第35話 花の魔女、「ただいま」を受けとる

 話し終えると、アイセル君は凍った花を取り出した。

 指先ほどの黒い…、深い紫の混じった花。

「草原の集落にあった。多分これが、毒花の魔女が使っていた花だと思う」

 私はそれを手に取った。

 

 私の薬草が効くのは、処方を重ねた経験もあるけど、それ以上に草花が人に与える力を何となく感じることができるから。

 この花は、…激しい花。この花には情火を燃え上がらせる効果があるんだろう。この花が持つ本来の力以上に何かを使って力が高められている。花びら一つでもずいぶんきついのに、これを丸ごと一輪使ったんだろうか…。

 この花は危険だ。私は手にしていた花を口に含んだ。

「っ!!」

 目を見開いて驚くアイセル君の目の前で、その花を魔力に変え、手の中に炎を灯すと、花の力が一瞬激しく燃え上がり、やがて消えていった。…それで、おしまい。

 私にとっては、花は花。毒があろうとなかろうと、どんな花も私の魔力になる。

「…この花に抗ったんだね」

 アイセル君は、ゆっくりと首を横に振った。

「抗いきれなくて、…君を襲おうとした」

「あれは、…嫌だった」

「ごめん」

「恐かった」

「…ごめん」

「私に向けられているんじゃないと思った」

「それは」

「私に、だったんだ…」

 いつも優しくされていて、大事にされていて、あんな激しい思いがアイセル君の中にあったなんて気がついてなかった。


 昨日の夜のことは熱のせい、と言ってしまいたいけれど、それは不誠実だし、真実じゃない。

 自分から婚約破棄をしておいて、自分が恥ずかしい。恥ずかしいけれど、私は知ってる。私の心を揺り動かし、私の中で魔力に変わるのは、アイセル君の氷の花だけ。他の誰かの氷の結晶じゃだめだという事を。


 あの時は諦めようと思ってた。草原の花の魔女を選ぶなら仕方がないって。

 でもそれは、自分に嘘をついていた。本当は、帰ってきてほしかった。

 帰らない、と人から聞いても信じたくなかったから、ちゃんとアイセル君の口から気持ちを聞こうって、そう思って草原の集落まで行ったのに。なのに、別の人を選んだって見せつけられて、それなのに不誠実な愛を向けられて、いい子になって諦めようとしてた偽りの心を揺さぶられて、受け止められず、怒って、泣いて逃げてしまった。

 アイセル君が、私から離れるつもりじゃなかったとしたら…。誰かに騙されて、引き離されてしまったのだとしたら、それは、アイセル君を怒って恨んで終わらせる結末じゃ、ふさわしくない。

 もういちど、ちゃんと聞こう。


「本当に、草原の集落で住もうって、自分で思ったんじゃないの?」

「君が一緒に住むなら考えてもいいけど。君のいないところに住みたがる訳がない」

「もう帰らないって、思わなかった?」

「いつだって、君の所に帰るよ。おかえりって、言ってくれるだろ?」

 うん…。

 返事が言葉にならない。はっきりと、頷きたいのに。

「ただいま、フィア」

「お…、おかえり…。ア、…うっ…、うあっ、…」

 飛びつきたいのに、間にある机が邪魔で、遠すぎる。

 ソファに座ったまま、もう涙を抑えきれなくなっていた私の口に、凍ったオレンジが突っ込まれた。

 冷たさに驚いて、でも口が動く。シャク、シャク、もぎゅ、もぎゅ、…ひんやりしておいしい。

 泣きながらも口を動かし、ゴックンと飲み込んだ。氷の魔法が口に広がる。

 アイセル君の氷魔法だ。氷の花が、私の魔力に変わる。

 すぐに次の一房を差し出されて、自分から口を寄せ、パクリとくらいついた。

 見ている目が優しく笑ってる。

 いつもお話ししながら、果物を剥いてくれて、時々凍らせて、口に運んでくれた。そんな毎日が普通になっていた。

「おいしい?」

「うん」

 次々と渡されるまま口にして、気がついたら、アイセル君の分まで食べてしまったかもしれない。

 まだ一年も経ってない。でもずっとそうしてきたみたいに、ここに、目の前にアイセル君がいてくれるのが当たり前で、そうなっているのが嬉しくて…。

「凍った果物、好きだね」

「…うん。好き」

「僕のことは?」

 笑顔だけど、少し寂しそうな目をしてる。

 …不安?

 いつも不思議なくらい自信を持って私に接してくれていた。そしてそれが私に自信をくれてた。それなのに。

「…好き。大好き」

 ちゃんと答えると、ほっとしたかのように頬を緩め、

「僕もだ」

と想いを返してくれた。 


 お皿を片付けようとしたのを見て、さすがに任せてばかりでは悪いから、自分の使っていたお皿を手に取ってワゴンに乗せようとしたら、さっと手からお皿を奪われ、ちゅっ、と短く唇を重ねてきた。

「ごちそうさま」

 そう言ってテキパキと片付けをすると、また前髪を下ろしてドアの向こうに消えていった。



 朝食の後もアイセル君は侍女さんとして部屋にいてくれた。

 さすがに部屋の隅で控えられても落ち着かないので、ソファに座ってもらった。私もその横に座る。

 相変わらず隠密魔法は見事で、ちょっと大柄で前髪のやたらと長い侍女さんは、よくよく考えれば違和感があるはずなのに、そこにいても全然気にならない。

「どうして侍女さんの格好してるの?」

「ん? ああ、君を連れてこの家に戻った後、おばあさまに寝てる女の子の部屋に入ってはいけないって追い出されたから」

 それで、こんな変装をして、私を連れて帰ってからずっとここにいてくれたらしい。真面目なんだか、悪いんだか…。

「ちゃんと寝てないんじゃない?」

「昨日はぐっすり寝かせてもらったよ、一緒に」

 …そうでした。

 でも狭くて窮屈で、ちゃんと疲れが取れてないかも。私はすっきり元気になってるけど。

 にっこりと笑う様子は、…心配なく、元気そう。

「フロレンシアに戻ってから、すぐに来たの?」

「休みをもらえる程度には働いてから来た。君を取り返すまで帰らないって言って出てきたから、もうしばらくゆっくりできるよ」

 またそんな無茶を…。その前は草原の集落に調査に出ていて、ずっとフロレンシアにいなかったのに。

 戻ったら仕事が山積みになってそう。ライノさんが悲鳴を上げてる姿が目に浮かぶ。

「もう私は元気だし、いつもの格好でいていいよ? 侍女さんじゃなくて、アイセル君で、ここにいてくれて。ここでお仕事してもいいし、本読んでもいいし。…何なら、私が侍女さんの格好して、アイセル君の部屋にいてあげようか?」

 思いつくままに提案すると、アイセル君はにんまり笑って

「…いいね。明日はそれもいいかもしれない」

と言って、何を思い浮かべたのか、しばらく目を細めて、ちょっとにやにやしていた。

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