13 派手顔男、お願いにまみれる


 なんでだか喫茶店に現れた元カノは、一見すまなそうにしてはいるけど本当は悪かったなんて全然思っていない。これは断言できる。


 突然現れた女性の気配に後ろを振り返ったあと「知り合い?」という表情でこっちを見てきた柚葉さんに答えようとした時、柚葉さんの頭頂部を見ながら元カノが首を傾げた。


「えっと、こちらの方は?」


(いやいや、ここではお前がどちら様だよ)


 至極当然のように現カノの位置で話を進める元カノ。ここはもう無難に『お友達です』と答えようとしたものの、ふと思いだした。そうだこのメンヘラは俺に関わる女全てに文句を付けてた。


 もしも復縁目的で近寄ってきたんなら、友達でも目を付けられる……


(こうなったら、仕方ない) 


「この子の友達」


 立ったまま百貨店の店員のように、こちらですと手のひらを山下に向けた。

 元カノを背後にしている柚葉さんが驚きの表情になったが、それは見えない。問題は山下だ。


 向けた手のひらの先を見ると、さすが空気が読める礼儀正しい男と評判の新入社員。ちょっとだけ表情は動いたものの、俺の堅い口ぶりから何かを読み取っていたらしく、しっかりと頷いてくれた。


「じゃあ、別に用事無いなら」

「あるの。座っていい?」


(いいわけないだろーが)


「無理」

「じゃあ体が空くまであっちで待ってる」

「一生、空かない」

「待ってるから」


 そう言い放つとお客様かと待機していた店員に声を掛け、少し離れた奥の席に元カノはドーンと座った。もちろん視線はこちらに向けたまま。


(何なんだよ一体、今日は厄日とか?)


 ちょっと頭を抱えたあと、疲労感一杯で体を椅子に沈めた。




 ***




「野々村さん、ちょっといい?」

「はい」


 午前の勤務が終わる一時間ほど前。


 木村主任から声が掛かったので振り返れば、壁際でこっちこいと手招きしていたので立ち上がりそばまで寄ると、主任はコソコソッとした動きで顔を近づけてきた。


「ちょっとお願いがあるんだけど」

「仕事ですか?」

「ううん、私用、かな?」


 悩むように少し首を傾げた主任に、俺も首を傾げる。


「えっと、とりあえず受けるかどうかは置いといて、そのお願いの内容は聞きますけど」

「そう? よかった。今日の帰り空いてる?」

「あーすいません。今日は柚葉さんとの約束があって」

「そうなんだ。じゃあさ、お昼一緒に食べにいこう。畑田と三人でだけど」

「はい」


 *


 お昼休みになり約束通り三人で連れ立って部署を出ると会社の人間があまりいないお高めランチがメインの広々としたお店に入り、店員に目立たない端っこの席へと案内して貰う。


 そして席に座り注文を済ませたとたん、主任が小声で喋りだした。


「あのね。課長の件なんだけど」

「課長、ですか?」


 お願いと聞いて想像すらしていなかった名称が出てきたので軽く驚くと、主任は深刻そうな顔でウンウンと頷く。


「そう。課長がどうも一部の女子社員にいいように扱われてるらしくって」

「女子、ですか?」


 これまた課長の部下、という関連性しか無いと思っていた女子社員らが出てきたことに更に驚く。


「まぁ ”らしい” ってのは、畑田からそれを聞いただけで私が実際には見てないからなんだけど」

「へぇ……で、その ”いいように” ってのは、具体的にはどんな扱いを?」

「畑田ちゃん、出番」

「OKです!」


 とりあえず畑田から聞いたことを要約すると、こうだ。



 結婚前の課長に「ご飯奢って下さいよー」なんて甘えたら、下手すりゃ嫁候補ナンバー1に認定されてしまう恐れがあった為、うちの会社のごちそうさま系女子は課長には手を出さなかった。


