第5話 魅了の術

 案内された部屋は、とにかく広かった。

 本来はパーティなどを開くときに使う部屋らしく、壁面や天井の装飾が非常に凝っている。

 高い天井には豪奢な魔道灯が吊るされていた。

「広さはじゅうぶんだろうか?」

 クレントンは心配そうにイシアに尋ねる。

「はい。広すぎるくらいです」

 イシアは苦笑する。

 魔法陣を広げるにはそれなりのスペースが必要なのだ。ただ、その『広さ』の感覚は、庶民の価値観だったようだ。用意された部屋は、必要な広さの十倍以上だった。

「広くて困ることはないので、助かります」

 言いながら、イシアはカバンの中から、魔法陣の刺繍を施した一枚の布を広げる。

「昨日も思ったが、魔法陣というのは、いちいち描くものではないのか?」

「その方が良いのは確かですが、床が汚れます」

 イシアはふふっと笑う。

 もちろん魔力で描く線だから、染料を使うわけではない。厳密に『跡』がつくことはまれである。

 まれではあるが、ゼロではない。

「あと、刺繍で描いておくと、魔力の節約になるのですよ」

 夢解き師であるイシアも魔術を使うが、本業の魔術師ほど魔力が無尽蔵にあるわけではない。刺繍時に魔力を込めているので、使用時に若干の魔力を足すだけで、術効果が表れる。

 その場で描くほど、効果は得られないが、一から描くより、魔力コストは低くて済む。

「それで、どうすればいい?」

「できれば、身に着けているものをお借りできませんか?」

「これで、良いだろうか?」

 クレントンが差し出したのは、金の懐中時計だった。

 古いもののようだが、大切に使用しているのがよくわかる。

「お借りいたします。では、カーテンを閉めて、香を焚きますね」

 イシアは懐中時計を受け取ると、窓際に寄り、カーテンを手にした。

 明るくても解除の術式はできなくないが、魔術の種類などが見にくくなる。

 払うだけならそれでも良いが、後々のことを考えれば、術をかけたのが誰かを突き止めたい。

 それがわかると対応が随分と楽になる。

 カーテンを閉め、香をたくと、ろうそくに火を灯し、魔法陣の周りに配置した。

「まずはその魔法陣の中心に座って下さい。そう、静かに座って下さればいいです」

 イシアの指示で、クレントンは魔法陣の中央に腰を下ろした。

「はじめます」

 イシアはパンと手を叩いた。

 ろうそくの炎が一斉に輝きを増す。

 すると、魔力のエーテルの流れが視覚化した。風、光、闇、大地……それらのエーテルがゆらゆらと動いているのが見える。

 目を凝らすと、一本の均一な金の糸のようなものが、クレントンの身体に絡みついていた。

──教科書通りのきれいな術だわ。それほど強固ではなさそうだから、解くことは、簡単だけれど。

 イシアはじっと魔力の糸を見つめる。

──これ、素人ではないわ……。

 力そのものが微量だったため、術者の技量を見誤っていた。

 クレントンの気を引きたいと願い、素人の女性がかけた魅了の術ではない。

 術の効果は弱いものの、かなりの実力者だ。

 力のない人間がかけた術なら、魔術の糸は均一にならない。

──術効果が微弱なのは、わざとかしら。

 クレントンに魅了の効果は、まだはっきりと表れていない。

 この術をかけた人間ならば、もっと強い術をかけられるはずだ。

 それをしなかった意味は何なのか。

──悩ましいわね。

 なんにせよ、基本に忠実な術であるから、解除もしやすい。

 問題は、術そのものが細すぎて、相手を探りにくいところだ。

──とはいえ、やらないと。

 イシアが気になっているのは、夢の後半だ。

 一般的な視点から見れば、親しい人間を手にかける夢は悪い夢ではない。

 相手を思えばこその、強い感情から生まれる『夢』だ。

 ただ、クレントンの夢は『予知』で、そういった解釈はすべきではない。

 読み解かれたのは、魅了をかけた相手のせいで、クレントンが妹に刃を向けるという『可能性』だ。

 魅了を解けば、クレントン自身が妹を害することはなくなるだろう。

 が、妹に対する『悪意』が消えるものではない。

──身代わりを使った方が良さそうね。

 イシアは、借りた金時計を宙に浮かべる。

 相手にできるだけ気づかれないように、術を解除するために、一度、モノに魅了の術を移動させる方法だ。

 かなり手間だが、解除の瞬間に相手が気付くことを防ぐことができる。

 イシアはゆっくりと魔術の糸をクレントンから外し、懐中時計に巻きなおしていく。

 できるだけ、自分の魔力を使わず、糸を切らないように巻く作業は、神経が磨り減る作業だ。

 モノに移してしまえば、解除は急がなくてもいいので、ゆっくりとその糸を解析できる。

 魔術の糸は細いが、かなり粘着質だ。

──ふう。なんとか、できた。

 懐中時計に術を移し終えると、イシアは、クレントンに楽にするように伝える。

「どうですか、体は?」

「少し軽くなったような気がする」

 クレントンはにこりと微笑む。

 イシアは思わず、またその顔に見とれてしまいそうになり、慌てて目をそらした。

「では、今から、術をたどって、術者を割り出します。懐中時計をずっと見ていてください」

「わかった」

 イシアは糸に合わせて、思念を這わせていった。

 長い金髪で、ドレスを着ている。

 手にしているのは、赤い指輪だ。

 なかなか顔にたどり着かないのは、術者が巧妙に自分を隠そうとしているということに他ならない。

 細いおとがい。ふっくらとした唇が、にいっと口の端が上に動いた。

「あっ」

 金の糸がぷつりと切れ、跡形もなく消えた。

 術が強制的に断ち切られたことで、イシアは全身を殴られたような痛みを覚えた。

 ケホッ

 大きくせき込むと、喀血していた。血が広がる。

「ローナンさん!」

 鮮血に驚いたクレントンが声を上げた。

 イシアは、口元をぬぐい、痛みを逃がすように大きく息をする。

「申し訳ありません。相手に逃げられました」

「それはいい。医者を呼ぼう」

 大丈夫、と口にしつつも、イシアはそのまま、意識を手放した。



 




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