第23話 見知らぬ場所の独り歩きは要注意。

 早足で坂を登りきると、教会前の広場でひとりの身重の女性が、露店の前に立つ男に懇願していた。それを町の人間が不安そうな顔で囲っている。──誰も間に割って入ろうとはしない。

「んなこと言われたって、払うもん払ってくれなきゃこっちだって困るんだよ、奥さん」男は捲し立てた。「薬屋は慈善事業者じゃねえ。生活がかかってんだ。慈悲が欲しけりゃ、そこの教会で神頼みでもするんだな!」

「そんなっ!お願いです。息子の、上の子の命がかかっているのです……どうか!」

 女は男に縋り付く。それを男がなぎ払おうとしたのを見て、私は駆け出していた。

「しつけえ!いい加減にしろ!」

 すんでのところで、突き飛ばされ倒れた女性の背中を支える。間一髪。驚いた女性が私を振り返る。

「あ……ありがとうございます」

「なんだてめえ!お前もタダでこの女に薬をやれってのか!?」

 男が上から怒鳴り立ててきた。……腹の底から怒りが沸々と湧いてくる。どんな理由があれ、女性を、それもお腹に赤ちゃんがいる女性を突き飛ばしていい理由にはならない。私は男を睨み返した。

「……っ、何だよ……」

 男が竦んだうちに女性を立たせる。

「……求めているのは流行病の特効薬か?」

「は、はい、そうですが……」

 女性が困惑したまま答える。

「そうか」私は男に向き直った。「この女性の──」

 求める薬をくれ。そう言おうとした時、にゅっと横から腕が伸びてきて、私を制した。

「やめとけよ、にーちゃん」

 少年の声だった。

 喪服のような真っ黒なローブ。それで頭から足先まで全身を包んでいるため、顔は見えない。身長はジェラルドよりかなり低かった。

「そんなことしたら、この町にいる貧困者全員からたかられるぜ?」

 肩越しに振り向いて、私に小声で告げる。はっとして私は後ろに視線を送った。

 そこには多くの人たちが、私の──ジェラルドの行動をじっと見ていた。「薬を買ってやるのか?」「あの女だけずるい」──そういう声が今にでも聞こえてきそうだ。

 多くの人間が見ているのにも関わらず、私は女性の代わりに薬代を出そうとしていた。そんなことをすれば、他の人も私に縋ってくるだろう。それを断る理由を私は見つけられない。

 軽率な行動を取るところだった。

 反省する。理解はする。でも……それを心が許せる訳ではない。

「だが──子どもが死ぬのを黙って見過ごせない」

 ここで私が薬代を払わなければ、もしかしたら、幼い命がひとつ失われるかもしれない。それを知らぬふりをして見捨てられるほど、私は物分かりの良い人間にはなりたくない。

 ぎゅっと掌を握り締めて、私は言った。

 少年はしばらく私の顔をじっと見遣って、それからやれやれというように首を振った。

「安い善意は身を滅ぼすだけっつーのに。相変わらずそういうとこ変わんねーよな」

 ……相変わらず?

 そして彼は急に、大きな声でを叫んだ。

「なーんだ、ここの薬屋は400フォンもすんのかよ!たけえな!北の薬屋は100フォン安いって噂だぜ?しかも押しに弱そうな爺さんがやってっから、もう50フォンぐらいまけてくれそーだな!」

 いきなりのことに目が点になる。──こいつは、何を言ってるんだ?

「お、おいてめえ、何を言うんだ!営業妨害だぞ!?」

 薬屋の男が慌てて抗議する。しかし、もうすでに遅かった。傍らの女性も、周囲で見ているだけの群衆も、こぞって広場から北へ走り出していた。

「おい!てめえ!の癖に!」

 薬屋の男が少年に掴みかかる。しかし少年はびくともせずしれっと言った。

「ええ?オレはただ聞いた噂と感想を言っただけっすよ。それに」ローブの袖口からコインを出す。「ここから北の薬屋までは遠いんでね、オレはあんたの店で買うよ。400フォンだろ?ほら」

「な……」

 薬屋はその手に4枚のコインを乗せられ唖然とした。

「んじゃ、薬はもらってくぜ」

 少年はそう言って、並んでいた薬の小瓶をひとつ摘み、踵を返して立ち去っていった。

 一体、何が起こった?

 しばらくその背中をただ眺めていた。だが、はと気がついてその後を追いかける。

「待て、どうするつもりだ」

 私は少年の背中に声をかけた。だが振り向かない。

「おい、聞いているのか?」

 その声を無視して、黒いローブの少年はどんどん大通りを北へ進んでいく。

 ……上等だ。

 私は少年の後を追って、ひたすら北へと登っていった。

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