第39話 地下牢の男

「事件が発生したのは3日前から2日前にかけての深夜……です。ユビドスの町を本拠地としている傭兵ギルド〝カタフラクトス〟のメンバーが数名、砦の北側にあるカーン第4薬草園の西側からルル王国内に侵入しました。ルル王国国境警備隊の主張によると、ギルドがルル王国側の住民に危害を加えたとして、数名がルル王国側に拘束されています。それに反をなして、未明頃、ギルドが再度国境を越え、ルル王国国境警備隊と衝突しました」

 シラー兵士長に続いて砦の中を歩き、私たちは地下へと続く階段に差し掛かっていた。三人分の足音が石の床と壁に反響して重なる。

 を見て観念した彼は、ミハイルとギルベルトに協力することを了承し、すっかり気を小さくしたのだ。ただし、ジェラルド本人である私は、その署名に全く心当たりがない。

 ナンシーが気を利かせて送ってくれた……?

「報せを受けすぐさま急行した我々が現場を制圧、ギルドの1名を取り押さえましたが、他の者には逃げられました。それからというもの、各所で衝突を繰り返しており、我々が駆けつける前に逃げられる、その繰り返しです」

「ルル王国からの要求は?」

「越境及び国民に対する被害の発生から、ギルド関係者の引き渡し及びギルドの解散を要求されています。しかし、取り押さえた1名が、『越境したのは盗人であり、我々は薬草園に押し入ったそいつを捕らえようとしただけだ』と」

「その者はどこに?」

 聞かれることをわかっていたのだろう。シラー兵士長は地下の扉の前で立ち止まった。

「こちらです」

 扉の前に立つ兵士に命令する。兵士は上官と我々に一礼して、重そうな鉄の扉を開けた。

 そこは人どころか、ネズミ一匹棲むのにさえ適さない場所だった。

 足を踏み入れると、水と血肉が入り混じった腐臭が、身体中の穴から体内に入り込んだ。熱と湿気を含んだ粘り気のあるその匂いは、ヘドロのようにその場にいる生物を侵していく。気力と体力が少しずつ蝕まれていくように思えた。

 私は意図して顔をあげ、部屋全体を見渡す。10平米ほどだろうか。石造りの正方形の部屋は鉄格子で区切られ、こちらと、あちらに分かれている。それ以外は良く見えなかった。あまり見たいものではない。部屋が薄暗くて助かった。ぼんやりと明るいのは、壁にかけられたいくつかの蝋燭がわずかな光源となっているからだろう。

 その光に照らされ、鉄格子の中にうずくまる人影がみえた。

 この小さな監獄に侵入してきた客を、男はゆっくりとした動作で見上げた。緩慢な動きは既に何もかもを諦めているように見える。しかし、汗と泥と血がこびりついた前髪の隙間から覗く眼は、暗闇の中でなおも光を放っていた。

「……何度来たって同じだ。もう話すことはない」男は掠れた声でつぶやいた。「もしくは、事件に進捗でもあったか?」

「今朝も話した通りだ。現状は変わらない。お前が私に協力するなら、変わるかもしれないがな」

 シラーがいつもの調子を取り戻して態度を大きくする。自分より弱い立場の人間には強気に出られるようだ。

 それを知ってか知らずか、男は嘲りを隠すことなく鼻で笑った。

「あんたの言う変化は、俺たちをあいつらに引き渡すことだろう。それで万事解決、戦争には発展せず、あんたは褒美をもらえ、全てが思い通りってわけだ……。そりゃあ、国家と比べりゃ田舎まちの傭兵の命なんて、軽いどころの話じゃねえわなあ、むしろ処分したいゴミと一緒だ」

 乾いた笑いが地下室に響いた。そして、急にピタリとやむ。

 短く息を吐いて、男は鋭い眼光で私たちを睨んだ。

「だからこそ、俺はあんたらに情報は売らねえ。ギルドの拠点は教えねえ。俺たちにとっちゃ、国がどうなろうと知ったこっちゃねえからな。むしろ戦争になった方が、儲かるってもんだ」

 男はまた笑い出した。隣でシラー少佐が唇を噛み締める。男の笑い声は、牢獄に良く響いた。

「シラー兵士長、ひとつ聞きたい」

 その笑い声を遮って、彼に声かける。男も笑うのをやめた。

「な、何でしょう──マイアーどの」

 先ほどの一件がかなり効いたのか、シラーは怯えながら私に向き直った。鉄格子の向こう側の男も、傍にいるギルベルトも、私を見ている。

 どう言葉を続けようか迷ったが、私は単刀直入に訊くことにした。

「傭兵ギルドが国境を越えた、その証拠はあるのか?」

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