第22話 エンデルの町と流行病

「くしゅんっ!!」

 店にニコの可愛らしいくしゃみが響く。私はそれを呆れ顔で見ていた。

「大丈夫?はい、着替えだよ」

「ありがとうございます……ギルさん」

 予定通り、昼にはエンデルと呼ばれる町に着いた。それほど大きな町ではないが、東西の街道に加え、北へ向かう街道の分岐点であるため、物流の要所となっているようだ。多くの人が行き交い、物を運んでいる。そして町はその人たちを泊め、食わせる店で溢れていた。

 私たちは厩屋へ馬を預け、近くの店に入った。どうやら店主の娘はギルベルトのらしく、快く食事とニコの服を用意してくれた。

 石造りの広い店内には多くの客が来ていた。ここから北もしくは東西に荷物を運ぶのだろう。飯を食らう男たちの日に焼けた筋肉が眩しい。しかし、一様にどこか暗い顔をしていた。そしてニコがくしゃみをするたび、眉を顰めて私たちを遠巻きに眺めている。

「あの娘には悪いことをしたかな」ギルベルトがぼそりと呟く。「営業妨害にならなければ良いけど」

「何かあったのか?」ギルベルトに尋ねる。

「流行病ですよ。この時期にはいつも、高熱を伴う風邪が流行るんです。熱を出して寝込めば納期に遅れるし、宿代だって馬鹿にならないですからね。罹りたくなくてピリピリしてるんですよ。特に今年は薬草の不作で特効薬が高騰してますから、貧しい国民には手が出せない」

 枢密院ノインラートでジェラルドが議題にあげた薬の件か。病の流行は直接経済に打撃を与える。それでこれだけ緊張感が高まっているのだ。

「死者は多いのか」

「まだ本格的な流行期ではありませんが、すでに例年よりかなり。やはり体力のない老人や子どもが罹るとリスクは高まりますし、特に貧しい国民は十分な栄養を摂れていない。それでさらに特効薬も入手できないとなると──」

 悪循環で死者は増えるばかり。裕福で栄養価の高い食事をしている人たちは問題なく薬を買えるのに対し、食事もまともにできず何より薬が必要な人たちは手に入れられない。この矛盾は世の常だ。だが、それを解消するために行政は存在する。

 一刻も早く、予算案を通す必要があるな……。やることが山積みだ。議会は戻ってから早急にあげるとして、薬の購入経路と市場への流通経路を確立させておかなければ。ナンシーを通して、ミハイルに指示を出しておくか。

「どっか行くんですか?」立ち上がった私に、ニコが食事を頬張りながら訊いてきた。

「ああ、紙とインクを買いに行く」

 それに、町や人々の様子も間近で見たいし。

「それなら僕も行きます!」

「……まだ食べているだろう」

 ニコは目の前の食事を前に、ぐぬぬ、と唸った。

「おひとりで行かれるつもりですか?」ギルベルトが不安そうな目で見てくる。

 確かに、知らない場所をひとりで行動するのは危険だ。それは重々承知している。だが……。

「……少し買い物をするだけだ。ギルベルトはニコを頼む」

 くしゃみを繰り返すニコが、ひとりになった瞬間に店の客に追い出されないとも限らない。

 ギルベルトもそれを理解して「わかりました」と言った。「ですが、路地裏には立ち入らないでくださいよ。王城とは違って、誰でも出入りできる場所ですからね」

 黙って頷く。そして、まだ食べ物を口に運びながら「僕も町を見たかったのに〜」というニコから必要な分だけの金をもらうと、店を出た。

 しばらく大通りを進んだところで大きく深呼吸する。全身の力を軽く抜いた。

 ──やっぱり、ずっとジェラルドのふりをするのは疲れる。眉間に皺を寄せ、常に人の目を意識した上で、行動したり言葉を発しなければならない。ひとりになって少し息をつきたかった。

 周囲を見渡す。王都グレアムズにはやはり規模で見劣りしてしまうが、エンデルの町は石造りの建物で統一され、道にも石畳が敷かれており、洗練された雰囲気が感じられた。今歩いている町のメイン通りは南北に通っており、北に向かって緩やかな坂道になっている。沿道には背の低い建物が並ぶが、メイン通りの先、町の中心には大きな塔のようなものが聳えていた。……いや違うな。あれは教会か。

 その教会に向かって登りながら、左右の店の看板を確認する。宿屋、飯屋、服屋、靴屋……。

 そうやって進んでいくと、前方から悲痛な叫び声が聞こえてきた。

「お願いします……!どうか、息子が、息子がもう保たないのです!どうかお慈悲を……!」

 なんだ……?

 私は声のする方へ向かった。

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