第41話 花の魔女、結婚する
私がアイセル君のことを理解できるように、そして私が自分の知りもしない生い立ちを恐れ、自分を卑下しないように。アイセル君が自分の生い立ちを話してくれたのはそのためなんだと感じた。
両親と共に街で暮らしていた、アイセル・ヴェントゥーリ。
自分を殺し、両親を殺した人の元で生きてきた、アイセル・アイスバーグ。
墓標に今も残っている自分の名前を、アイセル君はどう思ってるんだろう。
「アイセル君が、ノストリアの…領主様になる、として」
恐る恐る、自分の不安を口にしてみた。
「わたしが、アイセル君の足かせになったり、弱みになったり、…したくない」
「君がそう思うなら、領主になんかならない。確かに、祖父母からはそういう誘いもあるけど、君より優先することじゃない」
は?
「ええ? それは、違うでしょ?」
「君がノストリアで暮らしたいと思うなら、領主になってもいいし、魔法騎士のまま要塞で働いてもいい。フロレンシアがいいなら、今のままでも。フィアが決めていいよ」
それは…、どうなの? 違うよね。少なくとも、アイセル君の人生は、アイセル君が決めるべきで…。
「多分ね、君は足かせとか、そういうのにはならないよ。花の魔女は歓迎される。そして良くも悪くも求められる。君は生まれがどうとかで評価されるレベルの存在じゃない。そんなくだらないことで君を評価するのは、君のことを知らない奴だ。その程度の人間なんて、潰してしまえばいい。…潰そうか?」
ぶるぶるぶる。慌てて首を横に振った。
アイセル君は少し残念そうにしながらも、笑顔を取り戻した。
「…評価されるのが嫌なら、先に結婚しちゃおうか」
「へ?」
なんで、そういう話に?
「僕のそばに君がいるのはもう既に決まってて、君のことを配慮できないような誘いには乗らない。そうすればシンプルだ。君が僕ごときに合わせようと気に病む事なんて何もない」
「は?」
「そうだな。…よし、じゃあそうしよう。ノストリアでは聖堂でも領主の館でも婚姻の届を受理できるんだ。今日はおじいさまもいるし、丁度いい」
アイセル君は私の手を掴んで、嬉しそうに早足で墓地を後にする。けれど、
「私、婚約破棄したんだけど、覚えてる?」
そう言っても全く気にする様子もなく、さらっと、
「知らないよ。僕は何も受け取ってないし」
と言うだけで、足は止まらない。
「そ、そりゃあ直接は渡してないけど…、ちゃんと紙に書いて置いてきたし」
この国では正式な決め事は紙に書いて残す事になってる。だからそうしたのに。
「…君はあんなメモ書きが有効だと思ってるんだ。フロレンシアに戻ったら、どうして無効なのか教えてあげてもいいけど、仮に有効だったとしても、別に結婚するのに婚約が必須な訳じゃない。ただの約束事だ」
あれ? 有効じゃないの? 何でだろう。
ふと、アイセル君が足を止めて、振り返った。
「今でも破棄したい?」
明るく言うけど、握る手が少し硬くなって、力を増した。
「…ううん」
首を横に振った私を見て、その手の力が、もっと増した。そして、また早足で足を進める。
ぐいぐい引っ張られて、そのままおじいさまの執務室まで直行した。
部屋にいたおじいさまに、アイセル君はいきなり
「フィアと結婚することにしました。手続きをお願いします。…立会人になってもらえますか」
と言うと、おじいさまは少し驚いたように動きを止めたけれど、すぐに
「わかった」
と答え、執事さんは一礼して部屋を出て行った。
準備されてたんじゃないかって位にすぐに出てきた婚姻の書類が机の上に置かれ、程なくおばあさまがやって来た。慌てて来たのか、少し息が荒れ、頬が紅潮している。
何の躊躇もなく、さらりと自分の名前をサインするアイセル君。そのまま手渡されたペン。
指差された場所に名前を書く。たったそれだけ。なのに何だかドキドキする。
少し深呼吸して、自分自身にこくりと頷いて名前を書いた。家名もない、ただの「フィオーレ」と。
おじいさま、おばあさまが立会人としてサインをし、日付を記入した。
アイセル君が魔力を注ぐと、紙に仕組まれている不正な変更を認めない古くからある魔法が発動し、紙に染み込んでいく。
おじいさまはそれをノストリア領主として受け取った。
「結婚おめでとう。こうして立ち会えたことを嬉しく思うよ」
朗笑を見せるおじいさま。
微笑みながら涙ぐむおばあさま。
周りにいた執事さんや侍女さんも笑顔で拍手してくれた。
たった紙一枚の、あっけないほどに簡単な手続きで、どうやら私はアイセル君の正式な伴侶になったらしい。
意外と、たったこれだけのことだった。
驚くほどあっけなかった。
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