第2話
「カルンヘラ警部補」
いつの間にか自身の机の上に積まれていた書類を捌いていたアンヘルに声をかけたのは、直属の上司であるユンゲ・ゴルバトンであった。
「なんでしょうか、ゴルバトン警部」
「魔力事故の件についてだ。少し時間を貰えるか」
「…分かりました」
今アンヘルが抱える案件の中で、一番を争う厄介な事故。国際魔法警備局アヴニール帝国本部とアヴニール帝国警備局が合同で捜査をしている、帝都郊外シジェラ地区で起こった魔力事故のことだ。
この魔力事故は、国際盗賊組織ダグルが関わっていてもおかしくない程の被害を出している。この事故での死者は今のところ確認されていないが、巻き込まれた5名の意識が戻っていない他、被害者と直前まであっていたとされる関係者へ言われない疑いが向けられている状況だ。非常に慎重な扱いを求められるこの事故の話題は、捜査に携わっていない者も多くいるあの部屋では確かに話しにくい。
人気のない会議用の小部屋に入ったユンゲは、奥の方の椅子にどかりと腰掛けた。彼の座った向かいの椅子にアンヘルも腰を落ち着ける。
「…おまえは、この魔力事故被害者の関係者をどう見ている?」
「世間から疑われている人達だけで見れば、全員シロでほぼ確定と言っていいかもしれませんが、同時に、あまりにもクロに近すぎる。関係者全員が魔法を使えるだなんて、あまりにも出来すぎています」
「やはりお前もそう思うか」
「やはりということは、ゴルバトン警部も?」
思わぬ返答に、アンヘルは思わず目を見張った。
アンヘルが述べた考察は、あまりにも証拠のない感情の先行した論であるからだ。
魔力保持者は世界人口と比べれば遥かに少ないが、今回の事故は名前の通り、魔力の暴走によって引き起こされるものだ。魔力事故の被害者は魔力保持者である事の方が多く、その関係者も魔力を保持していておかしいことは無い。
だからこそ、感情論を否定しがちなユンゲが同意を示したことに驚いたのだ。
「魔力事故は必ず、その国に常駐する国際魔法警備局も調査にはいる。それが何故かと言えば、各国に置かれた警備局には魔法が使える人間がいないからだ。いたとしても、何かしらの理由をつけてウチに出向するから、結局俺たちが関わることに変わりはない。それほど珍しい魔力保持者が、たった5人しかいない被害者の関係者になるなど偶然がすぎる。しかもひとりは学生ときた」
「と、いうと。」
「学生は脆いが、若いが故の行動力もまた並外れている。最悪、悪い方に考えを巡らせて
「罪のない学生に最も重い罪を犯させることが、事故を起こした者の目論見だとゴルバトン警部は仰りたいんですか?」
「そう怒るな、あくまで可能性の話だ」
「…すみません」
確かに、ユンゲの言うことを一理ある。
現代社会では、
暗黙の規律を破った先に待つのは、自由を全て奪われる監視生活だ。
寿命を取り出すことも許されず、残りの時間を使い切るまで、窮屈な生活を強いられるのだと言う。
その生活の実態をアンヘルは知らないし、どんな役職の人間が監視員をやっているかも分からない。ただ、各国共通で絶対悪とされている事象に触れた者を監視する人間がいて、その人間にも生活があることは確かであるのだ。
アンヘルやユンゲが思いつきもしないことに手をつける思考回路を持っていてもおかしくはない。
だとしても、アンヘルはそんな最悪な想定が出て来ること自体が許し難かった。
(ゴルバトン警部は、この事故を解決するために色々な可能性を考えられている。そんなこと分かってるけど…)
「…もし、ゴルバトン警部が考えられているような人間がこの魔力事故を起こしていたとしたら、ゴルバトン警部はどう対応されるおつもりなんですか」
「証言を引き出して、対ダグルと同様の措置が取れるように上に交渉する。殺人誘発など、
「なるほど。巷で囁かれているダグルの関与はどう見られますか」
「構成員がとっ捕まったまま音沙汰のない国で暴れるほど、奴らも馬鹿じゃない。はったりとみていいだろうが、米粒ひとつくらいの可能性で頭に入れといて損は無い、と言ったところだな。カルンヘラ警部補は、ダグルが関与していると思っているのか?」
「殆ど同意見です。」
「なら何故、そんな無駄な質問を?」
「現在捕らえているダグル構成員は、ワタシが担当しています。ゴルバトン警部の考え次第では、今後の動きが変わってくるかと思いまして」
「…相変わらず強かなやつだな。今話しているのは魔力事故についてだろう」
ユンゲは呆れたようにため息をついた。
20代のうちに警部補まで昇進しただけあって、アンヘルはとても優秀な部下だ。近い将来、階級が並ぶ可能性だってある。
それだけに、一応上司から呼び出された案件についての話をしている最中に自身が抱えている案件の確認を挟んでくる面が目立ってしまう。
「すみません。ダグル構成員の扱いについても勿論確認しておきたかったのですが、ゴルバトン警部のお考えを聞いておいた方が、今後無駄な捜査をしなくても良くなるのかなとも思って」
