第34話 氷の騎士、思いを語る
僕が調査隊に参加したのは、草原の国の跡地に行きたかったからだ。なかなか行ける所じゃないし、時々興味深い資料も見つかるからね。ちょっと探したいものもあった。
草原の国の跡地から少し西に行ったところに草原の集落があって、今回は集落の様子を見るのも任務の一つだったから、集落の近くに拠点を置いていた。
集落の人達は、着いたその日から友好的に僕らを迎えてくれた。滞在中には毎日のように宴会があり、朝まで戻らない人もいた。次の日にはちゃんと戻っていたからさほど気にも留めてなかったんだけど、あまりに朝帰りする人が多く、さすがに隊長から規律を守るよう叱咤されたくらいだ。それでも朝帰りはなくならず、そのうち僕にも奇妙な眠気が襲ってくるようになった。
僕はあまり酒に酔わないんだけど、きつい酒なのか、量も大して飲んでないのに眠気が襲ってきて、魔法で酔いを覚まして何とか野営地に戻った。そうしたことが二、三回あって、酒の席に参加するのを控えるようにしたんだ。
調査を終え、フロレンシアに帰る日、僕を含め五人が名指しで呼ばれた。最後の挨拶だと思って入った部屋には妙な香が焚かれていて、その匂いに心が乱されるのを感じた。出された茶を飲むとみんな眠ってしまい、抗えたのは僕だけだった。外の仲間に助けを求めようとしたんだけど、草原の花の魔女とその側近が得体の知れない魔法をかけてきた。写し姿の魔法を向けられた時に子供が入ってきて、引き止める人が呼んだ名が君の名によく似ていた。それに気を取られたとたん、写し姿の魔法にかかってしまい、偽物の君が僕の心に入り込んで、僕をあの地に縛り付けた。僕は、草原の花の魔女に負けてしまったんだ。
それ以来、僕には草原の魔女が君に見えた。
時々解けかける術を上書きされて、もう何度重ねがけされたか覚えていない。偽物への喜びと、抗う心で、めまいや頭痛が襲ってきた。
昔、草原の国では長く花の魔女が現れなくなると人を呼び寄せ、心を解放させ、気の向く相手と体を合わせる祭りがあったらしい。草原の花の魔女はそれを調査隊の男達で再現させたんだろう。そして、魔法を持つ五人が選ばれ、草原の集落に残ることを強いられた。甘い誘惑の
…言いにくんだけど、僕も誘われた。君の名を告げられると、そこにいるのは君だった。君を愛したい。君を抱きたい。誘われるまま口づけをするととたんに君じゃないとわかる。いつも花を食べている君の吐息は甘くて、とろけるような芳香にいつも酔いしれる。だけど偽物はそうじゃない。毒の花を口にするその吐息はえぐみや苦みが混ざり、染みついた香の香りが鼻につく。そのうえ僕の氷の魔法を嫌がった。君なら喜んで僕の氷の魔力を氷の花として受け取ってくれるのに。
君じゃないとわかると、いつもその場から逃げていた。逃げる以外に逃れようがなかった。
あの日もそうだった。サウザリアの国境近くの見回りを終えて草原の集落に戻ると、フロレンシアから迎えが来ていた。僕らをフロレンシアに帰さない訳にいかなくなって、多分最後のチャンスだと思ったんだろう。いつもより更に強い毒の花を口にし、濃い香を焚き、執拗に迫ってきた。いっそ、誘惑されるまま従った方が楽だったのかもしれない。だけど毒を含んだ苦い吐息に、どうしても…、どうしても君じゃないとわかってしまう。君じゃないとわかると、触れられるのも嫌になり、自分が求める「本物」に会いたくて仕方がなかった。
魔女の呪いから逃げる途中、林の中で青白く光る人を見つけた。
辺り一面に咲く月光草と同じ光に包まれ、そこに座っている姿に目を奪われた。闇に浮かぶ姿は幻のようで、だけど惑わされるのはもうごめんだった。すぐに警戒に切り替えて、侵入者なら捕まえてしまおうと思った。
隠れる魔法を見抜き、追いかけてもこしゃくな目くらましの魔法を使われて、絶対逃さない、と捕まえて…
