第十一話「ダンス・ダンス・サバイバル(2)」
「あら、ヤイコちゃん」
「冬華ちゃ~ん! ごめ~ん、邪魔するつもりはなかったんだけどぉ」
「邪魔なんて思ってないですよ? ちょうど休憩中でしたし」
「うお~ん! 冬華ちゃん、マジ天使~!」
感涙にむせびながら、ヤイコが冬華に縋り付く。
すかさず冬華の汗の香りを堪能するように、ヤイコが鼻から息を大きく吸ったのを、俺は見逃さなかった。
あの女、男だったら間違いなく捕まってるぞ。
――それはともかくとして。
先程ダンスの先生がとても気になることを言っていたような?
「先生、さっき『歌唱力だけで言えば、冬華を超える逸材がいる』って言ってましたよね?」
「ええ、言ったわね」
「もしかしなくても、アレがそうなんですか?」
「うん。残念ながら、アレがそうね。
「マジですか……」
ちなみに、山原先生というのは、冬華がいつも指導してもらっている例のヴォーカルの先生のことだ。
一人称が「アタクシ」で、ビア樽みたいな体型をした面白オバチャンだが、その実力と審美眼は一流。彼女が言うのなら、まず間違いないだろう。
「ヤイコの場合、ダンスも捨てたもんじゃないんだけど、あのチチだからねぇ。見たことある? 大迫力っしょ」
「ええ、まぁ……一度だけ」
「本人のせいじゃないんだけどね、いくらキレッキレのダンスを披露しても、なんかエッチになっちゃう。だから、あの子のプロデューサーは、歌一本で売り出すつもりだったらしいんだけどね」
「なにか問題があったんですか?」
当のヤイコは調子に乗って、冬華の小柄で痩せている割に「結構ある」胸に顔をうずめてクンカクンカしていた。
おい、うちのアイドルに何してくれてるんだ、この巨乳。
「ヤイコ自身がさ、『どうしても歌って踊れるアイドルとしてやっていきたい』って言ったんだって。豆腐メンタルのあの子がさ、そこは頑として譲らなかったらしいよ? 理由までは知らないけどね」
「そんなことが……」
「あたしや山原先生は、養成所時代からあの子達を見てるからね。ま、どうしても事情に詳しくもなっちゃうし、情も湧いてきちゃうのよ」
言いながら、冬華とヤイコに向ける先生のまなざしは、どこか世間の親が子に向けるそれに似ていた。
……俺には、あんな目で見守ってくれる人がいただろうか?
なんとなくだが、二人のことをとても羨ましく感じてしまう自分がいた。
***
「冬華ぁ! アゴが上がっちゃってるよぉ! もっと姿勢をきれいに、意識して!」
「はい!」
再開後のダンスレッスンも熾烈を極めていた。
休憩を挟んだとはいえ、レッスンはもう二時間以上続いている。冬華の小さな体では、体力も限界に近付きつつあるだろう。
冬華が今後もアイドルを続けていけば、いずれ二時間越えのライブに挑む日だってやってくるはずだ。
だからこれは、必要なレッスンなのだ。長時間の歌と踊りに耐えられる体力と技術、そして精神を今から養っておけなければ、トップアイドルにはなれない。
――そう、分かってはいるのだが。
「はいっ! 本日はここまで!」
「あ、ありがとう、ござい、ました……」
「冬華、そこで崩れ落ちないよ! ゆっくりと体を動かし続けて、きちんとクールダウンさせて!」
「は、はい……!」
一瞬倒れ込みそうになりながらも、先生の言いつけを律義に守り、姿勢を正す冬華。
その足は、生まれたての小鹿のようにプルプルと震えていた。とても黙って見ていられず、せめて優しい言葉をかけてあげようと冬華に近付く。
――が。
「友木くんは、冬華に追加の飲み物買ってきてあげて」
「えっ」
「早く、ダッシュで!」
「はい、はい!」
何故か先生にそれを阻止され、気付けばパシらされていた。
慌ててレッスンルームの外へと駆け出し、同じフロアにある自販機コーナーを目指す。
(何だってんだ? 一体)
訳も分からぬまま自販機の前に辿り着き、矢継ぎ早にスポーツドリンクを買っていく。
一つ、二つ、三つ……四つもあれば十分だろうか。ついでとばかりに、自分や先生、千歳さん用のコーヒーも買う。
「半分持とうか?」
――と、背後から何者かに声をかけられた。
ヤイコだ。いつの間にやら彼女もレッスンルームから出てきていた。
「ああ。悪いけど、お願い出来るかな? 冬華に渡す用の方を頼む」
「こっちのスポーツドリンク?」
「そうそう」
ヤイコは、近くの床に並べておいたスポーツドリンクのペットボトルに手を伸ばし――おもむろに栓を開けて飲み始めた!
