第6話 氷の騎士、花の魔女を信奉する
アイセルが花の魔女を初めて見たのは、フロレンシアに隣国サウザリアが攻めてきた時だった。
アイセルはフロレンシア騎士隊の魔法騎士として東部地区で参戦していた。サウザリアは国が接する東から攻めてくるのが常だったが、対峙した魔法騎士達は大した力のない者ばかりであっけなく勝利した。あまりに手応えがなく、嫌な予感がした。
この時のザウザリアは南部に主力の魔法騎士を送り込んでいて、そこには王都からの援軍の小隊が詰めていた。入った一報によれば、指揮官である王子は更に西寄りの別の隊にいて、小隊には魔法使いがたった一人しかいない絶望的な状況だった。
すぐに応援に駆け付けたが、アイセルが到着した時、戦いはほぼ決着がついていた。
アイセルは氷魔法では周囲の者より秀でていると自負していたが、そこにいた魔法使いの力はそんなものではなかった。
フロレンシアに咲く花達が、花の魔女の命で枝や茎から離れ、魔女の元へと飛んでいった。花を
見た目以上に苦しい状況だった。花の魔女がいなければ、敵国に侵略されていたかも知れない。
しかし咲き誇っていた花がなくなり、崩れた建物、魔法でえぐれた大地を見て、平和に慣れていた街の者は衝撃を受け、その心の痛みを花の魔女に向けた。
魔女は何の言い訳もせず、兵達と共に王都へと帰還した。
アイセルには、花の魔女を誹謗する者達が信じられなかった。
魔女が去った後、残っていたつぼみが咲き、散った花には実がついた。
負傷者は少なく、崩れた建物も砦を除けば思ったほど多くない。魔法で荒れた土地には草が芽を出していて、試しに種を植えると不思議にすくすくと成長した。
これが花の魔女の力…。一月も経つと、もはや花の魔女を悪く言う者はフロレンシアにはいなかった。
その後、フロレンシアの領主である兄ライノから王都の戦力の状況を探るよう命じられた。今回の戦いで王都からの援軍が思いのほか心許なく、弱体化している可能性があったからだ。
隠密魔法で姿を変えて自分を少し幼く見せ、王都の騎士隊の傭兵に志願し、一年契約で魔法騎士として国のあちこちに派遣された。
時々、花の魔女と共に戦うこともあった。強く美しい魔法を目の当たりにし、心を奪われ、密かに花の魔女の信奉者となった。
控えめに打った氷魔法を「とてもきれいな魔法だ」と褒めてくれた。しかし、偵察している自分は目立たないよう振る舞っていて、名前さえも覚えてもらえなかった。
本気の一撃を放ったらどんな風に評価するだろう。一度聞いてみたかった。
しばらくして、花の魔女が王子の婚約者であることを知った。有名な話だったのだが、その手の話にいかに興味がなかったかがわかる。しかし、少し関心を持てば、聞こえてくる噂は王子の信じられない対応ばかりだった。
休む間もなく戦いに向かわせ、戻ってくるなり着替えの時間も与えず夜会に招き、あえて人々の前で卑下する。婚約者でありながら、他の令嬢をそばに侍らせるのも常だった。
フロレンシアへの援軍も、王の軍が弱体化しているのではなく、王子の采配であえて花の魔女のいる隊を他と離し、魔女をサポートする魔法騎士を一人もつけていなかったことがわかった。
王子は花の魔女をあまりに蔑ろにしていた。
ライノは、花の魔女が王家から離れるならフロレンシアに招聘したいと言った。しかし、そんなことは夢物語だろうと思っていた。王子が王になればあり得るかもしれないが、今の王は花の魔女を手放す気はない。
しかし、アイセルの想像を超えて、王子はバカだった。
王が不在の時を狙って王子が魔女へ突きつけた婚約破棄。王が知らぬとは言え、書類にしてこうもはっきりと書き残していれば、覆すことはできないだろう。
この国での花の魔女の立場は、王子の婚約者である以外は意外とあやふやだった。それを王子が王家から追いやり、北の要塞へと手放したのだ。
北の要塞まで確実に送る。その旅は命令でありながら望んだものだ。行き先は知っている場所、自分の任期が切れるタイミングで湧いた話。運命としか思えなかった。
