釣った魚と釣りたい魚【なずみのホラー便 第141弾】

なずみ智子

釣った魚と釣りたい魚

 自分がちょっと咳をしたなら大騒ぎ。

 でも、配偶者がどれだけゲホゲホ、ゴホゴホと咳をしていようが発熱してようがお構いなし。

 それどころか苦しんでいる妻に向かって「体調管理ぐらいはちゃんとしとけよ。そもそも、たかが風邪だろ。ンなことより、俺と子どものメシは? すっげぇ腹すいてんだけど」と平気で言い放つような男が、厚子(アツコ)の夫だった。

 そんな夫がある日、いそいそと……いや、こっそりと出かけようとしていた。

 夫が手にしているビニール袋の中には、厚子が買い置きしていたフリーズドライの雑炊やスープ、栄養ドリンクならびに経口補水液がぎっしりと詰まっている。


「どこ行くの? それに、そんなにたくさん持っていくなんて……」


「……幼馴染の倫也(トモヤ)ンとこだよ。風邪ひいたっていうから、見舞いがてらに持っていってやろうと思ってさ」


「それは構わないんけど、いくら何でも持って行き過ぎじゃない? うちの分がなくなるわよ。倫也さんだって大人なんだし、結婚間近の彼女だっているんでしょ? あなたがそこまで世話を焼く必要はないと思うんだけど」


「…………幼馴染の心配をして何が悪いんだよ。……ったく、薄情な女だな。うちの分は、後でお前がちゃんと補充しとけばいいだろ」


 そう吐き捨てて出ていった夫は、数時間帰ってこなかった。



 それから約一週間後、厚子は夕飯の買い物に行った先のスーパーで、子どもの同級生のお母さんにばったり会った。

 このお母さんとはママ友と呼べるほど親しい付き合いはしていなかったが、互いに挨拶ならびに少々の世間話ぐらいは交わす間柄であった。

 ちなみに、このお母さんというか彼女は、保護者たちの中では若いうえにかなりの美人で、巨乳で美脚で声も可愛いという贅沢なおまけが幾つもついていた。


「あの……先日は本当にありがとうございました」


 何のことか分からず、首を傾げる厚子に彼女は続ける。


「私が風邪を引いた時に旦那さんが差し入れを持ってきてくれたことですよ。大したことのない風邪だったのに、あんなにたくさん差し入れてくれるなんて……私が横になっている間、旦那さんは子どもたちとも遊んでくれてましたし。あの時はちょうど、夫が長期出張中で頼れなかったので本当に助かりました。……あんなに優しくて思いやりのある旦那さんは、なかなかいないと思いますよ」



(完)

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