第9話 貴子と麗華と薫の夜。
引越しは秒殺だった。
でも前の家より全然狭いのに広くて怖い家。
お母さんも顔色が悪い。
家を見回した美空さんが「貴子さん、お願い聞いてくださらない?」と言った。
「美空さん?」
「ここ、周りから洗濯物とか見えるから男っ気ないと思われると心配だわ。だから嫌でなければ薫の洗濯物も洗ってくれない?薫は汚いから嫌かしら?」
「ううん。平気だよ。薫くんは汚くないよ。龍輝に比べたら全然だよ」
この言葉を聞いて美空さんは薫くんに「薫、洗濯物は溜め込まずに貴子さんにお願いするの。貴子さんのお家で干す事で防犯に繋がるからちゃんとお邪魔にならない範囲で通いなさい。後は洗濯をお願いする分だけ買い物に付き合って荷物を持ちなさい」と言う。
薫くんは呆気に取られながらも了解し、皆でご近所への挨拶に行く。
そして昴ちゃんさんが「付き合い深い家族でして誰かしら顔を出すのでこの機会に覚えてもらおうと思いまして」と言って皆でご近所さん達にアピールをしてくれる。
「これで変な奴は寄り付かないと思うからね。後はさっきは厳しい事を言ってごめんね。俺も美空さんも亀川を突き放したりしないからきちんと困ったら言ってね。薫の事は後一年はこっちに居るからコキ使っていいからね」
「本当よ、あの子に腹が立って厳しい事を言ったけど皆いますからね」
この言葉にお母さんは泣いた。
そして引越しだからと蕎麦を食べに行く。
「薫くん、何にするの?」
「鴨南蛮」
「ブレないね」
「そうかな?」
「ねえ、一個聞いても良い?」
「何?」
「お肉で薫くんは釣れるよね?」
「簡単だよね」
薫くんは自分のことなのに笑いながら話す。
「じゃあさ、高いお肉はダメだけど安いお肉でも呼んだら助けに来てくれる?」
「勿論だよ」
私はここで間髪入れずに「じゃあ今晩、お願いね」と言って笑う。
「え?早速?」
「とりあえず家が近くなったから解散したら洗濯物持ってウチに来てね」
おそばを食べて解散になる。
私とお母さんは買い出しは明日以降にして近所に何があるのかを見てから帰宅をする。
新しい家、寒々しい家に震えてしまう。
「お茶…飲もうか?」
お母さんがそう言って立ち上がった時、私は一個の事に気付いて「しまった!」と言ってしまう。
「麗華?」
「お母さんダメだ!百均だよ。いや、百均は失礼か…。でもこれからはお金無いしな」
ブツブツと呟く私にお母さんは「何やってんの?お茶は?」と聞いてくるが私は「お茶は後だよ」と返す。
「お風呂?」
「それも後!…ってかそれもあった…しまった!」
私は考えが甘かった。
風呂上りを見せる羽目になるのは想像付かなかった。
恥ずかしいが仕方ない。
そう思っていると私のスマホに「下に来たけど…とりあえず上がるね」と着信が来て数分で薫くんが来てくれた。
玄関を開けたお母さんが「薫くん?」と聞くと薫くんは「麗華さんに呼ばれたんですけど…」と言って玄関で立ち尽くす。
私はそんな薫くんを家に引っ張り込むと「え!?俺男!女性の家に夜上がり込むってダメだって麗華さん!」と慌てる薫くん。
薫くんの表情にホッとした私は「何言ってんの?年越しもここだよ?慣れてよね。薫くんのお家は狭いんだからさ」と返す。
「え!?俺向こうに帰らないと婆ちゃん達が…」
「ええぇぇ?新年の朝一番に帰りなよ」
このやり取りにお母さんが理解できずに「麗華?」と聞いてくる。
「何言ってんのお母さん、これからドンドンうるさかったお父さんが居なくて寂しくなるから薫くんに来てもらったの。薫くん洗濯物は?」
薫くんは「うぅ」と言いながら恥ずかしげに洗濯物を出す。
「ちゃんとパンツ入ってる?防犯だよ?」
「見られるのも洗われるのも恥ずかしいよ」
これでお母さんがようやく笑って「ほら…出しなさい」と言って洗濯物を取り出すと「あ、洗剤の匂い違うけど平気?」と聞く。
「あ、俺は安いのしか使わないから匂いとかは気になりません」
「良かった。麗華、それで百均だったの?」
「うん。薫くんの食器がないやと思ってさ」
ここで「これか」と肩を落とした薫くんが「貴子さんごめん。父さんと母さんから渡された」と言ってガチャガチャと音を出す袋を渡す。
そこには3人分のお箸とか食器が出てきた。
「これ…」
「母さんが「引越し祝い追加しよう」って言い出して帰りに駅ビルで買ったんです。三つ目は言わなくてもわかるって言われて、俺は龍輝さんの分だと思ったんだけど…」
