第11話 不自然な感情
フローラ・ランカスターという名を聞いた時、レイク・クレントンはすべてのもやが晴れたように感じた。
──なぜ、彼女に気づかなかったのだろう。
今になって思えば、イシアが見せた術者の後姿は、間違いなく、フローラ・ランカスターのものだった。長い金髪、ほっそりとした体。細いおとがい。すべてのものが、彼女を指している。
『術者ではないはずだという『確信』こそが、『魅了』の効果。それは、宰相閣下も同じです』
イシアの言葉を思い出す。
外見だけではない。
よく考えれば、すべてのものが彼女を指していた。
フローラ・ランカスターは伯爵家の次女で、朗らかな印象の女性だ。少し破天荒なところがあるが、優しく、思いやりのある女性で、およそ呪術とは縁のなさそうな印象だった。
が。
本来は彼女が参加できないお茶会に紛れ込んだり、ローザとエドワードが話しているところに割り込んだりもしていた。また、許可もないのに、エドワードの執務室に押しかけたり、勝手に宮殿の庭園に入り込むということもあった。
レイクの立場なら、見とがめるべきことだったはずなのに、なぜかそうできなかった。どこかで何かがマヒをしていて、それが悪いことだと思えなかったのだ。
──なんて不自然な。それが、魅了の術の効果なのか。
恋にならぬほどのわずかな効果しかレイクにはかけられていなかったはずだが、それでも、黒が白になるほど認識に変化があった。
「今思えば、不自然なことが多かった。普段なら疑問に思うことも、警戒することも全くなくて、オレは彼女のすることをすべて肯定し、許していた」
エドワードが大きく息を吐く。
「いつもと違う自分の感情の原因はわかっていた。彼女だから、彼女ゆえだと。その盲目的な『好意』と『信頼』は、魅了の術に堕ちていたからなのだな。オレは阿呆のようにあの女に操られ、いいように使われるところだった」
エドワードは口の端をわずかにあげる。フローラ・ランカスターの名を出したことで、完全にすべてを悟ったのかもしれない。
その目に宿るのは、強い怒りだ。
「裏切っていたのはオレのほうなのに、反対にローザへ悪意を抱いていたとは、自分が情けない」
「……殿下」
「ローザの一番の味方が、兄のお前だと判断した奴は正しい。オレは……術が解けても先ほどまでローザを気持ちは裏切っていた。冷静に考えれば、ローザが人に罵詈雑言をぶつけるような人間ではないことは誰よりも知っていたはずなのに」
エドワードとローザは恋愛感情はともかく、幼馴染だ。
婚約者として、それなりに信頼と友愛を重ね、良好な関係を保っていた。そのローザを陥れようとしている片棒を担がされそうだと、気づいた時、エドワードの中でくすぶっていた熱病のようなものが一気に冷めたのかもしれない。
「術を伴わない好意は一瞬で崩れる、か」
レイクはイシアの言葉を思い出す。
「本当の好意や信頼は、簡単には崩れませんよ」
イシアは微笑む。
「実際、閣下は、十年以上も前の父の仕事を覚えていてくださった」
イシアの言う通りかもしれない。
月日がたっても、消えないものはある。ライナー・ローナンの仕事への信頼がなければ、一人、訪ねていくことはなかったかもしれない。
「それに……まだ、その方が術者であるという証拠はどこにもありません」
イシアが冷静に告げる。
「殿下への術を解析すればすべて明らかになる。宮廷魔術師が総力をあげれば──」
夢解きは証拠にはならないが、エドワードにかけられた魅了の術はエドワードから切り離したものの、まだ残したままだ。たどれば、必ず術者にたどりつく。
「待て。魅了の術をかけられているのが、オレとお前だけとは限らない」
エドワードの指摘に、レイクは思わずイシアの顔を見る。
「恐ろしいほどの術の使い手です。可能性はあると思われます」
イシアは術をたどろうとして、反撃を受けた。彼女は魔術師ではないが、夢解きの腕から見て、決して実力がないとは思えない。
「殿下は宮廷魔術師の中にも、術にかけられた人間がいると?」
「その可能性があると思ったからこそ、お前もバーバラ・リュシュカに依頼したのだろう?」
「……はい」
必要な実力と、人格を考え、かつ女性であるとなると、レイクが思いつくのは彼女しかいなかった。もちろん、女性相手にも、魅了の術は有効だ。ゆえに絶対に安全だと思ったわけではないが。
「デビット・スカウもそうなのかもしれません」
レイクはふと、先ほどのイシアの話を思い出す。
「確かに彼が二度も間違うのは不自然です。魅了にかかっているのか、単に仲間なのかは判別つきませんが」
「リュシュカに調べさせよう。だが、いちいち要人に術がかかっているか否かを調べるのは面倒だ」
エドワードはにやりと口の恥を上げる。
「ちょうど三日後、太陽の間で皇室主催の舞踏会が行われる。オレの夢の通り、フローラ・ランカスターに階段から落ちてもらうのはどうだろう?」
「それは……」
「夢解き師どのにも協力してもらって、絶対にローザが疑われない状況を作って罠をかける。現行犯なら、裁くのも簡単だ」
「……閣下の術が解けていることは術者も気づいています。そこまで無茶をするでしょうか?」
イシアが首をかしげる。
「フローラ・ランカスターならやる。今ならわかる──あれは、そういう女だ」
「私も……そう思います殿下」
レイクはフローラ・ランカスターの姿を思い浮かべ、確信をもって同意した。
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