「そうか。お前が何を考えているのかは理解した。とりあえず、魔力事故関係者についてはシロとして捜査を進めていく。関係者ついては、担当の
「分かりました」
「それから…」
きらりと、剣呑なユンゲの目がアンヘルを見据えた。
「ダグル・ララの件はお前に一任している。この事の意味、ゆめゆめ忘れるなよ」
「もちろん、承知しています」
「死ぬのが怖いって、当たり前のことです。でも、それを超えてしまうくらい、死にたい、消えてしまいたいって感情が膨らむ事も、本能的な防衛反応としてありえないことではありません」
穏やかで優しい声が、生きること疲れた客の身体に染み渡っていく。
トイフェルは、ナディーが生み出す独特の雰囲気が好きだった。
生命の禁忌に触れることを許された数少ない人間の作り出す、いっそ神聖と呼んでいいかもしれない空気が、依頼者だけでなくトイフェルまでもを呑み込んで、ふわふわとした心地に包まれて、言葉にし難い多幸感に抱かれるからだ。
「あなたがどうしてここへ来たのか、偽りなく聞かせてください。…あぁ、安心して、私はあなたを否定しないわ。決してね」
ナディーのその言葉を聞いて、依頼主は己の名前と、ナディーを頼ろうとしたのかを話し出した。
今回の依頼主はイリーナ・ハンベット。
現在、アヴニール帝国立大学附属高等教育学校の2学年に在籍している16歳である。
彼女は、トキという名の同学年の生徒と特別仲の良い関係を築いているそうだ。
「事の発端は、数週間前に遡ります。トキが原因不明の事故にあって、意識が戻らなくなったんです」
「それは…」
言葉が続かなかった。
数週間前、原因不明の事故、意識が戻らない。このワードから導き出される事故に、ナディーは心当たりがあった。
帝都郊外で発生した魔力事故の件だ。間違いなく、トキという名の生徒はこの事件の被害者として挙げられている子供だろう。
(そっか、この子は、あの事故の被害者の関係者なのね)
魔力事故の責任問題と、原因究明は中々骨が折れる。
「私、トキが事故に遭う直前まで一緒にいたんです。だから、何か知ってるんじゃないかって、警備局の人からも、学校からも聞かれました。でも私、本当に何も知らなくて…」
「そう証言を続けているにもかかわらず、周りからは信じて貰えていない、って所かな?」
「はい。トキがどうしてそんな事故にあったのかなんて、私が知りたいくらいなのに。誰も信じてくれないどころか、私がその事故を起こしたんじゃないかとまで言われて…もう、限界なんです。トキが戻ってこないかもしれない、誰も信じてなんかくれやしない世界で過ごすことが」
「だから、私の所へ来たのね?あなたの残りの寿命を、私が買い取ることができるように」
こくり、とイリーナは頷いた。
「なるほどね、大体の理由は分かったわ。辛かったでしょう、ここに来るまで、よく頑張ったわね」
「…頑張ってなんかないですよ。頑張れてたら、今貴女を頼りになんか来てませんから」
「そうかもしれないけど、そうやって思い詰めて、私たちの手を借りずにこの世から居なくなろうとして、その後の人生を大きく狂わせた人も沢山いるの。そうなる前に助けを求めることが出来たあなたはとても立派よ」
今度は、ナディーがニコリと微笑んだ。
「プライドが邪魔をして結果的に禁忌に触れる人間は、この世でいちばん愚かなんだから」
「…貴女、随分酷いことを仰られる方なんですね。貴女は望んだ人間の人生を終わらせることが出来る数少ない人なのに」
「数少ない禁忌に触れることを許された人間だからこそ言えるんだよ」
「それは、」
「お話中に失礼します、契約書類をお持ちしました」
何かを言いかけたイリーナを遮るように、トイフェルはすっと書類を差し出した。
いつの間にか近くにいたトイフェルに驚いて目を見張ったイリーナとは対照的に、ナディーはごく自然な動作で彼から差し出された書類を受け取った。
「契約書類の読み方は習ってる?」
「…一般教養なので、基礎的なものは」
「基礎を抑えてるなら十分すぎるくらいよ。とりあえず、一枚目から順に説明していくわね。でもその前に、少し休憩しましょうか。確認する内容が多いから、途中で止めると訳が分からなくなっちゃうのよね」
「必要ないです、早く確認しましょう」
「随分と真面目さんなのね。安心して、そんなに焦らなくても、時間は十分にあるわ。私の弟子が淹れるお茶はとびきり美味しいのよ、是非飲んで行ってちょうだいな」
「…分かり、ました」
少し不服そうにはしているけれど、イリーナはすっかりナディーのペースに呑まれていた。
ナディーの話術は特別だ。ただ話を聞いているだけなのに、いつの間にか彼女の言うことを全て聞いてしまわないといけない気分になるんだから。
その話術の一端を担えていると思うと、なんだか誇らしくて、ほんの少しむず痒さもあった。
(まぁ、僕は
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