「薫くんの分だね。ふふ、家族みたい。嬉しいな」
お母さんは早速お茶を入れて新品のカップを三つ並べて「赤と青とピンクだって、麗華は?」と聞いてきた。
「青」
「じゃあお母さんは赤、薫くんはピンクね」
「え!?ピンク可愛すぎるから麗華さんか貴子さんがお似合いですよ!?」
たったこれだけで盛り上がって最終的に赤が薫くん、青がお母さん、ピンクが私になった。
3人でお茶を飲んでのんびりした後で帰ると言う薫くんにさっきコンビニで買った4枚入りのハムを渡して「今晩怖いから朝までいて。足りなければ後12枚あげる」と言ってお風呂に入るとお父さんに前に言われた胸の先が見えないように気を付けた服を着て出てくる。
お母さんも照れたが風呂に入って薫くんも必死に拒んだが「汗臭い」と言うと「家まで10分だから着替え取りに行ってもいいですか?」と聞いて服を取りに行ってからウチでお風呂に入った。
本音は家で風呂に入りたがっていたが「お湯代勿体ない」で封殺した。
薫くんは「ダメだ照れる」と風呂上がりにのぼせていてお母さんが「純情だなぁ」と笑った後で急に泣いた。
私は逃げるように「じゃ、ハムの分よろしくね〜」と言って席を立つ。
残された薫くんは「えぇ!?麗華さん?」と言って嘘だよねという顔をする。
「だってひばりおばさんからお母さんは夜中に泣くって教わっていたからそんな気がしていたんだよね」
私は言うだけ言って部屋に戻ると生活感のない部屋が寒くて怖くて1人で泣いた。
部屋の外からはお母さんの「私が悪いんだよ」と言う声と泣く声が聞こえてきていてやっぱり薫くんを呼んで正解だと思った。
2人では潰れてしまう。
これが昴ちゃんさんの言ったお父さんが抜けてどうしようもない部分なのだろう。
この家、家賃の割に壁が薄い。
お母さんが泣く声と薫くんがお母さんを慰める声が聞こえてきてしまう。
ありえないけど男女の仲になられたらどうしようとドキドキした。
「貴子さん、貴子さんの寝間着は薄着で照れますし、貴子さんの部屋には入りませんから掛け布団を持ってきてください。冬で寒いからソファで布団をかけて一緒に居ましょう」
「薫くん?」
「恥ずかしいですけど今はそれが良いって思えたんですよ」
「嬉しいよ。じゃあ甘えちゃうね」
お母さんはモゾモゾと布団を持ってきたのだろう。
すぐに「あったかいね」という声と「照れます」という声が聞こえてきた。
私はここでお母さんにメールを送る。
「え?麗華?」
「麗華さん?眠れないの?」
「また写真を撮って本にしたいから協力してだってさ」
「え?写真ってまさか…」
「そうだよ。ツーショットだよ」
その声の後で届いた写真はスッピンで泣きながら笑顔のお母さんと真っ赤に照れた薫くんのツーショット写真。
私は少しだけ意地悪をした。
「お父さん…お母さんは悲しくて夜泣いちゃうから私が薫くんをロースハム4枚で雇ったからね。でもやっぱりお父さんがいいみたいで物足りなそう。私達も頑張るからお父さんも頑張ってね」
写真を添えて送ると夜中に「おう。ハムの枚数を数えておいてくれ」と返事がきていた。
お母さんが夜中に寂しい悲しいと泣くたびに薫くんが「ほら少し離れちゃってます。こっちにきて貴子さん、寒いから暖かくして寝ましょう。寝るんですよ。役に立たないけど俺も居て1人じゃないですよ」と言ってお母さんを抱きしめてくれるのか、お母さんは「もう少し強くギュッとして欲しいな」と言って「うん。ホッとするありがとう薫くん」と言っていた。
朝一番…こそっとソファを見たらお母さんから「おバカ…私みたいなおばさんと薫くんに何かある訳無いでしょ?」と頭を小突かれた。
薫くんは目の下にクマを作って「麗華さん今度からハムじゃなくて三つくっついたサラダチキンじゃないと割に合わないよ」と言いながらコーヒーを飲んでいた。
「嫌だったの?」
「照れるし、貴子さんが可哀想でなんとかしなきゃって気持ちと母さんの言ってた背負い込まないようにって言葉が頭をぐるぐる回るし、貴子さんは可愛らしいからなんか本当照れるんだよ」
とは言えロースハム4枚入りからサラダチキン3個になってもまだお安い。
私はネットスーパーで安めのサラダチキンを探しておく。
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