第4話 侯爵邸
翌日の午後。
クレントン家から馬車が迎えがやってきた。
「じゃあ、アベル、数日帰ってこれないかもしれないから、戸締りとかしっかりしておくのよ。それと、ごはんはちゃんと食べなさいね」
「わかっているよ、姉さんこそ、忘れ物はないよね? 香炉は持ったの?」
イシアの荷物を馬車にのせるのを手伝いながら、アベルは世話を焼く。
「それにしても相変らず、その格好、ダサい」
アベルはイシアの恰好を見て、眉間にしわを寄せた。
イシアは、ゆったりとしたこげ茶色のローブを羽織っている。
イシアとアベルの父、ライナー・ローナンが、イシアのために作ってくれたものだ。夢解き師のスタンダードな服装で、ローナンも同じようなローブを着ていた。
「別にそんな恰好しなくても、いいじゃん。どうせ昨日は普通の服を着ていたのだし」
アベルはこの夢解き師の定番の服装が、嫌いなのだ。
上等な布を使用しているけれど、デザインは古臭い。やぼったい恰好なのは事実で、多感な年ごろのアベルの感性には耐えられないらしい。
「馬鹿ね。貴族のお屋敷に行くのに、これ以外に着ていける服なんて、どこにあるのよ」
「それはそうだけれど……ああ、ダサい。そんなの着なきゃいけないなら、おれは夢解き師になりたくないなあ」
「アベルはなりたいものになればいいわ。行ってくるわね」
イシアは優しく微笑んで馬車に乗り込む。
「気をつけてな」
口は悪いけれど、姉思いのアベルは心配そうに馬車を見ている。
相手が貴族ということで、機嫌を損ねないかも心配なのだろう。
「では、出発します」
御者が声をかけ、馬が走り出した。
クレントン侯爵家の屋敷は、やや郊外にあって、広大な敷地を持っている。
門から屋敷まで、徒歩で行くのにどれだけかかるのだろうと、馬車に乗りながら、イシアはぼんやりと外を眺めながら考える。
貴族の屋敷に入るのは初めてではないが、やはり格が違う。
昨日のクレントンの話では、イシアの父、ライナーはこの屋敷に出入りしていたことがあるらしい。
ライナーはアベルが生まれると、貴族の屋敷に出かけることはなくなっていた。だとすれば、父とクレントンの出会いは、クレントンの少年期のはずだ。それなのに、父を頼って現れたということは、父の『客』であったのかもしれない。
人は誰でも夢を見るが、予知夢はまれだ。おそらく、ではあるが、見る人間も限られている。
昨日、少し話を聞いたところによれば、クレントンの母親は夢解きに熱心だったらしい。
母親はレイク・クレントンの夢見の才能に気づいていたのかもしれないが、継続的に夢解き師を出入りさせていたわけではなさそうだ。
たいていの人間は、夢の内容が気になっても、夢解きが必要なほど、心に残って根を張るような夢を見るわけではない。
クレントンのように予知夢をみることができる人でも、普段の夢は、夢解きが必要なものばかりではないだろう。
実際の話、夢解き師が解かなければならないという夢は、そんなにあるわけではない。
馬車がゆっくりと止まり、扉が開いた。
「ローナンさま、どうぞ」
御者の手を借りて、イシアは馬車を降りる。白亜の石造りの屋敷は、今まで見たどの屋敷よりも大きいものだ。
「お待ちしておりました」
深い礼を取って迎えてくれたのは、初老の男性だった。背筋はぴんとしていて、少しも老いを感じさせない。目には知性の光が浮かんでいる。
「この屋敷の家令、オークランドと申します」
「イシア・ローナンです。よろしくお願いいたします」
オークランドは、イシアを見て目を細めた。
「ライナー・ローナンさまと目元が似ておられますね」
「よく言われます」
イシアは微笑む。
この屋敷に父が来ていたのは、十年以上前と思われるのに、まだ、顔を覚えていてもらえたことが嬉しいと思う。
「こちらへ。旦那様がお待ちでございます」
イシアはオークランドの案内で屋敷の中へ入る。
玄関ホールは吹き抜けで、目の前に階段があった。
階段脇の壁に掛けられた肖像画は、前侯爵だろうか。面差しがレイク・クレントンに似ている。
案内されたのは、どうやら応接室のようだった。
「旦那さま、ローナンさまがお見えになりました」
「そうか」
待っていたクレントンは、一日で人が違ってしまったかのように、生気を取り戻していた。
エメラルドの瞳に命のきらめきがあり、血色も昨日よりずっと良くなっている。
「昨日の今日で、無理を言ってすまなかった」
「いえ、ほかに仕事はありませんでしたので」
クレントンの微笑みのまぶしさに、イシアは慌てて俯いた。
美形は心臓に悪い。イシアはうっかり顧客にときめきそうになる自分を戒めた。
今日の様子を見ると、魅了の術をかけた人間の目的は、やはり『彼』にあるのかもしれない。
「お加減はいかがですか?」
すすめられるままに、クレントンの向かい合わせに座ると、イシアは問診を始める。
仕事をしないと、いつまでもクレントンの顔を眺めてしまいそうだ。
「体が随分と軽くなった。頭もすっきりしたよ」
クレントンはご機嫌のようだった。
「それはようございました」
もっとも、本人の口から聞かなくても、体調が改善したのは、見た目でもわかる。
夢解きひとつで、ここまで変わるのも珍しい。
「魅了の術だが、言われたように、広い部屋を用意した」
「ありがとうございます」
イシアは頭を下げる。
「時間はどれくらいかかるものなのだ?」
「術式にもよりますので、なんとも。早ければ半日ほどでしょうか。場合によっては、数日かかることもあります」
「そんなに?」
「結局のところ、相手がどの程度の力の持ち主かによって違ってまいります。見たところ、私で対処可能な相手だと思いますが」
イシアは言葉に反して、控えめに頭を下げた。
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