ふらついたその人を支えた時、首筋から香る匂いに、自分が探していたものだ、そう思った。抱きしめた腕が君を覚えていた。まるで型から抜き取ったものをそのままはめ込んだかのように、僕の求める正解だと告げていた。誰かが君の名を呼んで、その名に僕のものだと確信した。口づければ甘く、氷の花を拒まず、還ってきた吐息があの毒花の魔女の呪いを消し、僕を偽物から解放してくれた。
やっと本物に会えた。ずっと抑えていた分、想いを止められなくなった。そんな僕に君は氷の槍を突きつけ、僕の元から走り去ってしまった。
僕には訳がわからなかった。本物の君がどうして逃げてしまうのか。
大泣きする君を、他の男が慰めていた。
僕の腕の中じゃなく、他の男の胸で泣きじゃくる君を見て、相手の男を殺したいくらい憎いと思った。だけどそれ以上に、君が泣く姿を見るのが辛かった。僕が君を泣かせてしまった…。
冷静になるのに少し時間がかかった。完全に毒花の魔女の魔法が解けるのを待ち、荷物をまとめてフロレンシアの捜索隊に合流した。でもそこにはもう君はいなかった。
君はあんな遠くまで僕を迎えに来てくれたのに、僕が君に見せたのは君を裏切る姿だったと教えられた。みんな君が怒るのは当然だと言った。
だけど僕だって怒ってる。
僕は一度だって君以外の誰かを望んで相手をしたことはない。君だと思ったからこそ抱きしめた。偽者を見破り、懸命に逃げたのに、僕を解放してくれたのは君なのに、その君が僕から逃げた。
嫌いだと言われてショックだったけれど、僕以上に君の方こそショックが強かっただろう。僕が心変わりをしたと思い、嘆いている君に手を出したんだ。君からすれば、裏切られたうえに襲われたんだから。
…だけど、あの時、君が逃げて良かった。
逃げなければ、多分僕はその場で君を襲っていた。君が僕を拒絶しようと君を離すことなく、君を暴き、思いを遂げようとしただろう。そんなことをしたら、きっと君は二度と僕の元に戻らなかった。
フロレンシアに戻り、君が婚約をやめる決意をしたとわかって、それでも僕は君を手放す気はなかった。どんなに逃げても追いかけ、もう一度捕まえる。そして、君の口から、君の言葉で,僕を本当に嫌ってしまったならそう言ってもらおう。そう決めた。例え嫌いと言われても、僕は諦められそうになかったけど。
仕事を片付けて、やっとノストリアまでたどり着いたら、君はあの深い森の中で迷子になっていた。
居場所を示す魔具を持っていてくれて良かった。無茶にもほどがある。何人もの怪我人を治癒して、魔物と戦い、森の中でとんでもない浄化魔法を放っていただろう? いくら花で魔力を補給できるからって、どうしてあんな無茶をしてしまうんだろう。
君は助けを呼ばない。いつだって一人で何とかしようとしてしまう。誰にも助けを求めないなら、僕が君を助けに行く。いつだって僕は君を助けるようになっている。そういう巡り合わせにあるんだ。
森の中で見つけた君は、魔力がなくなり、あんなに冷え切って辛そうにしていたのに、わずかに補給した魔力も迷うことなく僕のために使ってしまった。僕の背後にいた魔物に氷の矢を向け、大したことのない傷を治すのに治癒魔法を使って魔力を使い果たして…。君を背負う僕を、君の腕がぎゅっと掴んだ。僕を離さないようにシャツを握る手も、安心して眠る寝息も、全てが愛おしかった。君が僕を頼ってくれた。それだけで僕は報われた。
ここに戻ってから、ずっと君の傍にいて君を見ていた。もう一時でも離れたくなかった。
昨夜の君は、僕の氷の魔力を欲しがって、氷の花を口実に君の唇に触れた僕を引き寄せ、抱きしめてくれた。もう少しだけ、そう言って僕の魔力をねだって、僕の氷の魔力を求めて唇を寄せ、僕を離そうとしなかった。僕も君を離さなかった。君を抱きしめる僕を、君は受け入れてくれた。
君に熱がなかったら、僕は自分を押さえられなかったかもしれない。
あの時、君が求めていたのは魔力だけだった? 僕はあの時、君に愛されていると感じた。それは僕が本当に欲しいものだった。僕だけが君を好きなんじゃない。君も僕が好きだと。
君に求められて、本当に嬉しかったんだ。
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