「ちょっ、なに飲んでんだよ?」
「冬華ちゃんに四本は多すぎっしょ? つーか、先生がしばらくしてから戻って来てくれってさ」
「先生が? 本当か、それ」
「アタシがわざわざウソ吐く必要なんてないっしょ? ――つーかさ、ちょっとアンタに話したいことあったんだよね」
キリっと、真剣なまなざしを俺に向けてくるヤイコ。
いつもの彼女とは違うその様子に、思わず気圧される。
「アンタさ、冬華ちゃんのこと、どう思ってるん?」
「どうって……。俺は冬華のプロデューサーだ。とても大切に思ってる」
「そういうんじゃなくて! 冬華ちゃん、アンタにあんなにべた惚れじゃんか! マジラブ千パーセントじゃん? どうしたらあんなになるんだっつーの! アンタ、ホントにあの娘に何した!?」
えらい剣幕で俺に食ってかかってくるヤイコ。
口を開く度に巨乳も荒ぶっているので、とにかく凄い迫力だった。
「いや……何もした覚えはないんだが」
「はぁ? そんなんで、あんなになる訳ないじゃん!」
「マジで分からないんだって! 初めて顔合わせした時には、もうあんな感じだったんだよ! 本当に、なんで俺なんかをあんなにって、不思議なくらいなんだ」
冬華がなんで俺にあんなべた惚れかなんて、俺の方が知りたいくらいだった。
ヤイコは俺の言葉に全く納得していない様子だ。だが、これ以上は食ってかかっても仕方がないと思ったのか、俺に背を向けると独り言のように語りだした。
「……冬華ちゃんは、さ。男になんか、全然興味が無かったんだよ。あの娘のことは中学の頃から知ってるけど、本当に、全然。アイドルになることしか頭になくて、アタシが心配になるくらいだったんだ」
「君に心配されるレベルって、どんだけだよ」
「ん~とね。学校の勉強は必要最低限しかやらなかったし、アイドルとして必要な知識以外のお洒落には興味が無かったし、手を怪我したくないからって料理も全然やらなかったし。他にも、あるよ?」
「聞きたい?」と尋ねるような視線を俺に投げかけるヤイコ。
俺は静かに、首を横に振った。
彼女の語る冬華の姿は、今の彼女と全く重ならない。冬華はよく、学校での出来事を楽しく話してくれたし、勉強も頑張っている。
料理だって――。
「冬華ちゃんはアイドルになる為に、他の全てを捨てたような娘だったんだ。だからアタシは放っておけなくて、友達になった。ちょっと強引に迫ってね。最初は苦労したよ? 昔の冬華ちゃんには、アイドルとしての仲間意識さえなかったから――それが、どうしてああなった!?」
「……今の冬華は、昔の冬華に劣るって言いたいのか?」
「違う! 逆だよ、逆! 昔よりもずっとずっと、ずぅっと可愛くなった! 昔から天使だったけど今はもう大天使、いや女神だよ! アタシが結婚してやりたいよ! 毎日ちゅっちゅしたいよ!」
いきなり欲望を全開にしていつものノリに戻ったヤイコに、思わずドン引きする。
真面目な話をしていたと思ったのだが、違ったのだろうか。
「お前の冬華への愛の重さはよく分かったから……結局、何が言いたいんだ、お前は」
ヤイコに対する二人称を「君」から「お前」にランクダウンさせつつ、尋ねる。
するとヤイコは、何故だかとても悔しそうな顔をしながら、俺の顔に指を突きつけ、言った。
「悔しいけど、冬華ちゃんが女の子としてもアイドルとしても、あともしかしたら人間としても、前より魅力的になったのは、間違いなくアンタのお陰だって言いたいんだよぉ! 分かれよ、バカァ! なんで当のアンタにその自覚がないんだよぉ!」
「……なんか、すまん。でも、本当に俺にも分からないんだ。冬華が何であんなに俺のことを……その……好き、なのか」
自分で言いながら、思わず赤面する。
改めて口に出して言ってみると、えらく恥ずかしかったのだ。
「ったく……これだから無自覚イケメンは……」
「えっ? なんか言ったか?」
「な・に・も! アンタはもっと自信持てって言ったんだよぉ! あの冬華ちゃんのプロデューサーなんだから、もっとシャンとしろよぉ! 『俺なんか』とか言ってる場合じゃないんだよぉ! アタシみたいに伸び悩んでるヤツと違って、アンタはちゃんと結果出してるんだからさぁ!」
「むっ……」
一部聞き取れなかったが、どうやらヤイコは俺に「もっと自信をもってしっかりしろ」と言いたいようだった。
