第36話 船旅の終わり

 昨夜、数時間しか眠れなかったため、船に揺られながらうとうとしていた。扉が開く音で目が覚める。

「……イザベラと話はついたか?」

 入ってきたギルベルトに声をかける。彼は頷いた。

「ギルドと接触した男──ミックという名ですが、彼とイザベラ、ニコの三名でユビドスの町へ行ってもらうことになりました」

 ニコ達には、そこで幹部と接触してもらい、傭兵ギルド〝カタフラクトス〟のボス、ヘニング・ヴァントと会う約束を取り付けてもらう。重要でかつ危険な役だが──当の本人はジェラルドの横ですやすやと寝息を立てている。

「心配ですか?」

 私の目線を察してか、ギルベルトが座りながら訊く。

「いや、ニコのことだ。すぐにイザベラたちと仲良くなるだろう」

 たった一日二日の付き合いだが、彼にはなんとも言えない魅力があるのがわかる。見ているだけで、そこにいるだけで気持ちが和み、明るくなる。不思議だ。

「そうですね……むしろ、寂しくなります」

 彼もニコの存在に救われていたひとりだろう。

「大丈夫か?」

「……何がです?」

 突然の質問に驚く。無自覚なのか──。

「ここにきてからずっと、余裕がない」

 ギルベルトの表情が固まる。私は彼をじっと見た。彼も私の目を逸らさずにいたが、やがて観念して目を伏せた。ふっと息を吐き出す。

「俺のことを『心を量ろうとする』とおっしゃいましたが、閣下も似たようなものですね」

 エンデルまでの道のり、河原でのことを持ち出す。確かに、そんなことを言った。

「……ここにいると、どうしてもリーぺ卿を意識するんでしょうね。知らずに身体が固くなっていたようです」彼は肩を軽く回した。「これでは閣下の護衛に支障が出ないとも限らない。やはり、俺の選択は正しかったとは言い難いですね」

「いや、少なくとも最善ではあった。ギルベルトの選択は間違っていない」

  正解は誰にもわからない。完璧であることはできない。できることは、持ちうる知識で考え、信頼できる人間に頼りながら、覚悟を決めることだけだ。あとは、その選択を正しい道にしていくしかない。

「それに、」寝起きで頭が回らなかったのか、どうしてそんな言葉を口にしたのかわからない。私はジェラルドらしくない言葉を続けた。「いつも鼻持ちならない笑顔を見せられるよりは、余裕のないところを見せてくれた方が、人間味があっていい。俺はそちらの方が好きだ」

 ギルベルトは驚いて、それから歯に噛んだ。

「……ニコが言っていた通り、やはり噂は当てになりませんね」

「噂?」

 聞き返すと口を閉じた。先を促すと肩をすくめる。

「閣下が、このように話しやすい方だとは思っていなかったという話です。以前、お見かけした際は、どこか遠くを見ていられるような──俺なんかには目もくれない方のような、そんな印象を受けました」

 だいぶ濁してはいたが、臣下に一瞥もくれないような、そんな冷酷な人間だと思われているということだ。さぞかし、遠巻きにされていただろう。

「……大勢の臣下の前では、それなりの態度が求められる。それだけのことだ」

「なるほど。我々の前では少し肩の荷を下ろしていただいけるといいのですが」

 ギルベルトがいつもの笑顔を向ける。私は渋い顔をして見せた。

 カツカツと部屋の外を歩く音が聞こえ、扉がノックされた。ギルベルトが返事をすると、海賊らしからぬ服装──町人の服装に着替えたイザベラが顔を覗かせた。

「お役人さまがた、もうすぐ到着だよ。準備しな」

 寝ているニコを顎でしゃくる。起こせという意味だろう。

「それから、これをあんたらにプレゼントだ」

 小さいものを投げて寄越した。ギルベルトがキャッチする。手のひらを広げて確認し、「いいんですか?」と訊いた。

「ふん、同盟の証さ」

 それはコインほどの大きさのガラス製のペンダントだった。金平糖のような六芒星の立方体の中に、青く光る石が閉じ込められている。

「これを持っているものは、イザベラたち海賊の仲間であるということを意味します」ギルベルトが説明してくれる。「つまり、海賊は無条件で我々を助け、我々を相手にするものは、海賊を相手にすると同義となる」

 さらに、海賊の後ろにいるリーぺ卿をも。

 それを王城の役人として来ているジェラルドと、近衛兵であるギルベルトが持つことは、国と海賊が手を組んだ証となる。

「それを持つ限り、あんたらを我々は全力でサポートする」

 イザベラの後ろから、しわがれた声が聞こえた。ゼトだ。イザベラが半身を引いて、場所を開ける。

「頼られれば全てを与え、やられたなら復讐する。仲間だと認める、貴重なもんだ。わかってると思うが、失くすんじゃねーぞ」

 ギルベルトが頷く。それを満足そうに見てから、私に呼びかけた。

「ミハイルさん、これでも息子みたいなもんだ。ギルを頼みましたぞ」

 私も無言で頷いた。同時に、船が減速し出す。

「さあ、西の果てだ」

 私たちは立ち上がった。

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