第十二話「シンデレラは願わない(1)」

 あれよあれよという間に時は流れて、早くも八月。夏真っ盛り。

 俺と冬華、万里江、千歳さんの四人は、とある会場の下見に来ていた。

 ――本格デビュー後は初となる、冬華の単独ミニライブの会場だ。


 都内近郊の歴史あるホールで、キャパは二千人。

 トップアイドルのライブと比べれば少ない座席数に感じるかもしれないが、これでも奮発した方だ。

 冬華のレパートリーは、まだ「冬の星座を見上げて」一曲のみ。今度のミニライブで初お披露目する曲が五曲。


 計六曲のライブ会場としては、十分な広さだ。

 ステージ上から観客席の方を眺めると、その大きさがよく分かった。


「わぁ……かなり広いんですね。後ろの方のお客さんの顔、見えるかしら?」

「どうだろうね。ステージからはお客さんのことが、結構見えるもんだけど」

「? 春太さん、この規模の会場でのライブ経験があるんですか?」

「うん、まあ、ちょっとね。俺、ヘルプでキーボードとか弾いてたこともあるんだ」

「ええっ? 知らなかったです! ……じゃあ、じゃあ! 冬華のステージでも、弾いてくれませんか? それなら、ステージ上でも、ずっと一緒ですし♪」

「はは、考えておくよ」


 残念ながらと言えばいいのか、幸いにしてと言えばいいのか。今回は既にバックバンドを手配してある。

 いずれのメンバーも「ミカエル・グループ」お抱えの、信頼出来る演奏者だ。

 正直、俺なんかがしゃしゃり出る場面でもなかった。


「……と、『俺なんか』は禁止、だったな」

「春太さん、何か言いましたか?」

「いいや? 冬華は今日も可愛いなって言っただけさ」

「っ!? も、もう、春太さんたら……」


 顔を真っ赤にして照れる冬華。

 普段はぐいぐい来るくせに、こちらから褒めたりすると途端に照れ照れになって恥じらうのだから、可愛すぎる。


「ちょっと春太ぁ? 担当アイドル口説いてんじゃないわよ~」

「口説いてないよ。事実を言ったまでのことだ」

「ちょっ……。アンタ、言うようになったわねぇ」


 万里江を適当にあしらいつつ、セットの図面と見比べながらステージの上を歩き回る。

 セットの設計をしているのも、プロの業者だ。ぬかりはないはずだが、それでもこちらが抱いているイメージとの間に、齟齬がある場合もある。

 頭の中で完成予想図を思い浮かべながら、冬華が歌い踊る姿を重ね合わせる。

 ――うん。今のところは完璧なんじゃないだろうか。


 今度お披露目する五曲は、いずれも俺の作詞作曲だ。編曲だけは知り合いに手伝ってもらったが、ほぼほぼ「俺の作った歌」と言っていい。

 それを、このステージで冬華が歌う姿を思い浮かべるだけで、ワクワクもしてくるしプレッシャーも感じてくる。

 万里江やマイケル会長、ヴォーカル講師の山原先生からの反応は上々だ。だが、初見の客がどう反応するかまでは、予測が付かない。


 万難を排して挑んだつもりでも、人の心を掴み損ねることはある。

 蓋を開けてみるまで分からないのだ。

 だが――。


「冬華、今度のライブとっても楽しみです!」


 自信に満ちあふれた笑顔と共に、空の観客席に叫ぶ冬華。

 その眩しいまでの姿に、俺はライブの成功を確信していた。


   ***


 ――そして、ライブ当日。


『みなさ~ん! 今日は冬華のライブに来てくださって、ありがとうございます~!』


 冬華がステージに現れると、会場は万雷の喝采に包まれた。凄い盛り上がりだった。

 チケットはもちろん完売。かなりの高倍率での抽選になってしまって、本社では嬉しい悲鳴が上がったとかなんとか。


『それでは、最初の曲は……私のデビュー曲を! 聞いてください「冬の星座を見上げて」!』


 冬華のMCに合わせて、精緻なピアノの音色が会場に響く。

 「冬の星座を見上げて」はスローバラードなので、会場の熱もそれに合わせて抑えめになっていく。

 ――ライブというのは、演者と観客のコミュニケーションが成り立って、はじめて完成するものだ。その点では、この始まり方は十分に及第点だった。


(がんばれ、冬華)


