14 派手顔男、振り回される
口元に軽く握った手をあて「まさか」と何度か言った俺の腕に、主任の平手がパンッと飛んだ。
「だから何がまさか?」
「えーっと」
少し前に会議室に呼び出された時の内容をざーっと簡単に説明し、それから一番もしかしてな所を主任に伝える。
「で、その課長とごはんの件で会話してる中で」
「うん」
「そんなに悩まなくても『予約が取れなかったって嘘ついて断ればいいじゃないですか』って言ったんですよ」
「あぁ……まぁ今日の今日だし、それで全然いけるって話よね」
「はい。ただそれは牧田さんを優先して当然、という前提で言ったんですが」
数秒ほどまた二人で顔を見合わせ、そして主任がさっきまでの俺と同じ言葉を吐く。
「え、まさか」
固まってしまった主任の顔を、申し訳なくそっとのぞき込む。
「俺、やっちゃいました?」
「いやいやいや。その話の流れからして、奥さんの方を断れ、なんて言ってるとは普通は思わないって!」
「……ですよねー。良かった」
ウンウンと頷いた主任は、次に黙って歩き出す。
その横を同じく黙って歩いていたら、主任が再びピタッと足を止めた。
「とりあえず牧田さんには、ご飯ご一緒しますって返しとく」
「そうですか」
「で、仕事終わったあと課長がどうするか様子を見て、それでもしあの女どもの所へ行く様子があったら」
「はい」
「牧田さんと二人でお店に乗り込んじゃおうかな」
悪どい笑みを顔全体に広げた主任は、心なしかとても楽しそうだ。
「ま、あとはこっちで何とかする。でも悪いけど一応だけ帰る前に私に声掛けて」
「……はい」
(もうさぁ、なんで牧田さんの方を断ったかなぁ)
本当に残業であることをほんの少しだけ祈りながら、色々画策している様子の主任と資料室へと向かった。
そして資料室から戻った少しあとに就業時間が終了。
何となく先に済ませておこうと思い、主任の席へと向かう。
「主任、帰りますけど」
「あぁうんお疲れさま。……野々村、私もうさぁ、牧田さんには穏便にごまかしたほうがいいのか、正直に教えた方がいいのか。そこをすっごい悩んでるんだけど」
「え、でもまだ確定したわけじゃ」
主任は黙って視線を横に向けた。
それにつられるように俺も横を見ると。
(……かちょー)
バカなのかと頭を抱えたくなるほどの分かりやすさには、もう
「頑張って下さい」
「了解」
暗い面持ちの主任から離れ、課長の動きを横目に見つつ机の片付けをしていたら、最近ちょっと仲良しな関係になった山下くんがスタスタと近づいてきた。
「あの野々村さん」
「ん?」
「課長、体調でも悪いんじゃ」
「……たぶん大丈夫。あ、もう帰るよな」
「はい」
「じゃ、途中まで一緒に帰ろう」
「はい」
そして山下とエレベーターに乗り会社の玄関から出て一分ほど歩いたとき、
「のっのむっらさーん」
すささささーっという忍者のような動きで俺の視界いっぱいに入ってきた畑田。疲労が蓄積された金曜だとは思えないテンションだけど、気づいてる? 山下くんめっちゃ引いてるよ?
「なに?」
「なにって、後ろ姿が見えたので私も一緒に帰ろうかなって」
「ふぅん」
「なに嫌がってるんですか。せっかく走ってまで追いかけたのに!」
「頼んでないし」
「え、酷くないですか──って、あれ? あれ、牧田さんじゃ」
畑田がスッと指さした先には本当に牧田さんがいた。
まだ遠くにはいるけど、こっち方面に歩いてきていることからして、会社に来ようとしていることは明白。
「主任と会社で待ち合わせしてんのかな」
「してませんよー。駅に着いたら連絡のはずですけど」
「え」
なんか嫌な予感。よく見りゃ牧田さん、スーパーっぽい袋持ってないか?
まさか残業の差し入れ……? いやもうさぁ、めんどくさ!