 だけど結婚したので嫁候補の危険性が薄れ、そしてちょっと調子にのってる感がある非モテのジジイはいいカモだと認定されたらしく、一部の女子社員が友達を引き連れ頻繁に「ごちそうさま」しているそうな。


 それだけならまだしも、家に電話している課長の背後で「奥さん、今日もすいませんっ」「旦那さんお借りしてますっ、きゃははっ」などなど、牧田さんのことを舐めた態度であおっているらしい。


 畑田はその現場を何度か見てしまい主任に報告。

 主任が牧田さんに心配の電話をすると、元々が気弱な気質の彼女はそれなりに参っている様子だった、と。


(なにやってんの課長)



「なに考えてんですかね、課長は」


 呆れるを通り越して心からの軽蔑を言葉に添えると、主任と畑田が同時に頷いた。 


「ほんとそれ」

「ほんとそれです!」


 そしてしばらくの沈黙のあと、主任がポツポツとまたしゃべり出す。 


「まぁねぇ青山──あ、課長にたかってる筆頭の女ね。その青山さんも青山さん達なんだけど、正直なとこ他の上司にも同じことしてるし無理矢理でもないから、どうかとは思っていてもある程度は周りも許容してるわけじゃない」 


「まぁ、そう言われればそうですね」


「だからねー普段なら放置なんだけど、さすがに他の上司の時にはしてないだろう奥さんへの態度はちょっと……と思って、煽りに関しては少し気にした方が、と優しく課長に進言してみたんだけど」


「おぉ、それで課長は?」


 ふいに畑田がチラッと気遣うような視線を主任に送る。

 主任はその視線に悲しそうに応えたあと、言葉に出すのも嫌だと言わんばかりの渋面になって小さく息を吐き、そしてデスボイスを響かせた。


「お局はうるさいな」


 ……カチョー、ユウキアルゥ。


「いえ別にいいのよ。そりゃ一瞬、あの丸々とした顔面を殴りそうにはなったけど、別にそれはいいの」


 静かに静かに単調に淡々と喋られるほど怒りを感じ、怖さも増す。


「ただね、何を勘違いしているのか」

「……はい」

「めっちゃイイ男ぶられたの」

「はい?」


(いい男ぶる?)


「野々村さん、簡単に言うとこうですこう!」


 主任の言ってる意味がすぐには理解できなかった俺に、畑田が渾身の現場再現をしてくれた。


『困ったな、仲がよかった俺が若い子と食事に行ってるから嫉妬してるのかい? もう本当にお局はうるさくてしかたないな。俺ってモテモテ♪ でも君のことも忘れてない、大丈夫だぞ。ツン☆』


 最後のツンで、人差し指を俺のおでこにドンと突き刺した畑田。


「ま、こんな感じです」

「さすがね畑田。まるで見ていたかのようだわ」

「……なる、ほど」

 

 課長に友好的な主任が嘘をつくメリットは全くないので、たぶん本当なんだろうとは思う。でも主任が大嘘をついている、という方がまだ信じられるくらい信じられない。だって課長だぞ?


 しばらく三人で嫌~な沈黙を続けていたら、店員が料理を運んで来た。それらが全てテーブルに並べ終えられた後、じゃあそろそろ本題に──と恐る恐る小さく手を上げながら発言してみた。


「それであの、言っていたお願いの件、とは」

「あぁ」


 今ここにいる意味を思いだしたのか少し雰囲気が和らいだ主任は、目の前のコップを手に取ると水を一口飲んだ。


「もう課長はどーでもいいんだけど、牧田さんがちょっとしんどそうだから、試しに野々村さんにお願いしたいなって」


「何をですか?」


 主任は持っていたコップをカツンとテーブルに戻した。



 ***



「野々村くん、ちょっと」

「はい」


 お昼休みも終わりいい感じに仕事がはかどってきた頃、背後から名前を呼ばれる。これは課長の声だと振り返れば、指をクイクイッと会議室の方へと動かしていた。


 以前にも見たことある額の汗、挙動不審な目の動き。

 というか課長、会議室を私用に使いすぎじゃないかな。


(もーさぁ、今日はノー残業だから集中したいんだけど)


