め、封をするための口づけをもらい、こんな厳かな式典なのに、

「わああああああんっ!」

 いきなり大泣きした私を、その場にいた誰もが優しい目で見守ってくれていた。

 いつの間にか、おじいさまも、おばあさまもいた。お屋敷のみんなも。

 自分がこんなに泣き虫だなんて、思わなかった。

 王城でも、戦いの場でも、泣いた事なんてなかった。それなのに、いつだってアイセル君に泣かされちゃう。

 だけど、アイセル君の胸で泣いた時は、うれし泣きばかり。

 それでも、もう泣かせないでね。…かわいく泣けないから。


 外に出ると、周囲の人の目が集まった。

 夕刻の鐘とは違う、高らかな祝いの鐘の音が鳴り響く。

「誰かの結婚式をしてるよ」

「おめでとう!」

 鐘の音と共に花弁が舞う。

 聖堂の周辺の木が、草が、一斉に花をほころばせた。聖堂を中心に花が広がっていく。

「わあっ! すごい!」

 子供たちのはしゃぐ声、大人も感嘆の声を上げ、誰かが

「花の魔女だ!」

と言った。

「花の魔女? 白狼を追いやってくれた?」

「魔女様の結婚式か」

「領主様もいる」

「おめでとう、花の魔女様」

「おめでとう、騎士様」

 どこからか始まった拍手が、聖堂の前の広場に広がる。

 涙でボロボロになっている顔に、まだこれでもかと涙が落ちてくる。

 私は、…

 花の魔女で、良かったんだ。


 風に乗って舞い降りてきた花びらをつまんで咥え、もらった祝福に祈りを乗せて返した。

 ありがとう。

 どうか、この地に平穏を。

 この穏やかで優しい日々が、明日も続きますように。

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