第3話 1-3
「これで拭いてください」
私がタオルを渡すと、謙信様(ここから影の彼をそう呼ぶ事にする)は深々と頭を下げ、
顔や手の汚れを丁寧にふき取っていった。
再びじっと見つめていると、
「まだ汚れがついていますか?」
と、首を傾げながら私に訊いて来た。
「もう大丈夫だと思います。」
汚れが落ちると、謙信様の端正な顔がより顕わになる。
マジでどういう事?戦国武将の方が、どっどっどーして現代に?何で現代に?何でェ!?
そうよ!私の謙信様に対する想いが強すぎたからだわ。あまりにも強すぎて、それを見兼ねた神様が
この現代の時代に謙信様を寄越して、私と巡り合わせてくれたんだぁ!
再び謙信様の横顔をちらっと拝見する。武将のような勇猛な雰囲気があり、古風な顔立ちでありながら、
それでいて現代社会に居てもおかしくない端正なマスク。間違いなくイケメンの部類に入るだろう。
「お茶を淹れますね」
何とか平静を装い、謙信様にお茶をお出しする事にする。
「そんな、お構いなく」
謙信様が挙げようとした手を制し、
「いいんです。どうぞテーブルにお掛けになって下さい。日本茶はお好きですか?」
「はい。大好きです。」
日本茶が好きな点も、(本物)の謙信様に対する私のイメージ通り。
薬缶でお湯を沸かし、静岡の有名なお茶を茶碗へと注いだ。
私の心臓の鼓動がいつの間にか速くなっているのを認めた。謙信様は静かに湯呑を取ると、
ゆっくりと口元へと運んだ。
「ありがとうございます。とても美味しいお茶だ」
初めて私に対し、相好を崩した瞬間だった。更に心拍数が速くなるが、軽く深呼吸をして、
何とか心を落ち着かせる。
「えっと、それで・・・、一体どうされたのですか?何故、道端に倒れていたのかしら?」
喉の奥が乾きながらも、謙信様の身に何があったのか?その大きな疑問を解消せずには居られない。
「それが・・・」
少しの間の後、謙信様が呟いた。どこか歯切れも悪い。
「覚えてないんです。何も。どうして道端に倒れていたのかも・・・」
その後の謙信様の話を要約すると次のようになる。
・記憶が無くなっている(いわゆる記憶喪失)
・ただ、何者かに追われていることは覚えている(追手の正体も当然覚えていない)
・何故追われているのかも分からない。
・どこから来て、どこへ行こうとしていたのか思い出せないし、分からない
・つい最近、大切な女性(ひと)を失った(生死は不明。思い出せない)
・自分の名前は何とか思いだすことができた
・名前は「一ノ瀬 謙真」・・・
て、ニャニイーーーーーッ!?謙真(けんしん)ですって?
かの「上杉謙信」様と字は違えど、一緒の読みの謙真ですって!!?
驚きと感動、そして興奮の嵐が巻き起こり、眩暈でその場に倒れ込みそうになる。
すると、謙真様がすかさず両手で私を支える。ちょうど抱きかかえられるような恰好になった。
私と謙真様の目が見つめ合う。
「大丈夫ですか?」
よく通る、男らしい声がそう言った。確かに言った。
本当に私の身を案じているような、優しさの籠った声だった。
だめよ。私には龍太が居る。大事な、大事な婚約者が。
・・・そうよ。龍太とは結婚を控えているのよ。龍太だってとても優しくて誠実な男性なんだもの。
そんな彼を裏切る事なんてあってはならない。本物の謙信様の「義」の心。
それに背くような振る舞いは、絶対にあってはならない。
「立てますか?」
目の前に居る謙真様が私の手を確りと握る。
・・・いいのよ。そうよ。大丈夫よ。
神様は私へのご褒美として、この現代の時代に謙真様と巡り合わせてくれたんだもの。いいのよいいのよ。
そうだわ!私の人生はこの謙真様と出会うために有ったんだわ!
・・・龍太?えっと、誰だっけ?遠い過去の記憶はもう思い出せない。
ここに居る今の私は、謙真様との未来を考えることに全力集中すべきよ。
だってそうでしょ?神様は私と謙真様を結び付けてくれたんだもの。
謙真様は大切な女性(ひと)を失ったと明かしてくれた。
今、彼の心には大きな、それはそれはとても大きな風穴が空いてしまっている事だろう。
私はそんな謙真様の空洞を少しでも埋めてあげたい。この方のために一生尽くそう。添い遂げよう。
無慈悲なまでに捨てられてしまった、謙真様の愛の心を。そう、彼の愛を少しでも拾い集めてあげたい。これからの私の人生。それはまさしく、
捨てられた愛を拾う人生なんです
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