第32話 勇者
セミの声と、ゆらゆら薫る空気を背負って、梅香が幸せそうに笑っている。
ずっと好きだった人に久しぶりに会ったのだから、それはそうだろう。らいちも、後ろめたいことなど一切ないかのように、それに応え弾けるような笑顔だ。
そんな二人を直視できない俺は、それでも気になるからチラチラと横目で様子を伺いながら、無言で罪悪感に押しつぶされている。
「駅までえ迎えに来てくれて助かったー! こっちも暑いけど、あっちよりはかなりマシかも」
梅香はハンディファンで首元に風を送りながら、後ろ髪をかきあげる。大学生らしい、はっきりめの化粧に目が慣れない。
「梅香はこっちに泊まっていくんでしょ?」
「うん。でも、ドラゴンさんの家にお世話になるのも悪いかなって思って、ホテルとってる」
うちには泊まらないのか。二人のやりとりを聞いて、少しだけ安心してしまった自分がなんだか薄情で嫌になる。
「きょーちゃんは今日お店だから、梅香ぁ、二人でご飯にいこ?」
らいちの喋り方が昔に戻っていた。
「んー私、杏ちゃんの話聞くつもりだったから、お店に行って話聞こうかと思ってたけど……今日って忙しい日だった?」
そうでした。梅香の中では、俺は常連客のグミさんに酒の勢いで告白をしたまま風邪をひいて、そしてその後のことは伝えていなかったから、まだぐずぐずと燻っていると思われている。きっと。
「本人のいないところの方が話しやすいこともあるんだよ」
らいちが腕を組んで頷きながら言う。仕草がいちいちあざとくてかわいい。それは梅香も思ったようで、らいちを凝視している。ちょっと怖い。
「らいちは杏ちゃんから全部聞いたの?」
「全部かわかんないけど、流れは知ってる」
「そっか、じゃあ、らいちとゆっくりご飯しながら聞こうかな。荷物、ホテルに置いてからでいい?」
梅香は納得した素振りで、納得いかないと視線をこっちへ投げてきた。
受け止めきれない俺は、それに気が付かないふりをした。
車で彼女たちをホテルまで送り、そのまま店に戻る。今日はそれなりに客も入り、物思いをする暇がなくて助かった。なんて思いながら、溜まってきた洗い物に手を出すと、ドラゴンさんが手伝いに入ってくれた。
「梅香ちゃん、お店に来ないの?」
「なんか、らいちと二人で飯行きましたね」
「避けられてるのね、杏がすけべだから。なんか解るわ」
「わからないでくださいよ……あ、そういえば、グミさんどうなったんですか?」
あれから数日、ドラゴンさんはバタバタ忙しくしていた。きっとグミさんと、その家族の世話をしていたんだろうと思う。推測なのは、手伝いを申し出ても、プライバシーだからと断られていたので、なにがどうなっていたのかよくわからないないからだ。プライバシーといっても、大体は本人から聞いていたので、今更とも思うけれど、ドラゴンさんが喋るのはなんか違うらしい。
「さてねぇ。でも、私がこうして店で落ち着いてるんだから、あっちもそれなりに落ち着いてきたのよ。心配かけたわね」
ドラゴンさんは、自分でかわいいとでも思っているのか、ウインクをした。こんな時どんな顔をしたら良いのか分からず、とりあえず笑った。
夜も深くなり、帰りが遅いらいちが心配になり、スマホを確認する。そこには「梅香のホテルにお泊まりするね」とベッドの上で頬を寄せて写真に収まる二人の姿があった。
とっても良い百合をありがとう。ありがたく画像を保存して、拝んだ。
しかし、片方は俺の彼女だし、もう片方はこの前まで片想いをしていた人だ。この娘らに挟まりてぇなんて、高校時代は思っていたけれど、今では精神的に板挟みになっている。コレジャナイ感とはまさにこのことだ。そんなことを考えながら仕事を終え、いつもより静かな家でベッドに入る。そして明け方、玄関から入り廊下を歩く足音で目が覚めた。その足音が部屋の前で止まり、ドアが開く。
「……らいち?」
「うん」
らいちがそのままベッドに入ってきた。条件反射で抱きしめる。
「杏、ありがと」
腕の中のらいちは他所の匂いがした。
「梅香にね、私の気持ちを伝えてきた。いっぱい話をして、いっぱい泣かせちゃったし、私もいっぱい泣いた。でもね……」
言いかけながら、らいちは俺の背中に回した両腕に力を込める。
「私には杏がいるから大丈夫だった」
梅香に悲しい思いをさせている張本人の俺だけれど、らいちの心の支えにはなれているらしい。
「うん。頑張ったね」
彼女の髪に顔を埋める。
「だからね、今日は梅香のそばにいてあげてね」
「梅香は俺の顔なんて見たくないと思うけど」
「そばにいても、いなくても良い。でも今日は、私の事考えないで良いから、梅香の言うこと聞いてあげてね」
「刺されるかも」
「刺されてあげて」
刺されるのか。嫌だな。でも仕方ないな。梅香にならいいか。
「わかった」
「でも、朝まではこうしてて良い?」
「うん」
ずっと一人で抱えてきた、くそでかい感情に決着をつけてきた勇者を腕の中に迎え入れて、再び眠りについた。
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