第13話 メガネ

「会える?」

「会えない?」

「会いたいんだけど」

 

 梅香に宛てたメッセージにそれぞれ既読がつき、返信がないまま3日経った。そして俺は今、彼女のマンションの出入り口が見える場所で、朝早くから隠れるようにしゃがみ込んでいる。

「うわ……ストーカー?」

 いつの間にかうたた寝をしていたようだ。急に声をかけられ見上げると、眼鏡をかけ髪を無造作に一つ結びにした梅香が無表情で仁王立ちしていた。確かに橘平のいう通り、地味な印象だ。

「既読無視辛いんだけど」

「何しに来たの?」

「梅香に会いに来た」

「会って何するの? 哀れなレズビアンを笑いに来たの?」

「……そう見える?」

 彼女の無表情が崩れた。思い切り顔をしかめて、頬が赤みを増す。そして少しの沈黙ののち、言葉がこぼれた。

「……遅いよ」

「うん。だよね。ごめん」

 堰を切ったように声をあげて泣き出した梅香に、用意していた鼻炎用の保湿テッシュを箱ごと差し出す。「準備良すぎ……」文句を言いながら彼女は思いっきり鼻をかんだ。


 梅香はひとしきり泣いた後、学校に体調不良で遅刻する旨の連絡をすると、一息ついた。

「杏ちゃん、この期間限定ラテの一番甘くて大きいやつ飲みたい」

 梅香がスマホに出た広告画像を指差した。

「御意」

「それさ、なんか、変だよ」

「そう? かっこよくない?」

「変だよ。てか似合わない」

「じゃあなんて言えば……」

 梅香は考える仕草をして、チラッとこっちを見て口角を上げた。

「ヨロコンデー! かな」

「ヨロコンデー……」

「うん。似合う」

「まじか」

 こんなことで喜んでくれるなら、何度でも言ってやるよ。泣いたり笑ったり、忙しい彼女の様子を見ながら、ご所望のラテの入手方法を思案した。

 結局、コンビニの期間限定じゃないラテの一番大きいものを片手に、いつもの公園に行き着いた。

「梅香さ、メガネにしたの?」

「んー、私もともと視力弱いのよ。コンタクト面倒で眼鏡に戻した」

「……あまり似合わないね」

 ラテの湯気で眼鏡が曇っている。表情がわかりにくくなるから眼鏡は苦手だ。しかも無造作に束ねた髪は、頭のてっぺんに切れ毛が立っていて、よく見ると毛穴も目立つので多分ノーメイクだ。

「うるさいな。なんか、見た目気にするの嫌になってさ……」

「せっかく高校デビューしたのに?」

「は? 誰よそんなこと言ったの……あ、きっぺー?」

「うん」

「あいつ……」

 梅香はイライラした様子でラテを啜り、ボソボソと呟いた。

「デビューっていうか、出会っちゃったんだよね。らいちと。あの子の隣に居られるように、見た目を気にし始めただけ。っていうか、らいちに相談するきっかけづくりだったけど……楽しかったなー。メイクとか服とか……らいちすごい可愛いから、追いつきたくて……」

 高校デビューの影に潜む、尊い百合の話を聞いてにやけてしまいそうだったが、その彼女、らいちは今どこで何をしているのか全くわからない。当事者になってしまうと、切ないだけだった。

「あのさ、結局らいち、どうなってるのか知ってる?」

 梅香は何か知っているかもしれない。

「あ……うん。らいちは、もう会えないって」

「なんで?」

「誕生日プレゼントに手紙が入ってた」

「まじで?なんて書いてた?」

「行き先は秘密だけど引っ越すって」

「……家庭内暴力?」

 俺の質問に、梅香は動作を止めた。

「誰が言ってた?」

「橘平。親だったかな。その辺の噂話で。ただ、橘平はいっぱいある噂の一つみたいな感じで言ってたけど」

「手紙には書いてなかった。だから何が原因かわからないけど……」

 梅香は一息ついて、覚悟を決めたように話し始めた。

「ずっとね。らいちの家族、大変そうだなーって思ってた。ご飯とかよく食べ損ねてたみたいだし。手紙には、これからずっと会えなくなるし、連絡先も言えないってしか書いてなかった」

 ショックだった。俺はともかく、梅香には連絡先くらい教えてもいいだろうに。らいちの冷たさに少し腹もたった。

「連絡先ぐらい、俺たち信用してくれてもいいのに……」

「らいちさ、そんなに大変で、きっと寂しいのに、私たちのために連絡先とか一切教えないでいなくなっちゃったんだよ……」

「俺たちのため?」

 納得いかない俺を諭すように、梅香は真っ直ぐに目を合わせて静かに言った。

「怖かったんだと思う。らいちなりに私たちを守ったんじゃないかな」

 大人をめんどくさいと思うことは多々あるが、怖いなんて感じたことはなかった。こんなに近くにいるのに、らいちや梅香と俺の見えている世界が違うことに驚いた。

「なんかさ俺、らいちにできること無かったかな」

「私も考えたよ。でも、らいち隠してたし、いまだに何があったか詳しくわからないし……多分、これ以上何もできないと思う。高校生って思ったより無力だよ」

「……」

 何か言いたかったけれど、何も言えなかった。そんな俺を尻目に、梅香はラテを一口飲んで、続けた。

「だから私、力を手に入れようと思う」

 なんかよくわからない方向に話が進んだ。

「え? 何の力を? どうやって?」

「わかんない」

「……まじか」

「わからないから、勉強する。社会か経済かそっち方面の大学にいく。らいちとどこかで再会したときに、今度こそ助けられるようになっていたいって思う」

「……あー。だから、メガネキャラに?」

「あ、これはやさぐれてただけ。こんな格好してたら調子でないし、らいちと一緒に作った『可愛い梅香ちゃん』を維持しないとね」

「自分で言うんだ……」

「これも、らいちの教え。可愛い自分を可愛がるんだって」

 梅香が微笑む。無造作ヘアでも、ノーメイクでも、梅香はきれいだと思った。

「ねぇ、杏ちゃん」

「何?」

「来てくれてありがとう。杏ちゃんの顔見たら、やっと涙が出てきた。泣いたら少し、切り替えできたかも」

「うん。ヨロコンデー」


 好きな人がいなくなってしまって、それでも梅香は前に進もうとしていた。俺は一体、これから何ができるんだろうか。一足早く答えを見つけた梅香が眩しく、少し遠く感じた。

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