第13話 おまけ・貴子の冬。(上)
凄く寒い…寒い冬の夜。
居るのが当たり前、主導権は自分にあるなんてワガママや驕りを持ったつもりはなかったが何処かに持っていたのかもしれない。
それは付き合い初めの時からか、そもそも後ろ向きに付き合って結婚をしたからかも知れない。
そもそも結婚をして麗華を産んで、キチンと育て上げて頑張ったのもいつか何かの偶然で会えるかもしれない初恋の人に心配をかけない為、私はキチンと頑張ってきたと言いたかったからかもしれない。
だけど世の中は甘くない。
主導権を持っているなんて言うのは勘違いの思い上がりで、結婚生活はそう甘くない。
私の旦那は心が向いていない事に気付いて母に相談をした。
そして私の初恋を知った。
終わったつもりでも終わっていなかった初恋。
旦那はそれを理由に荒れるようになった。
荒れるには荒れるだけの理由があって、その理由もわかる。
仕事が忙しい。
旦那は言わないが共通の知り合いのいる兄経由で聞いている。
その中で家族サービスをしようとして頑張るが、ガサツな旦那は周りに迷惑をかける。
そんな事をしないでも家族なのだからゆっくりすればいい。
だから遠慮して家族サービスを拒むとすぐに初恋を持ち出して荒れるようになった。
あの夏の日、初恋の人…鶴田昴の息子、鶴田薫に会う頃は夫婦の危機、どん底だったと思っていた。
私はまあダメならダメだと思っていた。
だが、昴ちゃんの息子の薫くんに出会って事態は上向いた。
時間はかかったが昴ちゃんと奥さんの美空さん、息子の薫くんに触れて私達は変わった。
ようやく旦那の龍輝も変わってくれた。
ようやくここからやり直せると思った。
だがドン底はさらに先があって、思っていたよりもずっと深かった。
旦那は新入社員の女の子にモテて熱烈…病的なアプローチを受けて困っていた。
そして私達がうまく行っていない時の事を一度だけ龍輝は職場で漏らしていた。
それを聞いた部下達が龍輝の為を思い、新入社員の渡来愛菜との仲を取り持とうと画策した。
確かに初恋の話が出た頃からだから二年近くだが龍輝とは夫婦の営みは無かった。
今は喧嘩からの不仲時期を乗り越えてようやく変わり始めてやり直せると思ったところだった。
だがもう40を過ぎて散々営みを交わした旦那に自分から「どう?」とは聞けなかった。
そこに飲み会で泥酔させられた龍輝は記憶を無くし理性を殺されて病的な渡来愛菜と行為をしてしまった。
それは遠因は私にあるから謝られる事はないと思った。
そして、婚姻関係の主導権は私にあると思って油断していた。
だから渡来愛菜の妊娠が発覚したから生まれてくる子供の為にと龍輝から離婚を申し入れられた時にはショックだった。
しかも私と娘の麗華が拒んでも龍輝は生まれてくる自分の子供だと言われている子供の為に離婚を取り下げなかった。
それからは昴ちゃん達の力も借りて皆に励まして貰ったがやはり辛い。
家を出て行く日、昴ちゃんと美空さんが言った言葉が胸に刺さった。
私は実家…亀川家の援助を見越して余裕を見せていただけで麗華と2人で暮らす事がこんなに寂しいと思わなかった。
だが麗華は初めはロースハム4枚で、翌日からはサラダチキン3個で薫くんを手配してくれて薫くんはウチで過ごしてくれるようになった。
夜が来ると泣いてしまう私の為に顔を真っ赤にして恥ずかしいけどと言ってソファの上で私を抱きしめてくれて一つの布団で夜が明けるまで一緒にいてくれる。
一晩中ドキドキと聞こえてくる薫くんの鼓動を聴いていると心穏やかに眠れる。
それでも初めは慣れなくて夜中に離れると不安と寂しさで目が覚めてしまう。
だがすぐに薫くんは優しく抱きしめてくれる。
私は少し物足りなくてもっと力をこめて欲しいと言うと薫くんはその通りに抱きしめてくれた。
朝、私が目を覚ました時ようやく薫くんは熟睡していた。
私が動いても起きずに眠る薫くんの顔。
目覚めた時に目の前にある顔に叶わなかった初恋を取り戻すような感覚に陥る。
