幕間「ふゆかの見たゆめ」

 ソロデビューのステージを大成功におさめた夜。冬華は心地よい疲労感に包まれながら、自室のベッドで寝息を立てていた。

 ――そして、夢を見た。いつも見る夢だ。彼女が幼い頃に実際に見た、あの忘れられない光景を、反芻はんすうするように夢に見ていた。


   ***


「わぁ……すっごくたくさんのひとがいるね、ママ!」

「ええ。日本最大のアイドルイベントだからね。ああ、ほら! 次のグループが出てくるわよ」


 そこはとても広い、大きな会場だった。冬華の母によれば、首都圏内のドーム球場だったという。

 七歳の冬華は母親に連れられ、アイドルの合同ライブへとやってきていた。

 

 大人も、子供も、おじいさんもおばあさんも。皆が皆、目を輝かせながらステージに釘付けになっている。

 登壇するのは、ベテランから新人までの、多種多様なアイドル達。

 

 女子中高生ばかりを集めた八人組のアイドルグループがいた。

 冬華の母親と同い年くらいの、ベテランアイドル三人組がいた。

 たった一人でステージに立ち、それらアイドル達を遥かに凌駕するパフォーマンスを見せる、伝説のアイドルがいた。

 そして――。


「へぇ、次は新人のロック・アイドル・グループだってさ、冬華」

「ろっく?」

「ええと……ギターとかドラムとかをジャカジャカ鳴らす、激しめの音楽?」

「ふゆかしってるよ! それ、バンドっていうんだよね? それも、アイドル?」

「そう。アイドルにも色んな人達がいるのよ」


 実際、冬華がまだ幼かったこの頃にはもう、「アイドル」という言葉は広く人気歌手を指す言葉となっていた。

 かつては「スター」等と呼ばれていた人々も、まとめて「アイドル」と呼ばれるようになっていたのだ。

 だから、本格的ヴォーカリストも「アイドル」であるし、人気ヘヴィメタバンドでさえも「アイドル」として認識されていた。

 けれども、本当の意味でアイドルと呼べるのは――。


「ママ! あれ、なぁに?」


 新人ロック・アイドル・グループとやらの演奏が始まって、しばらく経った時のことだった。

 広い広い会場のそこかしこに、七色の光球がいくつもいくつも浮かび上がってきた――「スフィア」だ。


 「スフィア」は、アイドルが観客の心を掴み一体となった時にのみ現れる。言わば、「本物のアイドルであることの証」と呼べるものだ。

 彼らは新人であるにもかかわらず、その「スフィア」を発声させていた。この広い会場の多くの観客を虜にし、見事に熱狂させている証拠だ。

 実際、彼らは歌も演奏も全てがハイクオリティだった。


 長い金髪をなびかせながら朗々と歌うヴォーカルの声は耳に心地よく、ギターサウンドは疾走感にあふれていた。

 ドラムとベースが打ち鳴らすリズムは体の芯まで響くようで、知らず心を熱くさせた。

 しかし、何より幼い冬華の心を打ったのはキーボードの演奏だった。


 サングラスで顔が隠れていたのでよくは分からなかったが、恐らくまだ若い。高校生くらいの青年。

 彼の左右の指が魔法でも使ったかのように軽やかに走ったかと思えば、電子音とは思えぬ優しいピアノの音色が響き渡った。

 騒がしい、アップテンポの曲なのに、ピアノの音だけはやけに優しくて、それでいて曲調にマッチしている。

 「この人は本当に魔法使いなんじゃないか?」と幼い冬華に思わせる何かが、彼の演奏にはあった。


(すごく、すてき……!)


 絶叫と歓声と激しいパンクロックで満たされた空間の中で、しかし冬華はキーボードの青年だけを見つめていた。

 七色のスフィアが揺らめく幻想的な光景の中に、まるで世界に彼と自分だけしか存在しないかのような感覚に包まれた。

 ――と、その時。


(めが、あった? あの人、ふゆかをみて、わらった?)


 果たしてそれは、幼い冬華の見た幻だったのか。

 キーボードの青年と冬華の目が、合ったのだ。サングラス越しでもはっきり分かるほどに。

 しかもその時、青年の口元は確かに笑みを浮かべていた。冬華の方を向いて。


『――でした! 俺達のデビュー曲は、来月発売予定です! どうぞよろしくお願いしまッス!』


 ヴォーカルのMCに、会場が沸いた。どうやら、演奏はいつの間にか終わっていたらしい。

 グループ名がよく聞き取れなかったけれども、後で母親に訊けばわかるだろう。冬華はそう考えていた。

 彼らのデビュー曲が発売されたら、絶対に買ってもらうんだ、と。


 けれども、その日が来ることは無かった。

 待てど暮らせど、冬華があの日聴いた曲が、巷に流れることはなかった。

 母親に訊いても「そんな人達いたっけ?」と言われる始末。


『あの会場の熱狂も、素晴らしい演奏も、キーボードのあの人も、自分の見た夢だったのだろうか?』


 大きくなってから彼らについて調べてみたけれども、それらしいグループは一向に見付からなかった。

 鼻歌で音楽を検索出来るというサービスを使ってみても、ヒット数はゼロ。

 冬華は狐につままれた思いだった。


 ――でも。けれども。

 冬華はしっかりと覚えていた。彼らの歌声を、サウンドを。

 何より、あのキーボードの青年の魔法のような演奏と笑顔を。

 七色にきらめく、無数の「スフィア」の輝きを。


 だから、アイドルを目指した。

 彼らのように、あのキーボードの青年のように、自分も輝きたいと純粋に願ったから。

 いつかどこかで、また巡り合えるかもしれないと思ったから。


 冬華は今日、その第一歩を踏み出した。

 「アンヘラス」にいた頃は、終ぞ現れなかった「スフィア」が、彼女の門出を祝福してくれた。

 もちろん、自分の実力だという自負を持っている。

 けれども、何よりも誰よりも、きっとあの人のお陰なのだと感じていた。


(……春太さん)


 いつしか夢の中から熱狂したライブ会場は去り、にこやかな笑顔を湛えた春太の姿が浮かび上がっていた。


 彼の作った歌を口にした時、世界が変わった気がした。今までに歌った楽曲とは何かが違う、そう感じた。

 それ以来、名前も顔も性別も知らないその作者に憧れた。もっとこの人の作った歌を歌いたいと、いつか会ってみたいと。


 ――それが叶った時、冬華の中で何かが弾けた。

 一目見て、春太のことを「好き」だと感じた。理屈ではない。冬華の何か、心の「芯」に当たる部分に、決して消えない火が灯ったのを感じたのだ。

 多分、あれが一目惚れという感情なのだろう。


 小学生の頃からアイドルを目指していた冬華にとって、恋愛感情は最も縁遠い存在だった。

 禁止はされていないけれども、やはりアイドルと恋愛の相性は悪い。

 なにより、アイドルとして輝くことにしか興味のなかった冬華には、異性に心ときめかせる暇などなかったのだ。


 それが、一発で破られた。気付けば恋に落ちていた。

 まるで前世から仕掛けられていた恋の罠が発動したかのように、気付けば春太のことを好きになっていた。

 自分でも、この恋心が止められない。暴走気味だという自覚はある。

 けれども、冬華自身にもコントロール不能なのだ。


(きっと、これは……運命!)


 そう。あの日、母に連れられて観たライブ会場で、あのグループに出会い、アイドルを目指したように。

 アイドルとして輝くために、春太と出会ったのだ。永遠のパートナーとして。


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