時計を見たら柚葉さんとの約束からは、五分ほど過ぎてる。
すでに知ってるかもだけど、一応は主任に牧田接近の報告したほうがいいような。
「畑田っち、主任に電話」
「え? あ、はい」
パパッとスマホを手に取った畑田は何回目かのコールを聞いた後、元気にスマホを俺に向けて掲げた。
「出ませーん」
「えー」
一旦会社に戻る? そこまでしなくていいか……って、なんにしても主任の現在地不明じゃん。
「あ、青山さんたちだ」
「え?」
畑田が今度は会社の玄関を指さし、そこには噂の女子たちがたむろっている。
このまま何も知らない状態で鉢合わせとか、牧田さんには地獄でしかない。
(かちょー、覚えとけよ)
仕方が無いので玄関までたどり着く前に、俺らが牧田さんを捕まえて──
隣を振り返り、今は信号待ちしている牧田さんの方へと行くぞと合図をしたら、畑田がパッとスマホの画面を見た。
「野々村さん、時間大丈夫なんですか? 柚葉さんと会うって」
「……遅刻だなー」
「会うのって、キャビンですよね」
「そう」
「じゃあ、遅れるって連絡と話し相手してきますよ! 私、柚葉さんに会いたかったんですよね!」
コラ待て。お前、なにを逃げようとしてる。
ここは事情を知ってる者同士の連係プレー、そして助け合いだろ。
走り出そうとした畑田の首根っこを掴んで、そして目を細めた。
「連絡は電話でもできる」
「えー、どれだけ待たせるか予測できます?」
「じゃあ俺は柚葉さんとこ行くから、あとは畑田に任せた」
「えっ、無理です無理! 私あの女子たち苦手なんですよぉ」
「あの」
声がしたので二人して同時に振り返ると、ちょっと存在を忘れかけていた山下くんが小さく手を上げている。
「よく分からないですけど、今からは別に暇ですし、良かったら僕が連絡と話し相手してきましょうか?」
その言葉を聞いて、段々近寄ってきてる牧田さんと山下を代わる代わる見た。
電話するにもそれなりの時間がいるし、ここは頼んじゃおうかな。
「じゃあ悪いけどお願いしていい?」
「はい、分かりました」
(というかこれが牧田さんで無ければ、全無視したいとこなんだけどな)
そんなことを思いつつもため息を吐き、もう俺らの存在に気づいた様子の牧田さんがいる方へと歩き出した。
・
・
・
「凄い圧、感じるんですけど」
「確かに。威圧感すごいですよね」
「……ごめんね」
元カノから送られてくる絶え間ない視線ビームに戸惑いが隠せない二人。
心の底から二人に謝ったものの、俺も気持ち的には同じくで戸惑いまくりだ。
ただアレはメンヘラではあるが、だれ彼の区別なく襲ったりはしない。
……まぁ怒ったら掴みかかってきたりはするけど、対象は自分の男だけだ。
変な動揺感がある空気の中、柚葉さんにお母さまから預かってきたというお礼の品を頂くと、そのあとしばらくは黙ってお茶を飲むだけの時間が続く。
「えっと、山下さんは今日の夕飯どうするつもりだった?」
「はい、帰りにコンビニ寄って帰ろうかなと思ってました」
「そっか、柚葉さんはお家で食べられる予定でした?」
「はい。その予定です」
そして今度は、当たり障りなさ過ぎる他人行儀な会話がボソボソと始まり。
二人は沈黙を守ってはいるけれど、たぶんアレとのやり取りに気になる点がありすぎて、相手が俺じゃなければ聞きたいことが沢山あるんだろうな……という雰囲気がアリアリで。
*
「じゃあ、そろそろ行こっか」
「はい」
十分ほどで限界を感じ、とにかくこの喫茶店からは出ようと伝票を手に取ると、二人も納得した様子で頷き、そのあとほぼ三人同時に立ち上がる。
レジ近くにたどり着いたので「先に出て駅前のコンビニにいて」と二人に伝え、それから伝票とお札を二枚トレーに乗せた。この時点で元カノをチラ見すると、彼女もこちらへと歩き始めている。
(待ってていいなんてひと言も言ってないのに、相変わらずの自分勝手)
「総士」
「野々村さんって呼んでもらえますかー」
「いいよ。わたしも野々村になるかもしれないしね」
「ならねーしっ!」
怖い怖い怖い。
なに? あのとき二人してボロカスに罵倒してくれたくせに今更ですか?
え、まさか。あの時の男と別れた?