昴ちゃんによく似た薫くんの顔。
冷たい空気、カーテンから差し込む朝日に照らされた薫くんの顔は凄く尊かった。
この顔を支えにさせてもらって寂しさに負けないようにしようと思った。
初めて朝まで抱きしめてもらった日、薫くんも麗華も冬休みで早起きをする必要は無かったがそれでも引越し翌日からグータラ出来ないので起こす為に薫くんの頬に触れた。
薫くんの頬は冷たくて掌で温めると薫くんはすぐに目を覚まし「貴子さん?」と言う。
「おはよう。眠れなかったよね?ごめんね」
「いえ、平気ですよ。貴子さんは?」
私たちは小声で話す。
この家は安普請で話し声は隣の部屋で眠る麗華に聞かれているみたいで昨日も2人で眠る時にツーショット写真を送れと言われた。
「ありがとう。薫くんのお陰で眠れたよ」
「良かったです」
「薫くんの頬がすごく冷たい。ごめんね。寒かったよね」
「平気ですよ。俺の部屋は寒いから慣れっこです。貴子さんこそ平気ですか?」
「冷たいかな?触ってみてよ」
「えぇ?」
「私みたいなおばさんは触れない?」
「そうじゃないですよ。貴子さんは可愛らしいから照れます」
「じゃあ…触ってくれる?それがすごく元気に繋がるんだ」
「…照れるんですけど頑張ります」
薫くんはそっと私の頬に触れて「うん。冷たいです」と言う。
私は甘えちゃいけないと思いながらももう一度抱き着いて薫くんの左頬に自分の左頬を当てて「あったかいよ薫くん」と言う。
「貴子さん…薄着だし照れます」
「うん。ドキドキ言ってる」
「貴子さんも言ってます」
「うん。もうすぐ朝ごはん作らなきゃ、麗華が起きるけどもう少しこうさせて」
しばらく抱きついて頬の温度が同じになったのだろう。境がわからなくなった頃に薫くんは口を開いた。
「貴子さん、貴子さんが眠れて良かった。俺、一晩中考えていました。母さんが言った背追い込まないようにって言葉の意味、でもそれよりも貴子さんが泣く度に可哀想でなんとかしたくなって何回も俺でよければ居るから元気出してって言いたくて、でもそれを言ったら背追い込み過ぎになるのかもって思ったら言えませんでした」
「…嬉しい。嬉しいよ薫くん」
寒々しい荒地のような自分の心に降り注ぐ薫くんの春の日差しのような優しさが染み渡るのがわかる。
私はすぐに泣いてしまう。
折角境がわからなくなった左頬が私の涙で濡れる。
「嬉しいけど私みたいなおばさんを背負い込んだら薫くんにも美空さんにも昴ちゃんにも申し訳ないよ」
「貴子さんは可愛らしい人だからそんな事思ったこともないです。龍輝さんが戻るまでなんとかしたいって思えます」
これは危ない。
ドキドキしてしまう。
私は「ありがとう。まだ1人は怖いからこれからも泊まって」と言って最後に一度強く抱きしめると立ち上がって「コーヒー淹れるから飲もう」と言って布団を部屋に片してコーヒーを淹れる。
リビングはそこそこの大きさなので薫くんはソファからテーブルに移ってコーヒーを待つ。
「はい、インスタントだけどお待たせ」
昨日貰ったばかりの赤いカップにコーヒーを淹れて渡すと「ありがとう貴子さん」と言って薫くんがコーヒーを飲む。
それだけで救われる。
少しして麗華が起きてきて薫くんにバレないように気を使いながらソファをチェックしている。
まったく、とんでもない事を考えるものだという気持ちで「おバカ…私みたいなおばさんと薫くんに何かある訳無いでしょ?」と突っ込んでおいた。
薫くんも麗華にハム4枚は安すぎると談判してサラダチキンに変更を申し出る。
麗華から嫌だったかと聞かれた薫くんは「照れるし、貴子さんが可哀想でなんとかしなきゃって気持ちと母さんの言ってた背負い込まないようにって言葉が頭をぐるぐる回るし、貴子さんは可愛らしいからなんか本当照れるんだよ」と言ってくれた。
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