 ステージ袖の邪魔にならない所から、静かに見守る。

 そして、程なく聞こえてきた冬華の完璧な歌声に、思わずガッツポーズを決めた。


「よしっ」


 思わず声も出てしまう。もちろん、抑えたものだが。

 ――と。


「見守るしか出来ないのは、やっぱりもどかしい?」


 同じく抑えた声で、誰かが話しかけてきた。万里江だ。


「……もう、慣れたよ」

「本当に? 本心では、同じステージの上に立って冬華を支えてあげたいと思ってるんじゃないの?」

「よしてくれよ。俺はもう、裏方側の人間なんだから。ヘルプでもない限り、あのスポットライトの下には、立たないよ」

「……アンタがそれでいいって言うんなら、これ以上は言わないけどさ。でも、私は今でも、アンタが本当にいるべきはステージの上だって、そう思ってるのよ?」

「――っ。冬華のステージの最中だ。無駄話は、やめよう」


 一方的に話を打ち切る。

 今、こんな時にする話じゃないだろうと、言ってやりたい気持ちを必死に我慢する。

 そもそも、俺のステージは、とうの昔に終わっているのだから――。


   ***


 十年ほど前の話だ。

 当時の俺は高校の同級生達と一緒にバンド活動をしていた。

 バンド名は「ハイ・クラス」。青春系パンクロックバンドとして、高校生ながらも都内のライブハウスを次々に沸かせた、勢いのあるバンドだった。

 ――俺達がスカウトの目に留まるまでに、時間はそれほどかからなかった。


『やあやあ、君達が「ハイ・クラス」ね? あちしはマイケル。こう見えても、アイドル事務所の社長をやってるのよ?』


 俺達の前に現れたのは、おネエ言葉を操る国籍不明の怪しいオッサンだった。

 マイケル社長――当時から既にアイドル業界のトップを走っていた「ミカエル事務所」の社長だ。

 「ハイ・クラス」のメンバーは色めき立った。マイケル社長がプロデュースしたアイドル達は、誰もが成功していたから。


 ちなみに、江藤みのりがスカウトされたのも同時期のことだ。

 彼女がヴォーカルを務めるバンドが「ハイ・クラス」とよく共演していたので、自然な流れだった。

 当時は「どっちが先にトップに上り詰めるか」と、よく話したものだ。まだデビュー前だったのに、我ながら可愛いものだと今なら思う。


 「ハイ・クラス」は、俺以外全員がイケメンだった。特にヴォーカルの矢代は、高校生離れしたモデル張りのルックスで、デビュー前からSNSで話題になっていた男だ。

 そういった点も、俺達がスカウトされた理由だったのだろう。

 一方の俺はキーボード――と、作詞作曲からステージのプロデュース、メンバーの衣装まで諸々担当していた。言ってみれば、「ハイ・クラス」は俺が生み出したも同然だったのだ。


 と言っても、所詮は高校生の若造だ。自分の力だけでは限界があった。

 そこにきて、マイケル社長という経験も知識も権力も財力もある大人が現れたのは大きかった。

 マイケル社長は俺の創り上げた「ハイ・クラス」の良さを活かしながら、更にスケールアップさせ、デビューを決めた。


 当時、バンド系アイドルははっきり言って不人気だった。

 にもかかわらず、俺達は正式デビュー前から注目され、各地のライブハウスを荒らしまくった。

 俺達は知名度を上げ続け、結果としてデビューシングル発売前に、とあるドームで行われる大規模合同ライブへの参戦を決めた。前代未聞のことだったらしい。


 ――だが、それがいけなかった。

 所詮、俺達は高校生だった。チヤホヤされ過ぎれば、調子に乗る。

 まるで世界が自分達中心に回っているものだと、勘違いする。

 最初に問題を起こしたのは、ヴォーカルの矢代だった。


『異性関係はデビューまでに清算しておくように』

 

