第13話 勉強は大人になってもしなければいけない。

 屍と化している。

『これが一番緊急性が高いもの、次にこちら、そして次がこちらです』

 3つに分けられた書類の山の、最初のひとつを崩せたのは3時間後だった。それもナンシーの的確な説明があったからだ。

 行政官からの報告書を確認し、調べ、指示を書き、また次の報告書を確認する。あそっか、PCないんだ、なんて今更ながらに気づいた。つまり全部手書き。もちろんネットもない。調べ物は全て本を捲らなければならないし、電話やメールもないので、詳細を知りたいときは手紙を送るか、緊急の場合は早馬を出すことになる。

 ああ、現代技術の素晴らしさよ!失って初めてわかるありがたみ。昔の人って大変だったんだなあ……、なんて心の中で泣く。

 そしてともかく、やってみてわかったことは。

「地名がわからん……」

 そう。そもそも、報告書に載っている地域がどこにあるかがわからないのだ。どんな土地柄で、どんな人たちが住んでいて、どのような生活を送っているのか。どんな特色があって、どういった課題を抱えているのか。どこの地域と交流があって、一方揉めているのか。現地の行政官はどのように治めてきたのか。そして今は?

 ありとあらゆる知識が欠けている。そしてそれは、そのままそっくりオーギュスト王国そのものに置き換えられるのだ。

 頭を抱えた。圧倒的な基礎知識不足。

 その様子を見てか、ナンシーが時計を出して休憩を提案した。

「遅くなりましたが、夕食にいたしましょう」

 窓の外を見ると、月がもう高く登っていた。この世界にも太陽と月と星はあるようだ。お願いして少し休ませてもらうことにする。

「では、こちらの書類を届けた後、夕食の準備をして参ります」

 そう言ってナンシーが出て行った後、ソファーに横になる。天井を見つめて、深いため息をついた。

 今夜ベッドで眠れないのは確定事項だろう。……ジェラルドも毎日こんな生活だったのだろうか。いや、違うか。彼にはそもそも基礎知識以上のものがある。

 枢密院ノインラートの時のように、今後、ジェラルドとして人前で行動し発言することは多くあるだろう。あの時は何とかごまかせたが、今後もうまくいくとは限らない。むしろ、あんなラッキーはもうないと思っておいた方がいい。

 だからこそ、早くジェラルドのようにならなければいけないのに……。

 理解しているだけに、その道のりが途方もなくて、焦りばかりが募っていく。

 居た堪れなくなって、狭いソファーの上で寝返りをうつと、向かいの壁の本棚に目が止まった。調べ物をする際にナンシーが本を取っていた本棚だ。何となく気になって、立ち上がって背表紙を眺める。

 そこには、この国に関するあらゆる本が収められていた。地理に関する書、歴史に関する書、法、経済、民族、宗教、戦争……。代々受け継がれてきたのだろう、ひとつ手にとってパラパラと捲ると、何度も読み込まれた跡が見てとれる。しかし最後のページに行き着いた時、私は誰もいない部屋で驚きの声をあげた。

「違う」

 日付が新しい。

 私は行政官からの報告書を一枚とった。報告書に書かれた日付と、本の最後に押された蔵書印の日付を見比べる。数年程度しか、変わらない。

 つまりこれは全て、ジェラルドが読み込んだ跡なのだ。

 私は宰相の執務室に駆け込んだ。いろんな本を手に取っては日付を見る。どれもこれも最近だ。

『──今はジェラルド様の勉強部屋と化しておりますが……』

『人に邪魔されたくない時や、何か調べ物や勉強をなさる際は、こちらにこもっていらっしゃいました』

「──勉強しなきゃ」

 わかっていなかったわけではない。けれど、思い知らされる。

 ここにある本を全て読んでいるように、執務室の隣にもうひとつ勉強用の部屋があるように、彼はとてつもない勉強家だ。若くして一国を任されるだけの才能の正体は、努力に裏付けされた実力。

 だから、私も勉強しなければいけない。

 だが、わかったところで、現実の差が縮まるわけではない。国政のトップであるジェラルドと、一介の地方公務員でしかない自分。やらなければいけないことは目の前にあるのに、今すぐジェラルドにはなれない。ならばどうすれば──?

 ガチャリと、扉が開く音がする。ナンシーが食事を手にして帰ってきた。

「ジェラルド様──?あら、そちらにいらっしゃったのですね」

 そう、私は一人じゃない。

「ナンシー、」

「……?いかがされました?」

「頼みがある」

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