12 お嬢様、その出会いは突然に


 美術館から帰ってきたのは16時過ぎ。


 リビングで期待感たっぷりに待ち構えていた母親にメジェトちゃんグッズを手渡し、そのあと野々村さんから「ご家族でどうぞ」と頂いた古代エジプトまんじゅうもテーブルに置く。


「どこにでもお饅頭まんじゅうって売ってるのね」

「そうみたい。見本で見たら ”エ” っていう焼き印が押してあったよ」


 そこはヒエログリフじゃないかしら、とかつぶやきながら母親は袋に入ったグッズを一個一個取り出していて、その度に「可愛いわ」と喜んでいる。


「柚葉ちゃんも何か買ったの?」

「うん。メジェドちゃんのマスキングテープ」

「あら、それだけ?」

「うん、でも野々村さんがバステトのキーリング買ってくれた」

「えっ見せて見せて!」


 トートバッグの中から出した小さい紙袋から、黒いネコが付いたキーリングを取り出す。それを見た母親は軽い息を吐き、クロスさせた両手を胸元に当てた。


(この体勢、前にも見たような)


「もしかしてお揃い?」

「え? いやいや、同じキーリングは買ってたけど、私のとは違う神様のだよ」


 手を振って否定すると母親は、ある意味お揃いじゃない? と首を傾げながら両手を膝に降ろし、それから遠くを見つつ唐突に昔語りを始める。


「お母さんは昔ネズミーでね、お揃いのキーホルダーを買ったことがあったのよ。割れたハートを二つをくっつけたら、一個のハートが完成ってやつ」


「へぇ」

「だけどね、お父さんは恥ずかしいって使ってくれなくて。結局は部屋の片隅で置物になってて悔しかったわ。ほんと懐かしい……」


 どうしたんだろ。最近こんなことばっかり言ってるような。


 少し沈黙が流れたリビングにガチャッというドアが開く音が響いたので、誰だ? と後ろを振り返れば、相変わらず不機嫌そうな葉月がそこにいた。


「お帰りなさい」

「……ただいま」


 ほんとは無視したいんだろうけど、あまりにもな態度を取り続けるとおこづかいを減らされてしまう危険があるんだよね。だからか必要最低限の返しは渋々ながらしている感じだ。


「野々村さんから古代エジプトまんじゅうを頂いたのよ。ほら、これ。あとで食べましょうね」


「……いらない」


 にこやかに饅頭の箱を手に持った母に冷たく返す葉月。


「あとね、メジェドちゃんグッズもいっぱい買ってきて貰ったの。見て、可愛いのよ」

「ふぅん」

「そうそう、柚葉は野々村さんにキーリング買ってもらったんですって」

「へぇ」


 苛立った気持ちが出まくってしまっている適当な返事を残し、葉月は部屋へと向かう。その姿が見えなくなったところで母親がため息を吐いた。


「はぁ。あれはこのあいだ怒ったのを根に持ってる感じね」

「あぁアポーのやつ。動画サイトに投稿するのにいるからお誕生日に、だっけ?」

「そうそう。もうね、あげたものは仕方ないから、それはいいの」


 伏せ目がちになった母が、ゆっくりとした動きでエジプトまんじゅうの箱を手に取る。


「でもね、付き合って一年も経ってない彼氏へのプレゼントが20万超えのタブレットって。いくらお小遣いの範囲内とはいえ、ありえなくない?」

「まぁ、うん」

「そうよね」


 手に取った箱の包み紙をゆっくりと剥がしつつ、もう一回ため息を吐く母。


「はぁ。しかも彼氏がねだったのかと思えば……いえ、欲しいとは言ってたらしいのよ? でももっとランクが下のを自分で買う予定してたのを、あの子が勝手にサプライズしちゃったらしいって聞いたらそりゃね」


