第九話「ライバル・アゲイン(2)」

「春太さん。こちらは万世橋まんせいばしヤイコちゃん。アイドル養成所で同期だった、冬華の親友です♪」

「ああ、もしかして新幹線の中で言いかけてた子って、こちらのヤイコさん?」

「はい♪」


 冬華はとても上機嫌だった――が、その体には未だに蛇のように万世橋ヤイコが絡みついて、クンカクンカしている。

 うらやま……もとい、けしからん。が、当の冬華が全く嫌がっていないので、引きがす訳にもいかない。


「冬華ちゃん。誰、このイケ……お兄ちゃん。千歳ママが一緒だし、マネージャーって訳じゃないよね?」


 何故か俺に敵対的な視線を向けながら、ヤイコが冬華に尋ねる。

 どうやら千歳さんとも旧知の仲らしい。


「ヤイコちゃん。こちらは友木春太さんと言って……冬華の、大切な人です♪ きゃっ、言っちゃった!」

「ななな、なぬぅ!?」

「冬華、人前でそういうのはやめなさい。……はじめまして万世橋ヤイコさん。冬華のプロデューサーの友木です」

「あ、な~んだ、プロデューサーかぁ。アタシの天使に遂に彼氏が!? とか思って身構えちゃったよ~。もう~、冬華ちゃんったら冗談が過ぎるよ~」

「……冬華は何も冗談は言ってませんよ?」

「えっ」


 途端、軟化しかけたヤイコの視線が再び氷点下に達した。

 「グルルルル~!」等と言いそうな勢いで、こちらを無茶苦茶睨んでいる。元が美人なので、ちょっと凄味がある。

 一体何なんだ、この女は。


「しかし、養成所で冬華と同期だったって割には、ちょっと年上な気がするんだが」

「ああ、それはね春太くん。ヤイコちゃんは、中々デビューが決まらなくてね。長いこと、養成所預かりになってたのよ」


 すかさず千歳さんが説明してくれた。

 ああ、なるほど。「ミカエル・グループ」の養成所では、デビューのタイミングを逃したアイドルの卵が飼い殺しにされている、という話を聞いたことがある。ヤイコもそのクチだったようだ。

 残酷な話だが、事務所のリソースも有限だ。才能のあるアイドルの卵ならば、すぐにでもデビューさせてあげたいのが人情というものだが、現実はそう上手くはいかない。

 人によってはいつまでもデビューのタイミングに恵まれず、養成所でレッスンの日々……なんて話もあるらしい。


 ちなみに、ヤイコの年齢はやはり二十歳だそうだ。


「ヤイコちゃんは、冬華が『アンヘラス』でデビューしたのと同時期に、ソロデビューしたんですよ」

「ああ、なるほど。養成所からの卒業が同期ってことか」


 ようやく納得し、改めて万世橋ヤイコを観察する。

 やはり相当に背が高い。一七五センチの俺よりも幾分か低い程度だから、女性にしては長身だ。

 ロングTシャツに隠された身体は、「グラマラス」という言葉がよく似合う。起伏が激しく、特に胸は……うん、自然と目がいってしまう程のご立派様だ。

 見た目だけで言えば、十分に百点満点のアイドルと言えるだろう。


 反面、声には特徴がありすぎる気がする。

 ヤイコの声は、俗にいう「アニメ声」というやつだ。ちょっと舌足らずで鼻にかかっている、アレだ。

 特徴があるのはいいことだが、好みが分かれるところだろう。


「……なんか、視線を感じるんだけど?」


 こちらへの警戒心をあらわにして、冬華の後ろにさっと隠れるヤイコ。

 小柄な冬華の後ろに長身のヤイコが隠れる様は、なんというか、コントのようだ。


「ああ、すまない。俺も一応、冬華のプロデューサーなんでね。他のアイドルのことは出来るだけ観察するようにしてるんだ」

「とかなんとか言って、アタシのワガママボディをガン見してただけなんじゃないの~? イヤ~ン、視線で汚される~」


 冬華の後ろに隠れながら、クネクネとしなを作るヤイコ。

 どうやら、自分がダイナマイトボディである自覚はあるらしい。先程まで自分を「足ふきマット」呼ばわりしていた人間と、同一人物とは思えなかった。

 ――と。


「……春太さん? そうなんですか?」

「ご、誤解だぞ冬華!」


 冬華が絶対零度の眼差しでこちらを見ていた。顔は笑っているのに、目が全く笑っていない。怖い。

 何か話題を逸らさないと、冗談抜きで命が危ないかもしれない!


「あ、そうだ! ところで万世橋さんは、なんで床に転がってたの?」

「ふ、ふぇ!? あ、アンタには関係ないじゃん」

「いや、一応同じ系列の事務所のアイドルのことだし……というか、万世橋さんのマネージャーさんはどこに?」

「……いない」

「え?」

「だから、アタシにはマネージャー、いない、デス」


 言いながら、死んだ魚のような眼になるヤイコ。

 どうでもいいが、この女。先程から表情の変化が目まぐるしすぎて忙しいな。

 