なるほど、それならば理解出来る。親友のプロデューサーが情けない男だったら、それは心配にもなるだろう。
冬華の実力が大きかったとはいえ、俺は「アイドル・ランキング」トップ100に入ったアイドルのプロデューサーなのだ。
自分を卑下してばかりいては、冬華にだって悪影響を及ぼすかもしれない。
「そうだな、お前の言う通りだ。『俺なんか』とか言うのは、もう止めにするよ。――でも、それはお前にも言えることなんじゃないか?」
「え、アタシ?」
「ああ。確かに……知り合って間もない俺の目から見ても、お前には問題があるとは思う」
「うっ!? は、はっきり言うなよ……こちとらクソザコナメクジメンタルなんだからさぁ」
「まあ、最後まで聞けよ」
「こいつと話す時は、もっと言葉を選ばないとな」等と思い苦笑しながら、俺は言葉を続けた。
「冬華がさ、お前のことをこう言ってたんだ。『アイドル界で一番のライバル』だって。そう思われてるの、知ってたか?」
「ふ、冬華ちゃんが!? マジで?」
「ああ、マジもマジ。大マジだ」
「ふ、冬華ちゃぁん……しゅき……」
よほど嬉しかったのか、ヤイコはその場に溶けるように崩れ落ち、嬉し泣きをし始めた。
……知らない人に見られたら、間違いなく誤解されそうな光景だな、と思いつつ、更に続ける。
「でも、それは適性に合わないスタイルを無理矢理に続けるお前のことじゃ、ないんだと思う」
「適正に、合わない……?」
「ああ、お前だって、自分が『歌って踊れるアイドル路線』には向いてないって、分かってるんだろ?」
「そ、それは……」
「冬華のプロデューサーとしては認めたくはないが、歌唱力だけならお前は冬華よりも上だ。ルックスだって、引けを取ってない。でも、ダンスは……上手いけど、体型的に向いてない。お前のプロデューサーにだって、そう言われてるんだろ?」
「ううっ……」
やはり自覚があったのか、ヤイコは図星を突かれたような表情で俯いていた。
「どうして、そんなに『歌って踊れるアイドル』に拘るんだ? スタイルさえ変えれば、お前はもっと上に行けるのに」
「だって……だって……」
「うん。ゆっくりでいいから、言ってみな?」
「……だって、冬華ちゃんがそうだから。アタシはずっと、アイドルとしても冬華ちゃんの近くにいたいんだよぉ~」
「冬華の、近くに?」
俺の言葉に何度も頷くと、ヤイコは鼻水をすすりながら静かに語りだした。
ヤイコにとって、冬華は「アイドルの理想像」そのものなのだと。
彼女と同じ景色を観たくて、同じスタイルを貫こうとしているのだと。
正直、完全には理解出来ない。だが、好きな相手と同じことをしていたい、同じ領域に身を置きたいという気持ちなのだろうな、と思った。
「でもな。このままだとお前、冬華に完璧に置いてかれるぞ」
「うっ」
「『アイドル界で一番のライバル』だと思っているお前がそんなんじゃ、冬華を悲しませることになるぞ」
「ううっ……」
――恐らく、ヤイコだって分かっているのだ。自分がこのままではいけないということを。
だが、踏ん切りがつかない。今まで続けていたことが全て無駄だったと割り切ることが。割り切って、次のステージへ進むことが。
それは、とても怖いことだから。
(……仕方ない。この話は、あんまりしたくなかったんだが)
冬華には身近なライバルが必要だ。そしてその相手は、このヤイコ以外にいないはずだ。
だったら、この伸び悩んでいるアイドルに活を入れてやるのが、プロデューサーとしての俺の務めだろう。全ては冬華の為だ。
「なあ。『江藤みのり』って、知ってるか?」
「はぁ? 馬鹿にしてんの? トップアイドルじゃん。知ってるに決まってるでしょ」
「じゃあ、なんで江藤みのりが、歌唱力重視のスタイルでアイドルやってるかは、知ってるか?」
「そりゃあ……歌が上手いからじゃないの?」
「お前は何を言っているんだ」とでも言いたげな視線を俺に向けるヤイコ。
まあ、それはそうだろう。相手は天下の歌姫「江藤みのり」なのだから。
だが――。
「ああ、もちろん歌唱力が抜群だってのも理由の一つだ。でもな、実は一番の理由は……ダンスが超下手くそだからなんだ」
「……はぁ? え、マジそれ」
「マジもマジだ。江藤みのりのダンスレッスンを、何度もこの目で見たことがあるからな。よく知ってる」
「いやいやいや、超下手くそって、そんな訳ないじゃん? あの江藤みのりサマだよ」