 剥がした包み紙は手にしたまま、まんじゅうが入った箱を母はテーブルに戻した。


「なにしてんのあんた、って説教するしかないでしょうよ!」


 よ! と同時に無表情で包み紙を勢いよく半分に引き裂いた母。

 そして更にビリビリと破きまくっていく。


「買った理由が本当か嘘かはどーでもいいの。ただ気軽にホイホイとお金を出すと、お金なんて気にしてなかった関係でも、徐々にお金ありきの関係になっていくじゃない──」


「だからこれからは止めた方がいいって諭しただけなのよ? しかも私一人の胸に納めて、お父さんやおばあさまには黙っててあげてるのよ? なのに、なんなの、あの態度!」


 ど! で破いた包み紙を両手でクシャっと丸めて潰し、そしてゴミ箱へと力一杯投げつける母。


「そりゃ年上の男が格好良くみえるのは分かるわよ? しかも夢を追ってるイケメンとか、更に欲目が倍増なのも分かるわ」


 わ、でこっちを見た母は、キレかけ直前な表情で眉を寄せた。


「いいこと、柚葉ちゃん。友達でも恋人でも親戚でも、どんな関係でも必要のない余計なお金は出しちゃダメ。それをしたら最後、まともな人は寄ってこなくなるわ。分かったわね?」


「……はい」





 ・

 ・

 ・





 家庭内が徐々にやさぐれていってる今日この頃の月曜日。お昼を食べ終わり大学へ行こうとリビングを通って玄関へと向かっている途中、母親に呼び止められた。


「柚葉ちゃん。この間はバタバタしてて買えてなかった野々村さんへのお礼ね」

「うん」

「今日買いに行ってくるから、できたら早めに渡して欲しいんだけど」

「え、でも会う約束してないよ」

「じゃあ約束したらいいじゃない。連絡先は知ってるんでしょ?」

「まぁうん」

「じゃ、よろしくね」


 なにやら忙しいらしく、伝えることだけ伝えたらさっさと書斎へと去って行った母親の背中を見送る。


 というか、野々村さんに連絡かぁ。メッセージ送ってもいいんだけど、やりとりを考えると今回は電話の方が早い? えーでも、こっちからの電話は初めてだし緊張するかも。




 そして、なんだかんだで翌日になり。


 緊張しつつも電話をしてみたら、平日ならば仕事終わりにしか空かないってことで、一応は残業禁止となっている金曜なら待たせることなく会えると思います、とのことだった。


 というわけで私はいま、野々村兄さんの会社近くにある兄さん行きつけのレトロな喫茶店で待機している。


 ただ、すでに今の時点で待ち合わせの時間はちょっと過ぎており。

 まぁ十分ほどの遅刻は見込んでおいてください、とは言われてたから時間つぶしのために本を持ってきておいて良かった良かった。


 *


(てか来ないし……)


 スマホを見たら待ち合わせ時間から十五分は過ぎてる。

 これは仕事が終わらない、とかなのかな。


 連絡してみる? とかも思ったけど、野々村さんはあぁ見えて案外とキッチリしているので、連絡が出来る状況ならばすでにしてきているはず。でもなー。


 うーん、とスマホを見ながら悩んでいると、野々村さんじゃない男の人の声がした。


「すいません」

「はい」


 顔を上げるとスーツを着た山下さんがいて、初めて会った時と同じように少し息を切らしている。というか山下さんが来たという事は。


「え? 野々村さん来れないんですか?」


 驚いた私に、焦ったように両手をブンブンふって否定する山下さん。


「あ、いやいや来ますよ、来ます。でもちょっと何かが起こったみたいで……だからとりあえずの連絡係と、時間つぶしの話し相手にと派遣されました。あ、でも本読んでたならこのまま一人の方がい──」


「え? あ、いえ、せっかくなのでどうぞどうぞ」


 わざわざ伝言しに来てくれたのに申し訳ないと急いで目の前の席を勧めると、山下さんは笑顔で「じゃあ」と座り、そしてテーブルの端にあったメニューを取った。


 そのあいだ特にすることがないのでボンヤリとその姿を眺めつつ、どうせなら私もなにか頼もうかなぁ…とかを考え。そしてふと、目の前に座っている山下さんが以前に見せた、あの曖昧な笑顔を思いだす。


(なんかどこかで見たことある気がするんだけど)


