第5話 視線と女神

 枢密院ノインラートとは、この国──オーギュスト王国の国王直轄の組織で、法案・政策案・予算案を含めこの国のあらゆる事柄を議論し王に諮問する機関である。構成員は長であるジェラルドを含め7名。

「つまり──国政を諮る重要な会議、ということか?」

「その通りでございます」

 部屋を出る直前、ナンシーが簡単に説明してくれた。

 ……気が重い。

「ジェラルド様がうまくコントロールしているとはいえ、今や枢密院ノインラートが一番の権力を持つと言えるでしょう。くれぐれも6名の方にはお気をつけくださいませ。とにかく、現時点での最善策は余計なことを言わず決断を避けること。これに尽きます」

 私は大きく頷いた。

 ナンシーのヘッドキャップを眼前に回廊を進む。階段を降りて、渡り廊下を過ぎ、また階段を登る。

 ──見られている。

 ジェラルドの私室を出た瞬間、神経がピリと震えた。私の──ジェラルドの身体が意識せずとも自然に緊張したのだ。

 常に人の視線を引き付ける。

 ゾッとした。自室から一歩出るだけで、あらゆる視線に晒され続ける。それは敬愛の眼差しであったり、畏敬の念がこもったものであったり、あるいは──憎悪が混じる視線であったりするのだ。

 ──こんなものを、一日中浴びて生活しているのか。

 視線の元を思わず探りたくなる。キョロキョロとあたりを見回して、誰が私を見ているのか確認したくなる。

「閣下、こちらです」

 ナンシーが呼んでくれなかったら、間違いなくそうしていただろう。

「ああ」

 低く短く返事をして、一歩ずつ踏み出す。ナンシーが着せてくれたマントがはためき、左腰に帯刀した剣が揺れる。視線はやや低めで彷徨わせず、だが視野は広く持つこと。歩き方は泰然とし威厳を持って。

 これもナンシーが出る前に教えてくれた。もし意識しなくてはいけないのならば、呼吸を忘れただろう。ナンシーの助言に従い、ジェラルドの身体に任せると少し楽になった。

「ああ!閣下、お待ちしておりました」

 快活な声が真上から降ってきた。顔を上げると、階段を登った先の厳かな観音開きの扉の前で、丸坊主の痩せた男が立っていた。扉の両脇に立つ兵士と同じ格好をしているところから察するに、この人がさっき話していた──

「フォーガス兵士長」

 ナンシーが率先して声をかける。私に教えてくれているのだ。

「閣下をお連れいたしました」

「どうもありがとうございます、ナンシー様」

 ぺこりと頭を下げると、私に向き直る。

「皆様、すでにお揃いです」

 そうして扉を開けるよう、傍の兵士に指示をする。

「それでは閣下、私はこちらで」

 ナンシーは深くお辞儀をした。

『私は、枢密院ノインラートには立ち会えません』部屋での説明の際、平坦な声で最後にそういった。『女が政治に関わることは、禁じられておりますので。ただ、閣下の給仕係として隣室にて待機しておりますゆえ、何かあればお呼びください』

 そういう世界。わかってはいるが、同姓として歯がゆい思いが胸に燻る。

 私はナンシーに大きく頷くと、フォーガス兵士長の後に続いて、開かれた扉の中に入った。


 あの質素なジェラルドの私室と比較すると、城中の大抵の部屋は同じ表現になってしまいそうだが、枢密院ノインラートが開かれるこの場所は、一層煌びやかで厳かな造りだった。300平米はあるかと思われる部屋は三方を石壁に囲まれ、高い天井からは豪奢なシャンデリアがぶら下がっている。そして何よりも目を引くのは、真正面にある青や緑、赤や黄といったさまざまな色に装飾された大きなステンドグラスに描かれている女神の姿だった。半裸の彼女は目を伏せて従順に俯き、右手に杯、左手に鏡を持って佇んでいた。

 その広い部屋の中央に、大きな丸いテーブルが置かれていた。私が部屋に踏み込むと、そこに座る12個の眼が一斉に注がれる。

 私は気づかれないように、喉の奥で唾を飲み込んだ。

「失礼致します、ノンフォーク公爵閣下がお着きになられました」

 手前で一言挨拶を述べてから、フォーガス兵士長が先導する。

 私は無表情を心がけてその後に続き、フォーガスが引いた椅子に腰掛けた。女神を背負う形となる。

「閣下、客人ですかな」

 左手に座る、大きな体に立派な顎髭をした男が、ジェラルドに声をかける。遅刻の原因はそれでいいとナンシーから告げられていた。ああ、と短く肯定すると、男は豪快に笑う。

「相変わらず、閣下はお忙しい方ですな!」

「それでは、閣下の時間を無駄にしないよう、早速始めるとしましょうかねぇ」

 今度は右手に座る老紳士が、柔らかな口調で告げる。

「これより、第127回、枢密院ノインラートを開始します」

 扉の前に控える二人の書記官が、それを合図にペンをとった。

 ──始まる。

 私は迫り上がって来る腹の底をぐっと押し戻した。

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