 ぶつぶつ思いながら席を立ち、課長と一緒に会議室へと入る。

 そして勧められるまま対面の椅子に座り、課長がしゃべり出すのを待った。


「あの」

「はい」

「──今日の帰り時間あるか?」

「ないですね」

「主任や畑田くんは」

「知りません。本人に直接聞いて下さい」


 ハキハキと答えると、課長は「そうか」と分かりやすくうなだれた。


「えっと、今日の帰りに何か頼みたかったとかですか?」


 どうせ時間を作ることは出来ないけど一応だけ理由を尋ねてみる。すると課長はポケットからハンカチを出し、額の汗をぬぐい始めた。これも前に見たな。


「いや、実は今日、奥さんと夕飯を食べに行く予定で」

「そうですか」

「それでお昼休み、知り合いの女子社員に廊下で会って」

「へぇ。、ですか」


 おっと、汗をぬぐうスピードがワイパー並みに早くなったんですが。


「それで、その子に奥さんと行くお店の話をしたら、私たちも連れてって下さい、と言われたので別日の話かと思って『いいよ』と返事したんだが」


 なんか話が読めてきた。


「じゃあお店の前に集合、でいいですか? と」

「へぇ」

「それで誤解だと伝えたらもの凄く残念がられて。どうしてもダメかと……だから、つい」

「はい」

「大丈夫じゃないかな、と奥さんに確認する前に返事を」

「へぇ」


 ここで、助けを求めるかのように俺を見つめだした課長。

 ドライアイなのか涙目なのかしらんけど、瞳がやけにウルウルしており鬱陶しさがMAXだ。


「──どうしても今日は無理かな?」

「はい、すいません。約束があるので無理です」


 再びハキハキと答えると、課長も「そうか」とまた分かりやすくうなだれた。


 たぶんだけど、牧田さんが知ってる社員もメンバーに入れれば ”みんなでご飯” だとごまかせるんじゃないかと考えてるに一票。でも正直なとこ、課長が何に対してこんなに悩んでいるのかが、俺には全く分からない。


 大きく息を吐いてから、ゆっくりと課長へと喋り掛ける。


「課長、嘘でも『予約が無理だった』とか言って、改めて断ればいいだけなのでは」


 課長がハッと顔を上げたその時、会議室の内線が鳴った。

 席を立ち電話を取ると、課長に取引先から電話が入ったらしい。


「課長、○×さんから電話だそうです」

「……分かった」


 ゆっくりと立ち上がった課長は静かに自分の席へと戻っていった。



 ***



「野々村さん」

「はい」


 あと三十分くらいで仕事が終わる、そんなとき席近くまで来てた木村主任にささやかれた。

 

「悪いけど、資料室についてきてくれない?」

「はい、いいですよ」


 示し合わせたような動きで一緒に部署を出て資料室へと向かう。

 その途中の廊下で、主任がピタッと足を止めた。


「さっきねー、牧田さんからメッセージが来て」

「はい」

「課長から急遽仕事が入ったからご飯行けなくなった、って連絡来たんだって」

「は?」

「でもご飯ついでにお昼から外出してたから、せっかくだしもし木村さんはお暇ならご飯いきませんか、とお誘いが」

「は?」


 二人で戸惑いながら顔をしばらく見合わせ、それから主任が眉を寄せる。


「そんなに急ぐ仕事、ないよね」

「知ってる限りでは無いはずですが」

「そうだよね。一応今日はノー残業だし」

「はい」


 そう呑気に返事をしたとき、会議室でのやりとりを思いだした。


「まさか」

「え、なにが?」

「いや、さすがにそれはないか」

「だから、なにが?」



 

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