第33話 海とビキニ

     

「チャラチャラしやがって」

 吐き捨てるように言い放った梅香の顔には、忌々しいと書かれていた。

「梅香だろ。海に行きたいって言い出したのは」

 確かに、海パンに花柄のシャツを羽織り、ビーチサンダルを履いて、キャップにサングラスまでしている俺は、チャラチャラしている風に見えるだろう。しかし行き先は真夏の海。むしろこれが正装だ。

「親友が傷心で海に行きたいって言ってるのに、なんでそんなウキウキと海水浴の準備してくるかな?」

「だって今真夏よ? 夏休みだよ?」

「あー、もう。杏ちゃんは勝手に沖まで泳いで戻ってを繰り返せばいいよ。私は今、傷心の女の子なの。ただ静かに海が見たいだけなの……」

 梅香はそう言って、どこでもない遠くを見た。


 そのやりとりがあったのは、ホテルまで梅香を迎えに行った、今から1時間前のことだ。そして現在、目の前に広がるビーチには、日除けのテントやカラフルなパラソルが所狭しとならび、ファミリーからカップルまで、幅広い年代のレジャー客でごった返している。

「傷心の女の子が、ここで何をするつもりだったんだよ?」

 とりあえず、空気入れのポンプを踏み、浮き輪を膨らませながら梅香に問いかける。

「なんか、思ってた海と違う……暑すぎる。水着も持ってきてないし……杏ちゃんとドライブもしんどいしなぁ……どうしよ」

 しんどくて申し訳ありませんね。心の中で回答しながら、今朝、海に行く準備をしていた時らいちに持たされた『梅香セット』を彼女に渡す。

「なにこれ?」

「らいちが、梅香に渡せって」

 梅香は中身を確認しながら雄叫びを上げた。

「おああああああああ? これ、らいちの? 着た? 水着ダァああああああああ」

 テンションがおかしい。

「通販で買ったらサイズ小さかったんだって」

「日焼け止めもサンダルまであるぅ。クッソ……泳ぐしかねぇ」

「お?」

「泳ぐよ! この三角ビキニで! 馬鹿野郎」

 やっぱり梅香のテンションがおかしい。しかし、今日はこれにとことん付き合うつもりだ。


 海の家で着替え、水中メガネをレンタルして、日除けの小さいテントを設営する。それから、二人で沖まで泳ごうとして挫折したり、梅香の浮き輪のエンジンとして散々泳いだり、砂に埋められたりと、彼女の気がすむまで付き合った。というか、自分も海を満喫した。

 日陰になっているところを探して、並んで腰掛ける。梅香は手元の青いかき氷をかき混ぜながらぼやいた。

「日焼け止めしてても、これじゃあ焼けちゃうなぁ」

 それはそうだ。水着の面積が少ない。そして、いろいろなところにフリルがついているせいか、面積の割にエロさも少ない。色々と少ないが、梅香は着こなしていた。

「でも似合うよ。水着」

「水着の話しじゃないよ。日差しの話だよ。でもありがとう。こんな三角ビキニなんてなかなか自分で選ばないよ。さすがらいち。可愛いよね、これ」

「うん。可愛い。もう泳がないの?」

 俺もどぎついピンク色のかき氷を混ぜる。これは、ピーチ味らしい。

「全力で遊んだから疲れたぁ。なんで私、好きな人を寝取った奴と遊んでるんだろ。友達少なすぎるのかな」

「ねと……リマシタネ。そういえば」

 ピンク色を口に運ぶ。混ぜ方が足りないのか、冷たさと、うすら甘さが口に広がった。

「……ねえ梅香、らいちとどんな話したの?」

 らいちは全部伝えたと言っていたけれど、どんな話をしたかは聞いていなかった。梅香は、俺の問いを一旦無視して青いかき氷を口に運び、深いため息をついた。

「らいちね、私のことは、ずっと好きだったけど、高校時代も今でも、そばにいると苦しいんだって」

「苦しい?」

「同い歳の女の子なのに、私には友達がいて、両親が当たり前に心配をして、将来の夢があって、首都圏の大学に進学して、成人式には綺麗な振袖を着て。それが全部、羨ましくて苦しかったって」

 後半は声が震えていた。

「そんなの、どうしようもないよね。私は私だし……でも、なんか、もっとできなかったかなって、考えてもどうしようもないのはわかるんだけど、でも……」

 思っていたよりも重くて、どうにもできない内容に、俺は彼女へタオルを渡すことしかできなかった。少し沈黙の後、振り絞るように梅香は続けた。

「それでね、今は杏ちゃんと付き合ってて、すごく幸せなんだって。私の気持ちも、気が付いてたみたい。それですっぱり、振られました。好きな女の子を親友に寝取られた話でしたー」

 梅香はやたらと早口で捲し立て、無理やりおどけて舌を出した。全く笑えない。でも「舌が青くなってる」とか言って、笑顔を作った。

「そういえば、かき氷って食べると舌が染まるよね。なんか、夏休みって感じする」

「夏休みだし、いいじゃん」

 目の前の砂浜で遊んでいる人たちはみんな楽しそうだし、俺たちもきっと周りからそう見えているんだと思う。人って、パッと見ただけじゃどんなことを抱えているかなんて、わからないもんなんだな。なんて考えながら、二人で暫くビーチをぼんやりと眺める。

「そうそう、私さ杏ちゃんをキープしてたじゃない?」

「あー、してたね」

「もういいよ。振ってあげる」

 何かのついでのように、こちらも見ないで告げられた。急に言われたその言葉は、なんだか自分に向けたものじゃ無いように聞こえた。まるで、他人事だ。そう思いながら、溶けかかったピンクをスプーンでひたすら口に運ぶ。ピーチ味ってどんな味だったっけ? 訳がわからなくなるほど、ただひたすら甘い。梅香は、かき氷のカップに口をつけ、残りを飲み込んだ。

「自由にいこ? 私も、らいちも、杏ちゃんも。ね?」

「……うん」

「結局さ、高校の時、らいちを助けたいなんて考えてたのが烏滸がましいんだよ、私は」

「でもさ、らいちにとって梅香がいない高校生活なんて、洒落にならなくない? 梅香が好きすぎて、近寄ってくる俺なんかも嫌いだったとか言ってたし」

 慰めたつもりの俺を、梅香は睨む。

「じゃあなんでそこくっついてんのよ。バカ! 私のこと応援してたんじゃないの? 寝とってんじゃねぇよ。もげろ。クソハゲ」

「禿げてはない」

「うるさいな。自分のつむじのあたり、見たことないでしょ?」

「え?」

 慌ててつむじのあたりをさする。髪の毛はあるけれど、薄さは手触りではわからない。

「……まじで?」

「彼女に見てもらいなよ」

 梅香はニヤニヤしながら、「もうさ」と続けた。

「ほんとはもう、なーんも考えたくなーいよーん」

「よーん。って……バグってんな」

「バグらせてよ。あー、なかなかうまくバグれない」


 そう言って、梅香はまた泣き出した。

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