第14話 幻覚の魔石

 イシアはローザとともに太陽の間を出て、控室へと向かう。

 控室は、男性用、女性用の部屋のほかに、会談室なども設けられている。

 普段のローザはいつも、化粧直しに少しだけ休む以外は、会場から離れることはないことは、かなり有名のようだ。

 だが、今日、イシアとローザが向かったのは、控室ではなく、会議室だ。

 エドワードとの打ち合わせ通りに、ローザを会議室に案内する。

 会議室には、エドワードの二つ下の妹、レベッカがいて、ローザはしばらくレベッカと過ごすことになっているのだ。

 これで何が起ころうとも、ローザには絶対のアリバイができる。

 皇族とともにすごしたローザを疑えるものは、いない。

 イシアはそのままローザと離れ、打ち合わせ通り、階段の踊り場の片隅に記録の魔石をセットし、すぐそばにある小さな掃除道具入れに潜む。道具はあらかじめ撤去してあるので、潜むスペースは十分にあった。

 控室へ向かう階段の踊り場は会場の喧騒こそ聞こえてくるものの、時折、人が通るだけで、静かである。

 やがて。

 カツカツという音とともに、誰かが階段を上ってきた。

 淡い水色のドレスを着たほっそりとした女性──フローラ・ランカスターだった。

「私、そんなつもりはありません!」

 彼女は周囲に誰もいないのを確かめるように見まわしてから、おもむろに叫んだ。

「違います! そんなんじゃありません!」

 悲壮な、必死な叫び。

 だが、そこには誰もいない。彼女は、叫びながら、自分で、髪に飾られた花を抜いて、散らす。結い上げられた髪が、もみ合いをしたかのように乱れた。

「やめてください! 嫌! ローザさま!」

 まるで争っているかのような声に、階下でざわめきがおこっているのを感じる。

 この階段は、階下から上の様子はよくみえないつくりだ。

 イシアは物置から出て、足跡をしのばせる。フローラ自身は階下を見下ろしながら、自分の演技に陶酔しているようだ。

「キャー!」

 フローラは勝手に声を上げると、何かを階下に投げ捨てた。

 下から悲鳴が巻き起こる。

 そのまま階段を下りて行こうとするフローラの左腕を、イシアはつかんだ。

「どこへ行かれるのです?」

「なっ、邪魔をするなっ」

 フローラは顔に似合わない言葉遣いで、イシアをふりほどこうとした。

 階下の悲鳴はどよめきに変化しはじめる。

「下に投げられたのは、幻覚の魔石ですね。おそらく、飛び降りた映像が終わるのに合わせて、階下で倒れる計算なのでしょう?」

 怪我の少なさは、浮遊の魔術を使ったと言えばいい。浮遊の魔術は、それほど難しい魔術ではないし、不自然にはならない。

 幻覚の魔石をあらかじめ作っておけば、実際に飛び降りて見せるより、印象的な光景を作り出せる。そして印象的であればあるほど、人の網膜に焼き付き、入れ代わる瞬間に気づかない。

「お前、あの時の夢解き師!」

 フローラの顔が憤怒に代わった。

「このっ」

 フローラの右手が魔法陣を描き、炎が噴き出した。イシアの髪がちりりと焼けた。

「風よ」

 イシアは指輪に仕込んでいた魔術を開放する。

 とっさに唱える呪術ではかなわなくても、準備をしたものならば、話は違う。

イシアの風が炎を圧倒した。

「はなせ!」

 手を振りほどこうとしたフローラともみ合ううちに、イシアは階段を踏み外した。

「まずいっ」

 イシアはそのまま転倒して、フローラとともにずり落ちるように転がった。

「ローナンさん!」

 レイクの叫び声がした。

 落下ではなく、階段を転がり落ちたため、浮遊の魔術を使う暇はフローラにもイシアにもない。何段か滑り落ち、フローラに組み敷かれる状態で、階段の途中で、止まったものの、イシアは全身に痛みが走って動けなかった。

「何をしている?」

 エドワードの声だ。

「殿下、あの、この人が! 急に私を襲ってきたのです! 捕まえてください!」

 フローラが、素早く立ち直って、泣きじゃくり始めた。イシアも何か言わなければと思ったが、声が出ない。

「早く、医者を」

 レイクの声だ。人が集まってきている。

「フローラ。先ほど、君がローザと争っているかのような声がして、上から飛ぶように落ちてきたように見えたのだが、その姿が消えたかと思うと、今度は転がり落ちてきたのだが、一体全体どういうことなのだ?」

 エドワードは静かに問う。

 周囲の人間は、何が起こっているのかわからず、沈黙したままようすをうかがっているようだ。

「そんなのどうだっていいではありませんか! その女が、私を襲って来たんです!」

「大丈夫か、ローナンさん」

 フローラを無視して、レイクがイシアに駆け寄る。

 イシアは、声が出ないまでも、何とか頷いて見せた。

「殿下、この人が、ローザさまに言われて、私を襲ってきたのです!」

 レイクの親し気な様子を見て、フローラはシナリオを変更したようだ。彼女の身体から、まばゆいばかりの魅了の術が再度放たれたのを、イシアは感じた。

「フローラ・ランカスター、もう、お前の魔術は、オレにも、レイクにも効かない」

 エドワードの目に怒りが浮かんだ。

「魅了の魔術を受けると反応するように魔道具を作ってもらったんだが、ここまで強引に使ってくるとは。お前にとって、オレは都合のいい操り人形ってわけだ」

「殿下、私は!」

 フローラは必死で首を振る──が、その声はとどかない。騎士たちがエドワードの指示でフローラに魔術を抑制する魔具をとりつけていく。

 エドワードはなきじゃくるフローラを無視して、階段をのぼり、イシアの置いた記録の魔石を回収した。

「階段の上で何があったのかはこれに映っている。イシア・ローナンが正しいのか、フローラ・ランカスターが正しいのか。そして、ローザが何をしたのかもね」

「くそぉ」

 淑女とは思えない悪態をつきながら、フローラは連行されていった。

「閣下の、予知の通り落ちてしまいました……少し、違いますけれど」

 レイクに抱かれたまま、イシアはか細い声で苦笑する。

 どうやら、足の骨を折ったのは間違いない。痛みで気が遠くなりそうだ。

「防げなくて……すまない」

「いえ、夢解きが完全でなかったのは、私のミスですから」

 イシアは首を振る。

「君は悪くない。私は、夢のすべてを話さなかったのだから」

 レイクはそういうと、意識が少しずつ遠のいていくイシアの頬をそっと撫でた。


 


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