偉大な魔女は面白いくらいに普通の人だった。魚を素手で捕るあたり、もはや普通以上だ。話す言葉も気取りがなく、すぐに恐れ多いという気持ちはなくなり、身近に感じられた。そうなると、見守るだけでは物足りなくなっていった。
花の魔女に北の要塞は合わない。それはわかりきっていたことだった。北の要塞が引き取るのを拒めば、花の魔女と国をつなぐものはなくなった。不採用のサインは、たかが一枚の紙とは言え、その意味は大きい。
彼女は自由になった。
そしてもう一度、アイセルは魔女の手を掴むことができた。
これは運命だ。もう手放さない。
世間知らずな花の魔女は、あまりにチョロい。
心優しく、警戒心が薄い。アイセルが病気にかこつけて愛おしさに思わず抱きしめても、それを許すほどに。
自分以外の人間が、彼女の隙を突くなど、許せる訳がない。よくぞこれまで何もなかったものだ。王子の婚約者の地位が守っていたとしたら、それだけは唯一感謝すべき点だろう。
さらに、花の魔女の力は想定外が多く、底知れない。
魔物の瘴気を封じ、鎮魂を祈れば、弔いの花の魔法を受けて魔物の核が輝きを増した。それを売れば、通常の三倍の値がついた。その金を服の支払いに当てても、金は倒した者のものだ、と言う。
あまりに欲がなく、自分を知らない。もし強欲な者にその力が知れたら…。
知れば知るほど、危なっかしくて、放っておけない。
だからこそ、守らなければいけない。
花の魔女を守るのは自分だ。
◆
花の魔女フィオーレから預かった王家や北の要塞の書類をまとめると、アイセルはアイスバーグ家の魔法鍵のかかる書類棚にしまった。
王家が花の魔女との関係を絶った証拠だ。いざという時に役に立つだろう。
こうした書類をやけを起こして捨てもせず、きちんと持っていてくれた花の魔女に感謝した。
「よく花の魔女を手に入れられたもんだな。よくやった」
弟アイセルが花の魔女を自領に連れ帰ったのを見て、ライノは満足した。
ライノは、アイセルが自分の欲したまま、王家を牽制する道具として「花の魔女」を招聘したと思っていたのだ。
一年前に敵国が攻めてきた時、ライノは父の跡を継ぎ、アイスバーグ家の当主になったばかりだった。国王の軍を派遣してくれたのはありがたかったが、王子のあの花の魔女への当てつけで行った采配で、危うく中心の街に攻め入られるところだったのを苦々しく思っていた。そんな中でも死力を尽くし、フロレンシアを守り抜いた花の魔女。この国で最も強い魔力を持つ魔女がここフロレンシアに来てくれたのだ。こんな心強いことはない。
「まだ手に入れた訳ではありません。ようやく、近くにいられるようになっただけです」
ライノの「手に入れた」と、アイセルの「手に入れた」は違っていた。
フロレンシアに招くことくらいで満足できる訳がない。
「彼女に手出しは無用に願います。彼女を利用しようとするなら、例え兄上でも、容赦はしませんからね」
弟の凍り付きそうな視線と冷たい笑顔にライノは驚いた。今まで兄に忠実な弟として、手足となり働いてくれていた。兄弟と言うより信頼できる部下くらいに思っていたのだ。
「ノストリアの祖父も、花の魔女に興味を持っています。私共々受け入れてもいいと言っている。私は、彼女には北の地ノストリアよりも花の都フロレンシアが合っていると、今は思っています。彼女がここにいることを牽制に使うのは構いません。ですが彼女の力を狙っているなら、フロレンシアは花の魔女と氷の騎士を失うことになるかもしれない…」
これは、交渉だ。
従順な弟ではなく、フロレンシア随一の魔力を持ち、花の魔女ともつながりを持った氷の騎士との。
あまりに天秤の傾きが明確で迷うこともないが、ライノは
「まあ、おまえが振られない限り、おまえに任せるよ」
と答えた。
一番痛いところを突かれたアイセルは、じろりと兄を睨んだ。
ようやく敬語を使わずに話せるようになった。
名前で、しかも愛称で呼ぶことも許されている。
自分への君づけも何とかしたい。
次は…
アイセルは花の魔女への次の手を思い浮かべながら、少しつづ縮んでいく距離に手応えを感じていた。
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