第24話 少年ウィル

 大通りを北へ抜けて町外れまでくると、人だかりができている場所があった。さっき少年が大きな声で叫んだ〝北の薬屋〟だ。

「おい、300フォンだって聞いたぞ!?」

「まけてくれるんだろ!?」

 急に群衆に囲まれた薬局の老人は、何のことかさっぱりわからず狼狽しているようだった。

 ──やっぱり嘘だったか。私は眉を顰めた。先ほどの少年の大きな独り言は全くのデタラメ。北の薬屋は300フォンで売ってくれるわけでも、ましてやまけてくれるわけでもない。

 じゃあ、どうしてそんな嘘を……?

「お、いたいた」

 少年は機嫌良くそう言って、群衆に紛れられずに外をうろついている女性に声をかけた。さっきの広場の薬屋で薬を求めていた女性だ。足を引き摺っている。どうやら突き飛ばされた時に足を痛めたようだ。

 一言二言話した後、ふたりして路地裏に姿を消す。

 しまった。私は渋い顔をした。ギルベルトに『路地裏には入らないように』と注意を受けているのだ。知らない町でひとりきり、そして自分の立場を考えると、もちろん約束を破るわけにはいかない。けれど……。

 まあ、入口から覗くだけなら問題ないだろう。

 私は路地裏をそっと窺った。ふたりの話し声が聞こえる。

「ほらよ、おばさん。薬」

 少年がローブの袖口からさっきの薬を出した。

「本当に、よろしいのですか……?」

「ああ、もちろん。ただし、他のやつには言うなよ。あんたは毎日、教会で神に祈りを捧げていた。だから神がオレを遣わされたんだ」

「ああ、ありがとうございます……!」

 女性は感激に身を震わせながら深々と頭を下げた。

「息子に薬をやったらオレを訪ねて教会に来な。その足も治療ぐらいはしてやれる」

 それじゃ、と言って少年は立ち去ろうとした。女性がその背中に声をかける。

「あの、まだお名前をお伺いしていないのですが……」

「ああ!そうだった」少年は大袈裟に驚いてみせた。「司教さまに『ウィルが薬のついでに、足も治してくれると言った』と言えば通じる」

「ウィル様ですね、わかりました。本当にありがとうございます……!」

「礼は神と教会にしてくれ。じゃあな」

 今度こそ、少年は女性の元を立ち去る。私は拍子抜けしていた。

 いいやつ、なのか……?

 絶対に何か企んでいると思った。だから少年の跡をつけてきたが、薬は無事に女性の手に渡っている。

 ……いや違うな。純粋に善良な人間というわけではない。

「なんだ。まだいたのか」

 路地から出てきた少年が、私の顔を見て白々しく言う。

 私は黙って彼を見た。黒いローブを着た、ウィルという聖職者の少年。

 ジェラルドを助け、悪評を広めかけた薬屋を助け、女性を助け、そして自分の名を売る。

 あの大きな独り言だけで、全て解決してしまった。

 何者?ただの子どもじゃない。それにさっきの「相変わらずだな」という言葉。ジェラルドの知り合い?それなら余計なことは言わない方がいいが──。

「買い物をして、早く仲間のところへ帰れよ。紙とインクはさっきの広場の東側に売ってるぜ」

 黒いローブが顔を隠して、口元しか見えない。その口元をニヤニヤさせながら、少年はジェラルドの前を通り過ぎた。

 ──ずっと見られていたのか。

「おい!待て──」

「あと忠告。所持金はちゃんと確認してからタンカを切ることな!」

 え。

 私はニコからもらったお金を確認した。1、2……3枚しかない。コインには100と書かれている。それなら、300フォンしかないことになる。嘘、めっちゃ恥ずかしい。

「ナンシーがいなけりゃ、そういうとこほんとポンコツだな」

 少年はケラケラと笑って、上機嫌でくるりと回った。その拍子にフードがはらりと落ちる。

 黒髪にグレーがかった青い瞳をした、どこか懐かしい顔の少年だった。

「じゃーな!もうすぐ報告に上がるよ、ジェラルド」

「おい!」

 引き止める間もなく、少年は雑踏に姿を消した。

 ナンシーの名前を知っていた。ジェラルドの名前も。ただ知っているだけじゃない。かなり親しい間柄の人間。

 だれ──?

 相手がジェラルドを知っている以上、知らない私がこれ以上深追いするのは危険だ。

 ……ナンシーに確認しておいた方がいいな。

 私は少年の教えてくれた広場まで、紙とインクを求めて大通りを戻った。

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