「ところがどっこい。あいつ、天性の運動オンチでな。リズム感はいいのに、簡単なステップも踏めないんだぞ」
「……マジですか」
「後で先生にでも訊いてみな。きっと言葉を濁すから」
「信じられない」と言った表情を返すヤイコ。まあ、それも仕方のないことだろう。
江藤みのりと言えば、押しも押されもせぬトップアイドルだ。日本だけではなく、海外でも「歌姫」として評価されてもいる。
彼女のステージングは、その歌唱力を中心に据えたものだ。ダンスらしいダンスはせず、振り付けは殆ど手と目線の移動だけ。が、それがむしろ神秘的な雰囲気を醸し出しているのが特徴だ。
それがまさか、歌唱力を活かす為ではなく、ダンスが下手くそすぎるからこそのステージングだなんて、普通は誰も信じないだろう。
「え、つーか、なんでアンタそんなこと知ってんのさ? 江藤みのりサマに会ったことあんの? サインとかもらった?」
「サインはもらったことないな。何せ、あいつと知り合いだったのは高校時代……まだ、江藤みのりがデビューする前のことだし」
「え、ええ!? し、知り合い? 何々? どんな関係よ?」
「……ただの高校の同級生だよ。その頃は、俺もあいつもそれぞれバンドやっててな。一緒にライブしたこともあるんだ。で、あいつがアイドルとしてスカウトされた時には、他の連中と一緒に相談も受けた」
「す、すげぇー! なんだアンタ、本当に凄い奴なんじゃん!」
「……相談を受けただけで、俺はあいつのデビューには、何の役にも立ってないよ。――それよりも、だ」
これ以上深掘りされると、いらぬことまで知られてしまいそうだったので、話を強引に打ち切り、本題に戻す。
「その江藤みのりも、最初は『歌って踊れるアイドルを』目指してたんだ。でも、当時のプロデューサーに説得されて歌一本に絞って――結果はお前も知っての通り。この意味、分かるだろう?」
「う、ううぅ……でも」
「アイドルとしてのスタイルを変えるなら、今が最後のチャンスだぞ。知名度が今より増してからじゃ、遅い」
「ぐ、ぐぐぐぐぐぅ……」
ヤイコの表情が苦渋に満ちる。
だが、感触としては「あと一押し」という感じだ。自分が伸び悩んでいる理由を、こいつ自身が一番よく分かっているのだろう。
――だから、俺はヤイコにとっての殺し文句を使うことにした。
「ヤイコ、頼むよ。冬華の為にも……お前をライバルだと思っているあの子の為にも、決断してくれ」
「ふ、冬華ちゃんの、為?」
「そうだ。全ては冬華の為だ。俺がこんなことを言ってるのも、お前を心配してじゃない。冬華の、為なんだ」
「……冬華ちゃんの為」
ぶつぶつと「冬華ちゃんの為……」という言葉を繰り返しながら、ヤイコがレッスンルームへと戻り始める。
その姿はまるでゾンビのようで……俺は一抹の不安を覚えながらも、彼女の後を追った。
「あ、春太さん……」
レッスンルームへ戻ると、既に制服に着替え終わった冬華が出迎えた。
俺のいない間にシャワーを浴びていたらしく、ややしっとりとした髪からは、いつもとは違うシャンプーの香りが漂っている。不覚にもドキッとしてしまった。
先生と千歳さんは、モップでせっせと床を掃除してた。
「あ、掃除なら俺がやりますよ」
「助かるわ。もう時間も遅いから、オバチャンは冬華ちゃんとヤイコちゃんを送って来るわね~」
「春太さん……お先に、失礼しますね。いきましょう、ヤイコちゃん」
「んっ」
千歳さんは俺にモップを押し付けるようにして、足早にレッスンルームを出ていった。
冬華の態度も何故かよそよそしい。一体どうしたのだろうか?
三人を見送ってから、モップで床を磨き始める。……気のせいか、先程までは感じなかった、香水のように強い匂いがした。それに混じった、すえたような臭いも。
「先生、何か変な臭いがしませんか?」
「友木……そういう時は、気付いてても気付かない振りをするものだよ。相手は、女の子なんだから」
「なんのことですか?」
「いや、気付いてないんなら、いい。君はそういうところ、高校生の頃から全く変わってないねぇ」
呆れたような、それでいて微笑ましいものでも眺めるかのような表情を浮かべる先生。
そんな彼女の姿に、俺は首を傾げることしか出来なかった。
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