第19話 城の外の世界

 グレアムズ城の東門から発ち、ジェラルドとニコは城下の町を迂回するように崖の上を馬で走っていた。岩山の断崖絶壁で、ひとつ間違えると転落しそうだ。慣れない私は馬に縋り付くようにしながら、前を走るニコに必死についていく。風の音が耳を切る。

 しばらく走り続けたころ、細い道に差し掛かった。馬の歩みが緩むと、それまで必死に握りしめていた手綱も緩めることができ、ほっと息をつく。少しだけあたりを見回す余裕ができる。

 はじめて城の外に出たのだ。何もかもが新鮮だった。

 グレアムズ城は右後方にすでに遠かった。城の前方には城下の町が扇型に広がり、東は今走ってきた岩山に囲まれている。西には豊かな田畑が広がり、その遥か遠方には、ジェラルドの部屋からも見えた山脈が頂上に雪を湛えて連なっているのが見えた。

 眼下に目を移すと、古きヨーロッパの街並みに似た石と煉瓦造りの家々が建ち並んでいるのが臨めた。早朝にもかかわらず煙突からは煙が立ちのぼり、仕事の準備に取り掛かるため慌ただしく人々が走り回っている。

 はじめてこの国に住む人たちを見た。もっと近くで見たい。どんな生活をしているのだろうか。生活は苦しくないだろうか。毎日は楽しいだろうか。この国を愛しているだろうか。

 この世界に来てまだ1日も経っていないのに、自分の中に国を愛する気持ちがあることに気づいて少し戸惑う。

 この気持ちは自分のものなのか、はたまたジェラルドの心なのか──。

「綺麗ですよね〜」先導していたニコ・ノイエンアールが馬を横につけて話しかけてきた。「僕もこの町は大好きなんです。この時間帯は特にキラキラしてて、今日が始まるぞー!!って感じで」

 ニコの言う通り、町に差し込む朝日に照らされた赤瓦の屋根が輝き、次第に活気立ってくる町は、新しい一日が来たことを全身で喜んでいるようだった。

 美しい景色に見惚れていると、ニコが「あ、」と口を抑える。

「閣下にそんな口のきき方したらダメだった!さっきもマイアーさんに怒られたのに……」

「マイアーとは、ミハイルのことか?」

 ミハイル・マイアー。白髪で浅黒のベテラン行政官であり、ニコと同じく最西の町ユビドスへの遠征に志願してくれた。

「そうです、マイアーさん怖くて。僕なんかいっつも怒られちゃうんですよ──ってまた!」ニコが両手で口を抑える。手綱を持ってなくても大丈夫なのだろうか。乗馬初心者としてはそんな心配が頭をよぎる。「僕、お堅い言葉が苦手で……行政官としてダメですよね」

「構わない」私はジェラルドらしくつっけんどんに言った。「それに今はニコと同じ行政官の身だ」

「そっか。なら閣下じゃなくて、ミハエルさんって呼んだ方がいいですか?」

「ああ、構わない」私はもう一度、同じ言葉を繰り返す。

 ニコは「えへへ、」と笑った。「なんだか不思議な感じです。今まで直接お話することなんてなかったし、お忙しいから姿をお見かけすることだって稀だったのに、まさか一緒に旅することになるなんて。それに噂よりずっと気さくな方だし」

 え、これ気さくか……?私は内心驚いた。めちゃくちゃむっつりしてるつもりなんだけど。普段のジェラルドってもっと怖いの?てかそれどんな噂?気になる。

「閣下とこんな風にお話できて、僕、嬉しいです。なんだか、閣下とお友達になれたみたいで──あ、ミハイルさんだった!」慌てて訂正して、ニコはその大きな丸い目と幼い顔をくしゃっと緩めて「まだ慣れるのに時間かかりそうです」と笑った。──なにこの子かわいい。

「早く慣れろ。身元がバレて厄介な連中に絡まれでもしたら面倒だ」私は顔を引き締めた。「一刻も早くユビドスの町に着く」

 道が漸く開け始めた。馬の腹を蹴って足を早める。もうすぐ町の入り口だ。

「そういえば、一緒に旅する兵士さんはどこにいらっしゃるんでしょうね」前を行くニコが肩越しに振り向く。

 そうだ。護衛としてフォーガスに頼んだ腕利きの兵士が、町を出た辺りで待っていると言っていた。西への旅の、もうひとりの供。

 ニコの馬が歩みを止める。「この辺りが、町の出入り口なんですけど……」

 町へと続く大きな門はまだ閉じられていた。そこから街道が東西へと伸びている。沿道の北側には田畑が広がり、その間に家が点在している。田畑を耕す人はちらほら見かけるが、兵士らしき見かけの人物はいない。

「門兵と話でもしているんでしょうか」ニコが馬を降りて門へ向かおうとする。

 その時、背後から顰めた声が聞こえてきた。

「ねえ、本当に行ってしまわれるの……?」

「ああ。でもすぐに戻るよ。君と離れるなんて考えられないからね」

「本当に?」

「もちろんさ。こんなに美しい女性をどうして手放せる?」

「やだもう、ギルベルト様ったら」

 ……聞こえないふりをしよう。そう思ったのに、「閣下──じゃなくてミハイルさん」とニコが純粋な目で話しかけてきた。「後ろの林から声が聞こえます!あ、よく見れば馬もいる。もしかしてあれが兵士さんじゃないですか?おーい!」

 おいおい、やめろ!どう見ても取り込み中!

 制止する間もなく突っ込んでいくニコを追って、林の中へ足を踏み入れた。

「あ、やっぱりそうだ。……草むらの上で何をしてるんですか?」

 そこでは、立派な白い毛並みの馬と、装飾が施された高価そうな剣を傍らに置き、金髪碧眼の男と若い女性が木にもたれかかってイチャイチャと抱き合っていた。

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