第37話 花の魔女、閣下に会う
翌日。
いつの間に用意されていたのか、自分用にあつらえられた新しいドレスを着せられて、何やら髪も顔も作られていく…。
深い緑に金糸で縁に刺繍の入ったスタンドカラーのドレスは、アイセル君と並んで何故この色が選ばれたかがわかった。フロレンシアの騎士隊の制服と並ぶとお揃いに見えるようになってるんだ。この生地、おじいさまとノストリアに来る途中の街の店で見たような気がする。採寸はされたけど、何も買わなかったはずなのに…。
別の店に置いてあった、これまた買わなかったはずのアレキサンドライトのイヤリングが何故かドレスと一緒に運ばれてきて、今私を飾り立てている。おじいさまのお薦めの一つで、これまたいらないと言って店を出たときは手ぶらだったのに、いつの間にか買ってるなんて。お金持ちの考えることはわからない。
すぐ近くに行くときも、お貴族様はわざわざ馬車に乗っていく。その理屈が今までわからなかったけど、この格好ならわかる。こんなもん着て、こんな踵の高い靴で要塞になんて、例え門から建物まででも歩ける訳がない。
家を出るところからエスコートを受け、馬車の中は侍女さんも侍従さんも同乗せず、二人きりだった。
アイセル君はじっと私を見て、
「ドレスも似合うね。とてもきれいだ」
と言って、少し照れたように笑った。だけどこんな格好、私らしくない。
「…こんなの、偽物だもん」
「どんな姿も君だよ。いつもの格好でも、騎士隊の制服を着ていても、こうしてどこかのご令嬢のようでも」
そっと持ち上げられた左手に軽く唇が触れた。そしてそのまま薬指に濃い青い石の埋め込まれた指環がはめられた。
「これは、僕からだ」
…指にぴったり。傷一つない。買ったばかり? 閣下への「婚約してます」アピールかな。破棄しちゃってるけど。要塞にスカウトされないための小道具、とりあえずお預かりしてつけておこう。
そうだ。私のマナーに関する特殊事情を今のうちに言っておかなくちゃ。脅す訳じゃないけれど。
「…私、こんな格好で礼儀正しくできるの、五分だけだからね。多分途中で崩れちゃうけど、慌てないでね」
「了解」
アイセル君は想像がつくのか、半分笑いながら、こくりと頷いた。
いいとこのお坊ちゃま、お嬢様が馬車で要塞へ行くと、そのまま建物の正面玄関まで入れるらしい。
初めて来た時は、建物の中に入ることもなく、訓練場で追い返された。二回目は裏から建物に入った。三回目でこれとは、出世したな。
恐らく、何でこんな女が要塞に来ているのか、すれ違う誰もわかっていない。私が誰なのかも。
しかしドレスというものは、こんなに裾が長くて足だって大して見えてないのに、歩きにくいのにわざわざ踵の高い靴を履く必要あるのかな。いつもの靴でもばれないんじゃないかな。
案内された閣下の部屋は広かった。ふかふかの絨毯がこれまた歩きにくい。
閣下もまた、私を見てもどこの誰なのかピンとこなかったようだ。一応「エミリオ」相当の人間が行くことは事前にお知らせしてるんだけど。
「お久しぶりです。フロレンシア騎士隊、副隊長のアイセル・アイスバーグです。こちらが私の婚約者、フロレンシアの花の魔女、フィオーレです」
ああ、言っちゃったよ。破棄しちゃってるのに。元婚約者なのに。まあ、今だけいいか。
「フィオーレにございます。先日は名乗りもせず、失礼しました」
今日アイセル君が連れて来た客が、討伐の時に治癒の手伝いにやって来て、砦から落っこちてとっとといなくなった人間だとわかったようで、見知らぬ来客を観察していた閣下が愛想の良い態度に変わった。
「ご足労をかけた。まあ、座ってくれ」
ソファを勧められ、助かった。立ったままより少しは長く格好がつくかも。
座ったのをいいことに、そっと靴から足を抜いた。
「さて、フィオーレ殿。先日は討伐にご助力いただき、大変助かった」
深い礼に、軽く礼を返す。
「森の中の罠については聞いている。同じような物がないか、こちらで引き続き調査に当たろう」
「ありがとうございます」
何だ、もうその話は伝わってるのか。やっぱりわざわざ来なくても良かったんじゃ?
さ、帰れるぞ! と期待したにもかかわらず、まだ話は続く。
「それにしても、君の治癒魔法は皆褒めちぎっていた。あれだけダメージを負っていた討伐隊一個隊があっという間に全員回復するなんて、奇蹟としか言いようがない!」
「はあ…」
あ、しまった。油断するとほころびが…。
「白狼との対峙の際も、繰り出された魔法は見事だった。あの後、白狼に連れられて古い罠についた瘴気を払ったと聞いた。中には白狼とグルだったのではないかと言う者もいたが、そんなことを言う奴は叱っておいた」
…そんなこと言う代表者は、閣下じゃないのかなぁ。と思ったことは黙っておこう。
「ノストリアでお暮らしなら、是非今後も我が隊にご助力いただきたい」
ああ、やっぱりそっちか。準備よく出てくる契約書が恐い。
きっと赴任命令書に不採用って書いて手渡した事なんて、覚えてないんだろうなぁ。無知の幸せ者か。厚顔無恥じゃないといいけど。
「フィオーレは私とフロレンシアで暮らす者です。今回はたまたま祖父のところへ遊びに来ておりましたが、常にノストリアにいる者ではありませんので」
穏やかな口調で対応しつつ、契約書をそっと閣下の方に押し戻したアイセル君。何だか冷気を感じる。
「そうか。それはフロレンシアも心強いな。しかし、フィオーレ殿は花を操る魔女と聞いた。氷と花とじゃ相性合わないんじゃないのか?」
閣下が片眉をつり上げて、さりげなくいじわるを言ってきた。
「そうかも…」
同意する私の言葉に、アイセル君は引きつり、閣下は目をキラリと光らせてにやりと笑った。
「花も咲かない北の街の冬には、花の魔女なんて役に立たないから」
閣下はきょとんとしている。やっぱり気付いてなかったか。
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