第20話 スープバー
一月の早朝の空気はキンと冷えて澄んでいた。
街を歩いている人もほとんど見当たらず、まるで世界には自分たちしかいないかのようだった。とても清々しいが寒すぎたので、散歩も早々にファミレスで暖をとることにする。
「そういえば、メンタルやばかったとか言ってたけど、飲んでる時、全然そんな話しなかったね?」
それはずっと気になっていたことだった。ナンパしてお茶してる時、らいちは「助かった」と言っていたけれど、一体何から助かったのか。それをまだ聞いていなかった。
「なんか、言える雰囲気じゃなかったっていうか」
そう言ってらいちは、スープバーからよそってきたコーンポタージュを一口飲んだ。
「そうなんだ。ってか、俺はらいちが今どうなってるのか気になるんだけど」
「うん。でも気持ちの整理もついてないし、正直何から話せば良いのかわかんない」
「一個一個整理しようか?」
「んー……梅香ときょーちゃんに会えて、嬉しいでしょ。ドラゴンさんも面白いし、みんなでお酒飲んで楽しかった。後、成人式みんな振袖着てたから、場違いだな〜って恥ずかしかった」
昨夜から早朝にかけての、梅香の脳内で自分がものすごいことになっていた事はそれほど気にしていないようで、少し安心した。
「あとは……あんなに頑張ったのに、梅香ときょーちゃんが付き合ってなかったのがなんか……」
「なんか?」
らいちはチラッと一瞥するとスープマグに視線を戻して、不貞腐れたような声で答えた。
「それは言わない」
「梅香のあの話、聞いてたらわかるだろ?」
「だから気持ちの整理がつかないって言ってんの。おかわりしてくる」
らいちは逃げるようにスープマグを片手に席を立った。その様子を見守りながら、俺はぬるくなったコーヒーを啜った。
二杯目のスープが半分くらいになった頃、らいちはやっと話し始めた。
「私ね、梅香ときょーちゃんが同じくらい好きだから。両思いの2人が付き合ったら、寂しいけど私も幸せだなって思ってたのね」
「両思いじゃなかっただろ?」
「うん。でね、付き合ってないって聞いてほっとしちゃって、そしたら自己嫌悪っていうか……」
それって、どういうことだ? 彼女の真意が見えなくて、探りを入れる。
「ちなみに君、酒癖悪いんだな。キス魔だったとは」
「梅香にキスしたのは酔っ払ったせいじゃないよ」
「へ?」
らいちは暫く言葉を探した後、首を傾げてこちらを見た。
「したくなった……から?」
「俺に聞くなよ……」
無自覚の百合か? そうかそうか。それは良いじゃないか。応援します。
「きょーちゃんと梅香が付き合ってないならさ、してもいいかな〜って。きょーちゃんにも、してもいいならしたいよ。しようか?」
まじか。なんのつもりだ。
「オトモダチガイイって振られたんだけど俺」
「あったね。そんな事。わかるでしょ? 私なりに頑張ったの」
彼女は本音を話してくれたのだろうけれど、まだよくわからない。
「ちょうど今こんな感じ」
そういってらいちはスープをかき混ぜる。マグの中には妙な色のスープが入っていた。
「何スープこれ?」
「ミネストローネとコンポタと卵スープと赤だし、スープバーのやつ全部混ぜた」
「……なんでまた?」
「今の私」
らいちは言い捨てると涼しい顔でスープを飲み干した。
「選びきれなくて全部混ぜたら、まずい」
「でしょうね」
「選ばなきゃないのかな」
空のスープマグに向かってため息をつく。俺としては、仮にらいちが梅香に恋愛感情を抱いていたとして、両想いなのを確信できたのなら、思う存分百合ってくれたら良いのに。と思う。
「らいちは、どうしたいの?」
「だから、どうしたら良いかわかんないんだって」
小さく叫ぶ。困った。俺もどうしたら良いのかわからない。
「まず、落ち着こうか?」
「落ち着かないよ……家がないもん」
「ぇぇ……?」
そういえば、どこか遠くに行くとか言っていた。でも、彼女の状況がわかるようなことは、会ってから一切聞いていなかった。
体勢をなおして、彼女の顔を真っ直ぐ見る。
「とりあえず、らいちが今どうなっているのか、詳しく聞こうか?」
「……あい」
らいちは、覚悟を決めたのか、淀みなく自分の状況を話した。
簡単にまとめると、高校を中退した後、就職したが長続きできず、職を転々としていて、最近は住み込みで温泉宿に勤めていたらしい。そこでも色々とあって仕事を辞めなければならなくなったそうだ。しかし、実家も実家で戻れない事情があり、今夜の宿も決まっていない。どうしようもない。との事だった。
「なるほど。大変だな。ドラゴンさんに聞いてみないとだけど、うちくる?」
「お願いします」
彼女は素直に頭を下げた。
かなり大変な状況で疲れてしまっているように見える。昨晩までの、ふわふわと楽しそうにはしゃいでいる女の子とはまるで別人だ。
目の前のこの女は一体誰だ?
高校時代。俺の中で「この百合に挟まりたい大賞」第一位に君臨していた、可愛い女の子二人組の片割れで、距離感が近くて、甘えてばかりで、でも憎めなくて。そんな霧島らいちは今、目の前でくたびれた顔をして、ゆで卵を剥いている。
梅香をはじめ、成人式で見かけた『二十歳の女の子』と変わらないはずなのに、明らかに違う雰囲気を纏っていた。
「落ち着いた? そろそろ戻ろうか?」
「うん。あのさ、きょーちゃん……」
「何?」
「ここで言ったこと、きょーちゃんから梅香に言わないでね。言うとしたら私がいうし、後、梅香にはまだ言いたくない」
「わかった」
何故言いたくないのか。わからないけれど、俺から話さないで欲しいことは理解した。
らいちは梅香に一体どんな感情を抱いているのか。百合なのか百合じゃないのか。非常に気になるが、本人もはっきりしないのが現状なのだろう。というか、生活を立て直さないと愛だ恋だ百合だなどと言ってられないだろうし。
只、相談する相手から梅香が除外されていたのが無性に寂しかった。
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