 マイケル社長から、そう厳命されていたのに、矢代はむしろやらかしていた。

 言い寄ってくる女をちぎっては投げちぎっては投げ。その数は余裕で二桁に達していたという。

 そして、決して手を出してはいけない相手とも、行為に及んでいた。

 とある有名女優だ。彼女は人妻で、しかもスキャンダルで有名な人で、若い男を漁っては、その生気を吸い取るようにしゃぶり尽くす女だった。


『デビュー直前の人気高校生バンドのヴォーカル。深夜のフライングデビュー』


 週刊誌に、そんな下世話な見出しが踊った頃には、もう手遅れだった。実は、他のメンバーも既にやらかしていたのだ。

 矢代以外のメンバーの飲酒や喫煙の証拠写真も、次々に週刊誌やスポーツ紙に掲載されてしまった。


『残念ながら、バンドは解散だ』


 泣いて土下座する俺達に、マイケル社長はおネエ言葉も忘れて、そう告げた。

 その顔は苦渋に満ちていて、心底申し訳なさそうだった。

 悪いことをしたのは、俺達だったのに。


 俺達の正式デビューは当然中止になり、バンドは解散。

 メンバー達は高校もやめてしまい、連絡が取れなくなった。顔も名前も売れてしまっていたので、雲隠れせざるを得なかったのだ。


 その上で、「ハイ・クラス」はその存在を抹消された。

 週刊誌やスポーツ紙の記事は消すことは出来ない。その代わりに、ライブや番組、配信動画から、「ハイ・クラス」がいた痕跡が綺麗さっぱり消去された。

 違法アップロードについても、大手の動画配信サイトでは自動削除の対象になっている。楽曲もだ。

 「ハイ・クラス」の存在は、一部ゴシップ紙と、ファンや関係者の記憶の中にだけ残ることとなった。


 唯一、何も問題を起こさず、ステージ上では徹底してサングラスで素顔を隠していた俺だけは高校に残り、マイケル社長との縁も切れなかった。

 それでも、年に何回かは週刊誌記者らしき連中の襲撃に遭うこともあったが、しばらくすると姿を見かけなくなった。

 ネタとしての旬が過ぎたのもあるが、マイケル社長が裏から手を回してくれたのだ。実の親にさえ見捨てられた俺を、マイケル社長はずっと守ってくれていたらしい――。


   ***


 ――歓声に意識を引き戻される。

 ステージ上では、ちょうど冬華が「冬の星座を見上げて」を歌い切ったところだった。

 会場には既に、淡い桃色の光がいくつもいくつも浮かび上がり、会場を薄く照らしていた――「スフィア」だ。

 お披露目ライブの時とは比べ物にならない数の「スフィア」が現れていた。


(冬華……やっぱり君は、本物のアイドルだよ!)


 「スフィア」を発生させられるアイドルは、そう多くない。「アイドル・ランキング」トップ100位以内のアイドルの中でも、限られた存在だ。

 それを、単独初ライブのこんな序盤で生み出せるのだ。冬華は必ず、トップアイドルになるだろう。

 ――俺は、それを全力でサポートするのだ。今は、それでいい。俺は裏方で、いいのだ。


『ありがとうございました! ……では、続けてもう一曲。本日、初披露になる新曲になります!』


 会場がさらに盛り上がる。

 予告はしていたが、実際に新曲を聞くのは初めてなのだ。観客の期待も最高潮といったところだろう。

 遂に、冬華が歌う。俺が作詞作曲した、冬華の為だけに作った歌を。


『それでは聞いてください――「はなことば」』

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