顔見知りの店員から同情の眼差しを送られつつお会計が終わったので、元カノの会計を待たずにさっさとドアを開け外に出る。とりあえず新鮮な空気が吸いたい。
喫茶店を出た後は後ろを見ずスタスタと歩き、お店の前の交差点で一旦待機。そして当然のように現れた元カノに尋ねた。
「結局のとこ何の用事で来たわけ?」
「本当に偶然見掛けただけ。それで懐かしくなって」
そんな軽い用件な割りには、めっちゃ強引な事しませんでしたっけ? 大体さ、お前ってどうでもいい男に対しては、挨拶どころかフルシカトするタイプだろ。
「今、彼女いる?」
「いない」
「そうなんだ。あのね実は、あの彼氏と別れたんだ」
でしょうね。
「ふーん。それで?」
「それでね、別れる時『前の男に謝りたいわ。俺はあいつほど優しくなれない』って言われたの」
「ふーん。で?」
「だから自分で思ってたよりも大事にされてたんだなって反省して、あの時のこと謝ろうと思って」
あの罵倒事件ですね。
許します。おかげであなたと別れることが出来たので。
「もう気にしてない」
「ほんと? 良かった」
そのとき、会社の同僚が目の端に見えた。
俺の興味が自分から他に移ったことに気が付いた元カノは喋るのをやめ、同じ方向へと視線を向ける。
「誰?」
「会社の人」
「そうなんだ」
「じゃあ悪いけど、これで」
これをきっかけに別れようとすると、ハシッとスーツの裾を掴まれる。
「もうちょっと喋れない?」
「悪いけど、本当にもう時間がないんで」
掴まれた部分を引っ張って剥がし、再び「じゃあ」とだけ言い柚葉さんたちが待っているコンビニへと歩き出す。少し進んだ所で頭を横に動かし目だけで後ろを確認すると、元カノは交差点から動いていない。
(よし。俺への執着心は薄そうだ、と)
追いかけてこなかったことに安心し、軽い足取りで着いたコンビニで二人と合流。お詫びとして山下くんには夕飯を選んでもらい、柚葉さんにはスイーツはどうですかと勧める。
「柚葉さんはチョコレート系が好きなんですか?」
「え、よく分かりまし──あ、そっか美術館でも」
「そうそう。美味しそうに食べるなーって思ってたんですよね」
何気なく発したセリフに柚葉さんがムッと目を細めた。
「なんか笑ってましたもんね」
「あぁあれは、笑」
あの時の柚葉さんはちょっと可愛かったよなー、なんて思い出してたら背後に不穏な気配を感じる。
「嘘つき」
「はい?」
振り返ると、血色がいいのか悪いのかが不明な顔色で目を据わらせ、怒りをこらえてますっていう表情の元カノがそこにいた。
「なに美術館って」
「なにって」
お前に関係ないじゃん。
とかいう正論は後にして、興奮してるコレを二人から離す方を優先。
「あそこにいる男の友達だって言っ──」
「はいはいはいはい」
元カノの片腕を持ち背中に強く手を当て、グイグイと押し出すようにコンビニの外へと連れて行こうとしていると、コンビニ内から棘のある視線が俺にグサグサと刺さってくる。
(違う、そうじゃない、俺は被害者)
ただよく知らない第三者から見ると、女癖が悪い彼氏に怒っている華奢で可憐な女が引きずられていく風に見えるようで、そういや以前もこんな扱い受けたよな……と落ち込みつつも外への連れだし成功。
手を離しても動かないことを確認し、すぐには掴みかかれない距離まで離れてから『お前とはもう他人』と強めに突き放そうとした。
「あれ? 野々村さん」
タイミングがいいのか悪いのか、二十分ほど前に別れたはずの人から名前を呼ばれ、ゆっくりと声の方を見る。そこには主任と牧田さんが立っていて。
ただ近くにいる元カノを連れだとは認識せず俺が一人でいる…と思ったらしく、おや? と首を傾げた主任が口を開いた。
「一人? 柚葉さんとデートだったんじゃないの?」
元カノと俺の時間だけが一瞬凍り付いたあと、スマホを持っていた元カノの右手に力が入ったのが分かった。
「なんで? ……なんでみんな私に嘘つくの?!」
(うわ、ヤバイ)
投げられる! と思わず両手で顔を庇った瞬間、元カノの手からスマホが勢いよく放たれ、それはなぜか俺の横を通って後ろへと勢いよく飛んでいく。
どうなった! と急いで後ろを振り返ると、そこには山下に
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