 山下さんは新入社員っぽい前髪がないスッキリとした短髪で、メニューを真剣に見ている目は少し切れ長。椅子に座る姿勢もだらけた部分がなく、どっちかと言えばお堅い系の雰囲気が漂っていて。


「すいません」


 手を上げ店員を呼んだ山下さんはカフェオレを頼み、そしてメニューを元の場所に戻しこちらを見た。


「えっと、以前に会った畑田って覚えてます?」

「はい、しっかりと」


 あのキャラを忘れるわけがないと大きく頷くと、山下さんがちょっと笑う。


「実はその畑田さんが、山下じゃなく私が連絡係する~って走りだしかけたんですけど、野々村さんが思いっきり首根っこ掴んで止めてました、笑」


「え、なんでだろ」


「たぶんですけど。面倒な件から逃げようとしたのを野々村さんが捕まえたんじゃないかな、と僕はみてるんですけどね」


「へぇ。でも首根っこって。あの二人、相変わらず仲がいいんですね」


 畑田さんの首根っこを掴んでる野々村さんの姿が鮮明に頭に浮かび、エヘヘという面白がった笑いをしてしまうと、山下さんも楽しそうに笑う。


「まぁはい。でも畑田さんは誰にでもあんな感じなんで、野々村さんだけが特別に仲良しって訳じゃあないんですけど」


「え、そうなんですか」

「そうなんですよ。上司とかにも普通にウザ絡みしてますから。でも不思議と嫌われてないんですよねー。あれはもう才能です」


「へぇ、ある意味羨ましいですね」

「あははっ」


 ほんのちょっと前まで大学生だったからか、山下さんとはとても話しやすい。それに最近山下さんがハマりかけているという筋肉話からのマッチョあるある、ついでの弓道部あるあるとかも聞いてて楽しい。


「基本は文系だったんでスポーツとかほとんどしたことなくて。でも話し聞いてたら楽しそうですよね」


「んーまぁ正式には弓道が運動部かどうか、は意見が分かれるとこなんですけど」

「そうなんですか?」

「そう、一応は武道なんだけど、でもやっぱり伝統芸能的なイメージがあるんで、文化部じゃないかって人もいますね」

「へぇ」

「ただそのせいか意外と文系から流れてくる子も多いんで、もし興味があるなら弓道場紹介しますけど」

「そうですねぇ」 


(してみたい気もするけど、でもどうしようかな)


「すいません」


 少し悩んだことで会話が途絶えたその瞬間に、野々村さんが申し訳なさそうに現れた。


(え、なにかあった?)


 普段からちょっと気だるげな雰囲気がある野々村さんだけど、今日はそれに輪を掛けた強めの気だるさが全身に漂いまくっている。なんか疲労感が凄くない? 


「えっと、大丈夫ですか? なんか疲れてるみたいな」

「あぁ、まぁちょっと色々ありまして」


 野々村さんはため息交じりにつぶやきながら山下さんの隣の椅子を引き、ヨッコイショという重そうな動きでドスンと座った。そしてその勢いのままに店員さんを呼び、アイスコーヒーを頼んだ。


「遅くなってすいませんでした」


 改めて謝ってきた野々村さんに、そんなそんなと胸の前で手を振る。 


「いえいえいえ、気にしないで下さい。元から遅れるかもって聞いてましたし、山下さんも話し相手してくれてましたし」

「それなら良かったです。それでお母さまから──」


 笑顔になった野々村さんが、たぶんだけど今日会った目的である母からのお礼についてを話そうとしたんだろうなって時、野々村さんの視線が私の背後にそらされた。


 野々村さんはちょっと目を見開き驚いたあと眉を寄せ怖い表情になり、両手をテーブルに乗せそこに力を込めながらゆっくりと立ち上がる。


「なんでここに?」

「喫茶店に入ってく姿が見えたから、久しぶりだしちょっと喋りたいなって。でもごめん、一人じゃなかったね」


 背後から聞こえた可愛らしい声に思わず振り返ると、折れそうなほど細い体をした綺麗なお姉さんが、すまなそうに立っていた。


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