第14話 ナンシー・ディミティへの頼み事

「私に行政官になれと、そうおっしゃるのですか?」

 相変わらず立ったまま座ろうとしないナンシーに、パン──のようなもの──を頬張りながら頷く。

 ナンシーが持ってきたのは、穀物を水で捏ねて焼いたものと、野菜が入った白いスープだった。質素だな、と言いそうになったが、一国の主人代理だからと言って贅沢していい理由にはならない。それに食べてみると美味しい。

枢密院ノインラートの際も申し上げましたが、女性は公務や政務に参加できないしきたりです。ですから──」

「どこかに書いてあるのか?」「え?」「だから、どこにも書いてないだろう、そんなこと」

 ナンシーは返答に詰まる。そしてやっとの思いで言った。

「し、しかし、慣習というものがあります。それを無視すれば必ず反感を買います」

 確かにそれはそうだ。だが。

「今の俺ではまともな公務ができない。また枢密院ノインラートの時のようなことがあったらどうする?」「それは──」「同じ場に居てもらわなければ、助けてもらうことができない」

「助けるって──」ナンシーが身を乗り出す。ジェラルドはそんなことは言わない、と言いたいのだろう。「それはわかっている。だが、この国を支えるためだ。約束しただろう」

 ナンシーが言葉に詰まる。私がジェラルドとしてこの国を支える。そしてナンシーがそれをサポートする。そう約束したのだ。

 私はパンをもう一欠片ちぎりながら、ナンシーを観察した。顔はうつむき、口元はきつく結んでいる。両腕をきちんと前で交差させながらも、手のひらは強く握り締めている。──もうひと押し。

「それに、ナンシーはこの国を執政をよく知っている。すでに助けてもらっているようにな。その才能をただのメイド長に留め置けば、むしろ俺が無能だと思われる」

 ハッとナンシーが顔を上げ、そして畏まったように下げる。「そんな──勿体無いお言葉です。しかし──やはり行政官は難しいかと。先に申し上げた女性であるという理由だけでも充分ですが、私が行政官になれば──していただいたとしてですが──ジェラルド様の一番近くにいる行政官は私ということになります。そうすれば、今いらっしゃる行政官の方々は、必ず不満を持つでしょう。それは私だけでは収まらず、ジェラルド様へも向くことになります」

「それは諫言か?」ジェラルドは聞いた。

「……はい」ナンシーは、意を決していう。

 諫言は素直に受け止めなければならない。

 ならば、どうするか。

 そう思案するふりをして、私は最後のカードを切った。これで断られたら──それは後で考えよう。

「ナンシーは、今どういう立場だ?」

 急な質問に戸惑いながらも、ナンシーが答える。

「ジェラルド様より、このグレアムズ王城のメイド長を仰せつかっております」

「そうか……それなら、その立場をあまり変えるものでなければどうだ?たとえば〝秘書官〟とか」

「秘書官、ですか?」

 頷く。

「俺の給仕をしながら、俺の公務と政務の雑用を任せる。たとえば書類整理、スケジュール管理、細々した調査、伝令──と言ったものだ。まさに秘書、だな」

 ナンシーは考えて──そしてようやく頷く。

「……それなら、あまり今と変わりません。しかし、それで本来の目的が果たせますか?」

「ああ。秘書官という名目さえあれば、常に傍にいてもらうことが可能になる。それがたとえ公務や政務の場でもな。だが、参加するわけではない。それなら、多少文句を言われてもいなせるだろう」

「それに、行政官の方々とは違った立場であるために、彼らの面目を潰すわけでもない……」

 ナンシーが独言る。それを、心の中でニヤニヤしながら見ていた。

「どうだ?」

 スプーンを置いて腕を組み、ナンシーを見上げる。頬を上気させた、彼女の顔が答えを物語っている。ジェラルドは珍しく口元を緩ませて、言い渡した。

「ナンシー・ディミティ、グレアムズ城のメイド長の任を解き、新たに宰相ノンフォーク公爵ジェラルド・アラン・ハワードの秘書官に任ずる」

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