「あらあら、ヤイコちゃん。またマネージャーに逃げられちゃった?」

「うわ~ん! 千歳ママー! 会長直々に『しばらく一人で頑張りなさい』とか言われちゃったー! むーりー! アタシ一人じゃ、なんも出来ないよ、ばぶ~!」

「……うわぁ」


 突如として誕生した「ニ十歳児」に、半ば本気でドン引きする。

 どうやらヤイコのメンタルはかなり特殊……というか、弱いらしい。敏腕揃いの「ミカエル・グループ」のマネージャーが何人も逃げるなんてのは、はっきり言って異常事態だ。

 だが。


「本人はあんな風に言ってますけど、ヤイコちゃん、ステージでは凄いんですよ?」

「……とてもそうは見えないが」

「まあ、見ててください♪」


 冬華がそっと耳打ちして教えてくれたが、とてもではないが信じられない。

 このでっかい赤ちゃんが見事なステージを見せてくれるなんて、全く思えないのだが――。


   ***


「マジか……」


 俺は文字通り言葉を失っていた。

 ヤイコの出番は冬華よりもかなり前、全体で三番手だった。

 衣装に着替えた後も、ステージ袖まで冬華と千歳さんに付き添ってもらって、最後までグダグダ言っていたのだが――ステージに立った瞬間、全てが変わった。


「アタシを知ってる奴も知らない奴も、みんなぶち上げていこーぜー!!」


 そんな挑発的な言動さえも様になっている、きちんとしたアイドルがそこにいた。

 背後ではロボットアニメの主題歌でかかってそうな、ノリのいいイントロが流れ出している。ヤイコの代表曲らしい。


「よっしゃみんな聴いてくれー! 『インフィニティ』!」


 自信に満ちあふれた表情で紡がれるヤイコの歌声が会場を支配する。

 鼻にかかったような声色は先程までと同じ。だが、伸びやかで突き抜けるような圧倒的歌唱力により、特徴的なその声色がむしろ強い武器となっていた。

 一言で言うと「かっこいい」。観客は既に大盛り上がりだった。


「なんだアレ。無茶苦茶凄いじゃないか!」

「でしょう? ヤイコちゃんは、本当に凄いんです! 実は冬華、アイドル界で一番のライバルは、ヤイコちゃんだって思ってるんですよ?」

「なるほど。ライバル、ね」


 俺からヤイコへの絶賛を、まるで我がことのように喜ぶ冬華(可愛い)。

 楽屋での惨憺たる有様から「大丈夫かこいつ」等と思っていたが、なるほど。これは「大丈夫か」どころか、「アイドル・ランキング」入りしても不思議じゃない程の逸材だ。

 冬華は彼女のことを「ライバル」と呼んだが、それも大げさな表現ではない。

 万世橋ヤイコは冬華にとって、ヴォーカルの先生が言っていたような「強敵と書いて友と読む」存在になり得るアイドルだ。 

 

 ――しかし、疑問もある。

 俺は今日出くわすまで、彼女のことを全く知らなかった。「ミカエル・グループ」の実力あるアイドルについては、概ね把握済みであるにもかかわらず、だ。

 確かに、楽屋でのあの様子からは、扱いが難しいアイドルであることは分かる。だが、そこは天下の「ミカエル・グループ」のこと、サポートメンバーを増員するだとか、いくらでも手はあるはずなのだ。


 それなのに、今のヤイコはマネージャーさえ付いていないという。

 この冷遇ぶりには、流石に違和感を覚える。


「……千歳さん」

「はいな」

「万世橋さん、あれだけ凄いのに、なんで事務所から冷遇されてるんですか?」


 冬華がステージに夢中になっているのを見計らって、それとなく千歳さんに尋ねてみる。

 すると、彼女は珍しく苦笑いを浮かべながら、そっとステージを指さした。


「色々と原因はあるんだけど、最たるものはアレね」

「アレ?」


 千歳さんの指さす方を見やる。

 ちょうど間奏に入り、ヤイコが激しいダンスを披露しているところだった。

 長身を生かしたダイナミックなダンスは実に見ごたえがあったのだが――。


「うお、あれは……」

「あらまあ、今日も荒ぶってるわねぇ、ヤイコちゃんのご立派様」


 そう。ステージ上ではヤイコのご立派様――大きすぎる胸が、ダンスに合わせてバインバインと躍っていた。まるで別の生き物のようだ。

 彼女が着ている衣装は、胸元がしっかりと締まったものだったはずだ。にもかかわらず、大きすぎる巨乳がたゆんたゆんと荒ぶっている。

 先程までヤイコの歌声に酔いしれていた観客たちも、いつしか彼女のご立派様に夢中になっている様子だ。特に、男性客の食いつきが凄い。


「アレのせいでヤイコちゃん、テレビとか動画にはあまり出演させてもらえなくてねぇ……。『えっちすぎてとても流せません』って」

「そ、そこまで!?」


 最近は、テレビもネット動画も性的な表現にすっかり厳しくなっている。だから、アイドルの衣装もギリギリを攻めるような露出度の高いものは端からNGだ。

 けれども、ヤイコの場合は自分の身体だ。衣装も煽情的せんじょうてきなものではない。それなのに出演NGをくらうというのは、よっぽどだった。


 ……いや、まあ。分かりますけど!

 俺も冬華の目が無かったら、もっとガン見してるだろうし!


「メンタルはおいとくとして、歌も踊りもルックスも最高クラス。でも、扱いがとても難しい子なのよ。だから、事務所の方でも売り方に悩んでいてねぇ」

「ああ、なるほど……本人は悪くないパターンなのが、また、きっついですね」

「いやいや、本人も十分悪いのよ? マネージャーさんに逃げられるのだって、すぐに相手を好きになっちゃって、依存し始めるからだし」

「……同情して損しました」


 等と口では言いつつも、俺の中ではヤイコへの同情心が消えなかった。

 多少(?)問題があるとはいえ、あれだけの逸材だ。腐らせておくのはもったいなさ過ぎる。

 冬華とも仲が良いようだし、なんとかしてあげたいところだが。

 「ライバル」がポンコツでは、冬華の今後の成長にも関わるし、一体どうしたものか……?

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