第21話 家族

 シェアハウスに戻ってからのらいちは、ファミレスで見せた疲れた女の影は消え失せ、あざと可愛いちょっぴり天然の20歳の女の子に戻っていた。

「ドラゴンさん、急に来ちゃってすみませんでした。お世話になりました」

 出かける準備を整えた梅香が、深々と頭を下げた。

「いいわよいいわよ。楽しかったわよ、またね! 梅ちゃん」

 ドラゴンさんはにこやかに手を振り、車のキーを俺に渡した。

「杏、梅ちゃんを駅まで送ってって。らいちちゃんは、私と面接ね」

 指名されたらいちは、廊下の奥で力なく笑顔を作っている。その様子を気にしたのか、梅香は再度玄関を上り、らいちの元へ戻った。何度目かのハグをして、何度目かの約束をした。

「絶対。連絡先、教えてね」

「うん。もちろんだよぉ」

 ふわふわと掴みどころがなく、耳障りのいい言葉で本音を隠す。いつものらいちがそこにいた。


「陰毛をもらって、お守りに入れておけばよかった」

 駅へ向かう車内で梅香がこぼした。

「インモウ……なにそれ? 変態の呪いの儀式かよ」

「なんかさ、らいちが心配すぎて離れられないけど……今は私がいない方が相談しやすそうかなって思うと、やるせないって言うかさ……あ、らいちハイジニーナだったからダメだわ」

「エ?」

「他言なきよう」

「今朝も聞いた。梅香から。よかったね。一緒に風呂に入れて」

「ありがとう……大事なことなのでもう一度言いました。あえて」

 今朝、らいちは住むところがない事実だけを梅香とドラゴンさんに告げた。梅香は学生寮に入っているため、連れ込むことが出来なかったので、ここは改めて大人に相談と言おうことで、一旦ドラゴンさんが預かると話してくれた。

 駅に到着し、別れ際に梅香は神妙な顔でこちらを見据えた。

「杏ちゃん、ありがとうね。後、らいちのことお願いします」

 深々と頭を下げたので、同じくらい深くお辞儀をして応える。

「うん。できることはするし、俺からもらいちのこと知らせるね」

「そこは、らいちと杏ちゃんが良いようにしてね。キープとか言ったけど、そんなの私が勝手に言い出したことだし、守る義務もないから。だから……」

「あのさ、二人して俺を押し付けあうのやめてよ。梅香が頑張って百合ってよ」

 俺の言葉を聞いて、梅香はなぜか驚いた顔をした。

「まだそんなことを……」

「まだって、梅香こそまだ好きなんだろ?」

 彼女の驚いた顔が、ふっと笑顔になった。

「変わらないねお互い」

「そうだね」

 暫く二人で静かに笑って、そして別れた。


 家に戻ると、らいちは和室で面接中だった。と言っても、らいちの話している相手はドラゴンさんの奥さん、花梨さんだ。

 ドラゴンさんは少し疲れた顔をして、ダイニングでお茶を啜っていたが、俺の帰宅を確認すると、独り言のように呟き出した。

「杏はさぁ、どんなやつか知ってるし、男だし。アタシとしては一緒に住むの問題ないけど、昨日会ったばかりの若い女の子がいきなり住みたいって言って来もねぇ? アタシこう見えて、ファッションオネエだから、結局中身はフツーのおっさんじゃない?」

 俺はドラゴンさんの対面に座り、急須にお湯を注いで自分の湯呑みにお茶を淹れる。

「ですねー……なんか、すみません。で、奥さんなんて言ってます?」

「うち、子供いないでしょ? 娘ができるみたいで嬉しいって言い出してさぁ」

「俺の時は息子って言ってましたもんね……じゃあオッケーってことですか?」

「花梨さんが良いなら、アタシも良いわよ。マナーさえ守って貰えばね」

「マナー?」

 ドラゴンさんは湯呑みを置いて、視線を上げた。

「自分のうちに帰ってきたら、若い男女がちんちんかもかもしてたら気まずくてしょうがないのよね。自分のうちなのに」

「あー……ですよね」

「杏とらいちちゃんてどんな関係なの?」

「トモダチです」

「じゃあ、わかったわ。家の中でいちゃつかれる心配はないわね」

 ドラゴンさんは湯呑みを煽って、お茶を飲み干した。それを見ながら、自分の気持ちについて改めて思いを巡らす。

 友達と言ったが、らいちは今朝「キスしようか?」と言ってきた。あの時の俺の感情は……苛立ちだった。きっと俺は、らいちに恋愛感情を持っていない。強いて言えば、大切だとか心配だとか、親愛の感情を抱いている。そしてふと、ドラゴンさんの奥さん、花梨さんが娘や息子と言っていたのを思い出した。


 これだ。


 少しして、和室かららいちが出てきた。和室のノートPCの中で、花梨さんが手を振っている。ドラゴンさんと花梨さんは夫婦だ。でも、仕事の都合で花梨さんは単身赴任状態で暮らしている。なので、二人暮らし用のマンションに俺はちょうどよく転がり込むことができていたし、今度はらいちも住むことに決まったようだ。

「花梨ママがオッケーだそうです。ドラゴンさん、きょーちゃん、ふつつか者ですが、よろしくお願いします」

 らいちはそう言って頭を下げた。

 俺はその頭に軽くポンポンと手を置く。

「俺のことは、今日から『お兄ちゃん』と呼びなさい」

 彼女はビクッと体を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。

「お……にい……ちゃん?」

 俺はゆっくりと頷いた。

 らいちとはこれから、友人ではなく、家族として接していこう。そして決して手を出さない。その誓いをこめ、俺は彼女の『お兄ちゃん』になることにした。

 ドラゴンさんとらいちは、まるで妖怪と遭遇してしまったかのような表情をしているが、別に良い。


 俺は今日から、らいちのお兄ちゃんだ。

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