第18話 西へ。

「それは──閣下が直接向かわれるということでしょうか?」

 執務室に戻り、行政官がかき集めた資料に目を通した私は、彼らを集めてユビドスへ向かうことを伝えた。

「そうだ。今伝えた通り、あまりにも現地の情報が少な過ぎる。だがその情報をここで待っていれば、重要な局面での判断に遅れが生じる」

 言葉を切って、ジェラルドの顔を不思議そうに見やる面々を見渡す。反論はない。

「そこで、西に詳しい者をひとり連れて行きたい。誰かいるか?」

 ざわざわと行政官たちが顔を見合わせる。

 このような形でのファーストコンタクトになるとは思ってもみなかった。本当は行政官ひとりひとりと直接話して、どんな人たちが働いているのか知りたかった。それなら西へ共に向かうのにふさわしい人物も、こうやって尋ねるまでもなくわかったのに。

 しばらく行政官たちを眺めながらそのようなことを考えていたが──おかしい、手が上がらない。

「どうした、いないのか?」

「お言葉ですが閣下……」おずおずと、そのうちのひとりが発言した。「ここの皆、城下から出たことがあるものはほとんどおらず、従って西に詳しいものはおりません」

 なんで。

 口がついて出そうになる。自分の国のことだろうが。なんで知らない?

「そうか……なら、質問を変える。俺と一緒に西へ行く気がある者はいるか?」

 びくりと皆が肩を震わせる。その横でナンシーが澄ました顔のまま行儀良く控えていた。それを一瞥してから、皆を見渡す。

「「閣下」」

 すると、集団の中から声が上がった。同時にふたつ。

「誰だ、前に出ろ」

 出てきたのは、ひとりは白髪で浅黒の老人、もうひとりは、背が低く目の大きい可愛らしい若い男だった。

「ミハイル・マイアーです。長く行政官をやっておりますので、この国の執政に関する知識だけはあるつもりです。閣下が命じられるなら、お供いたします」老人が言う。

「ニコ・ノイエンアールと申します!西の地域を見てみたいです!城下から出たことがないですから。そんな動機でよろしければ──あ、あとルル王国のことについてなら、人よりは多少詳しくお話しできます」今度は、可愛らしい顔の男が言う。

「ミハイル、ニコ。ふたりとも、よく名乗りを上げてくれたな」そしてふたりを見比べて言い渡した。「今回は西までの長い道のりになる。馬車はない。それを鑑みて若いニコに頼みたい。ミハイル、その長年の知識を活かして、俺が不在の間、行政官をまとめてもらえるか」

 年齢差のあるふたりが不思議そうな表情で顔を見合わせて、それから「「かしこまりました」」と同時に言った。

「よし。ではニコは準備を。すぐに発つ」

「閣下」よく聞いた声が、鋭く飛んできた。声のした方向を見ると、ナンシーが私を見つめている。「ひとつ御言葉添えしてもよろしいでしょうか」

 場が一気に静まり返る。ナンシーに視線が注がれる。そしてコソコソと、誰かが話しているのが聞こえてきた。「メイド長が何を」「女の立場で」

 ナンシーは無表情を装っている。しかし、その目には強い意思が込められていた。

「なんだ」私は努めてフランクに振る舞った。「言ってみろ」

 一段とざわめきが大きくなる。

「では」ナンシーはコホンとひとつ咳払いをした。再度、場が静まった。「メイド長の立場から申し上げます。閣下のお立場でユビドスへ向かわれるのには、このような護衛の人数や短期間の準備では少し心もとなく感じます。また、混乱が続くユビドスでは、閣下を迎え入れる準備もままなりません」

 ジェラルドほどの立場の人間が動くとなると、それなりの警護、そして準備がいる。迎え入れる相手側も、それなりの対応をする必要がある。

「なるほど」少し考える。閣下の立場で、か。「──それなら、宰相としての立場でなければ、問題ないか?」

 ナンシーが頷く。「それでしたら、問題ないかと」

「よし、ならばただの行政官として行こう」また彼らがざわめき出す。そこに否定的な言葉が漏れ出てこないのを確認して、俺は老人に言った。「ミハイル、名を借りるぞ」

「は、はあ……」ミハイルが訳もわからぬまま頷いた。

「では、各々出発の準備を」


 城の東門には馬が2頭、フォーガスと共に待っていた。

「頼んでいた兵士はどうした?」たったひとりでいる兵士長に尋ねる。

「それが、城下を出たところで待つと言って先に行きまして」少し眉を顰めたが、それから快活に笑った。「少々、扱いずらいところもありますが、腕は随一です!ご心配なく。また旅慣れておりまして、ユビドスまでの道もわかるとのことでした」

「そうか、それは心強いな」私はそう返して、フォーガスから自分の馬の手綱を受け取った。

「閣下、」ナンシーが傍らに来て、ささやく。「この馬は閣下が幼少のころに使われていた馬です。安心して身体を預けていれば、きっと西まで運んでくれるでしょう」そして誰かに見えないよう、小さく微笑む。私は苦笑いをした。そして背後で難なく馬を乗るニコを見る。なるほど、あのように乗ればいいのか。

「ミハイルに、俺の判断が必要な場合はナンシーを経由してまとめて手紙をよこしてくるよう伝えてある」私もナンシーにささやき返した。「ルル王国側に何か大きな動きがあれば、早馬で知らせてくれ。……留守を頼んだ」

「かしこまりました」

 東の山から、朝日が顔を覗かせる。それを合図に、私は馬へ跨がった──何とか、無事に乗ることができた。

「では、行ってくる」

 ジェラルドはニコを伴って、陽の光を背にグレアムズ城を出発した。

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