第12話 ニンジンとブロッコリー

 梅香の誕生日の翌日。らいちは登校しなかった。

 それどころか、その日を境に行方が解らなくなった。


 俺の通う定時制には全日制の生徒の情報は噂程度にしか流れてこない。噂程度というのはかなり厄介で、やれ妊娠して駆け落ちしただの、心中未遂で入院中だの、ドラマでも見かけないような古めかしい設定がまことしやかに『噂話』として流れてきて、正直腹立たしい。要は本人が居ないのをいいことに、好き勝手に脚色して話のたねにする。人をおもちゃにしているようで気分が悪かった。

 そして俺は、告白する決意を固めたところで相手が失踪してしまった梅香に、なんと声をかけていいのか分からず、悩んでいる最中だ。そして、悩みすぎて連絡を全くしていないまま、1週間が経過していた。


「今日お前ん家泊まっていい?」

 スマホが軽い音を立てて、橘平から久しぶりのお泊まり打診メッセージを受信した。

 色々話したり聞いたりしたいところだったので、ちょうどよかった。すぐにオーケーと返信をする。


「あのさぁ、お使い多すぎるんだけど!」

 ベルに呼ばれてドアを開けたら、そこには半分キレている橘平が立っていた。

「いらっしゃい。ありがとねー」

 買い物袋を受け取り、検品をする。

「あれ? 橘平くん。プチトマトは?」

「え? あれ? ない? ……あー忘れたかも……って何作るの?」

「あーだめだ。計画が台無しだ。プチトマトがないなんて……」

「…ごめん。買ってこようか? で、何作るの?」

「……チーズフォンデュ」

「トマトなくても良くない?」

「美味いらしいんだよ。焼いたトマト……食べたかったよ。てかソーセージさ、なんで魚肉?」

「え? ソーセージってこれじゃない?」

「これじゃない」

 そんな会話を交わしながら、実家から大量に送られてきた業務用チーズの消費メニュー、チーズフォンデュを囲む。男子高校生の食欲のおかげで、冷蔵庫に入り切らなかった大量のチーズはみるみると消えていった。


「橘平さぁ……らいちなんだけど学校来なくなった理由とか知ってる?」

「杏の方が仲良いじゃん。なんか、家族ぐるみでその、色々とあるんだろ? だから、俺の方が聞きたくて来たんだけど」

 そうだった。自分でもよく知らないけど、らいちと俺はワケアリで付き合えない設定がある。

「いや、学校でなんて説明されてるのかなーって」

「あーね。家庭の事情で急な転校だって」

「そっか。親達とかなんも言ってない?」

「んー……」

 珍しく橘平が口籠る。少し考えた後、再び口を開いた。

「ちらっと聞いただけなんだけど、夜逃げ? らしい。家庭内暴力とかそんな感じとかって……でもさ、らいちそんな感じ全然無かったし違うんじゃないかな。どっちかってゆーと、妊娠して駆け落ちって聞いた時の方が本当かと思ったわ。相手お前かと思ってすげー焦った。けど、それも違うみたいだしな」

 橘平は最後のベーコンが刺さったフォークで俺を指して、そのままチーズをつけ、口に放り込んだ。

「橘平くんは、野菜も食べてください」

「食べてんじゃん。芋とか」

「芋って野菜か? ブロッコリーとかニンジンとか食べろよ」

「今日くらいは食べなくても大丈夫だと思う」

「食べてよ……残るじゃん……てか、家庭内暴力ってどゆこと?」

「親父が暴れるから、母親とらいちが2人でこっそり逃げたらしい。直接聞いたわけじゃないからこれ以上はしらね。杏、そのへん知らない?」

 一人暮らしで定時制の俺には初めて聞く話ばかりだった。

「知らない」

「じゃあ、ただの噂じゃね? ヤダヤダ。結局なんだったんだろな?」

 橘平は最後のバゲットにチーズをつけて口に放り込んだ。

「あと……あのさ、梅香どうしてる?」

「どうしてるもなんも……会ってないの?」

 橘平は驚いた顔でこっちを見た。どうしたら良いか分からないけれど、連絡をしないのが一番良くないのはわかっているだけに、バツが悪い気分になった。

「なんか落ち込んでるだろなーって思うけど、なんて言っていいかわかんなくて……」

「梅香は、なんかキャラ変わったってゆーか、戻った」

「戻った?」

「梅香、高校デビューっぽい感じなんだよね」

 意外だった。梅香は昔から、生まれた時からきれいな生き物なんだとばかり思っていた。

「雰囲気だけなんだけど、なんか中学の時みたいに地味な感じになった」

「橘平って梅香とはいつから知り合いなの?」

「覚えてないけどちっさい時からかな。家が近所でどっちの親も野球好きだから、少年野球で仲間だった。ほぼほぼ男みたいな奴だったんだけど、あいつ中学いって野球やめて、そっからあんまり話さなくなって、高校行ったら急に可愛くなったから告ったら振られた」

「橘平はいつから梅香好きだったの?」

「高校。好きってゆーか、可愛くなったし、なんだかんだで付き合い長いし、いけるかな〜って思ったんだけどだめだった」

「そりゃだめだろな」

「何で?」

 だって、梅香は百合だから。

 でも何でだろう? うまく言葉にできないけれども、それだけじゃなくて、なんだか嫌な気分だった。

「なんてゆーか……お前のそーゆーとこってゆーか?」

「んだよ。杏もさ、部屋着もいつの間にか中学ジャージを卒業してさ、チーズフォンデュとか作り始めたりしてさ……なんか知ったようなこと言ってさぁ」

「ジャージは俺の成長に伴って小さくなったからだし、チーズフォンデュはチーズ消費のためなんだけど」

「なんか俺さ、取り残された感じがして寂しいよ」

 橘平は最後のジャガイモにチーズをつけて口に放り込むと、両手を合わせてご馳走様のポーズをした。皿の上には茹でたブロッコリーとニンジンだけが残されていた。

 皿の上の野菜が、らいちに置いていかれた俺と梅香に見えた。寂しいと言いながら、俺ら2人のお膳立てをしていなくなってしまった彼女は、何を思っていたんだろう。あれこれ考えながらテーブルを片付け、もはや橘平専用となっているエアマットレスに空気を入れながら、明日、絶対に梅香に連絡をしようと心に誓った。

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