第4話 ジェラルドという男

 私が身体を間借りしているこの男の名を、正式には、ノンフォーク公爵ジェラルド=アラン=ハワードというらしい。──自分の名前を覚えるのにさえ苦労しそうだ。

「ジェラルド様に扮するのは、あまり難しくないと思います」

 新しく淹れた紅茶──ベルガンという品種らしい──を用意したナンシーは、私の前にそれを置いた。椅子を勧めたが断られ、立ったまま説明を始める。

「ジェラルド様は──御無礼をお許しいただいて申し上げれば、無愛想で、そっけなくて、無口で、何を考えていらっしゃるか全くわからない、そんなお方です」

 さっきまでの忠誠心はどこへやら、ひどい言われようだ。

「口癖と言えば、ああ、わかった、そうか、ふん……その辺りですので、あまり余計なことを言わなければ問題ありません。まあ、そもそも人付き合いがあまり宜しくなく──お立場を考えれば威厳があって良いのかもしれませんが、友人や私のように傍で付き従う者も極端に少ないので、プライベートで話しかけて来る者はほとんどいないでしょう」

 孤独で寡黙な公爵閣下。思っていた異世界転生とはもう随分かけ離れてしまった。どちらかというと、伯爵令嬢に転生した主人公を溺愛する相手役にいそうな人間だ。

「では、実践してみてくださいませ」

「え?」

 急にナンシーに言われ慌てる。

「何を驚いていらっしゃるのです。いいですか、今後一切、私と話す時でさえも、ジェラルド様として振る舞っていただかなければいけません。どこで誰が聞き耳を立てているか分かりませんからね。特にこの王城では」

 私は咳払いをひとつして、姿勢を整えた。夢で見たジェラルドの姿を思い浮かべる。眉間に刻まれた皺、漆黒の髪に短く切り揃えた前髪から覗く、鋭く冷たい目。口元はきつく引き結ばれている。腕と足を組み座る姿は、どこにも隙がなかった。一瞬だけしか見ていないが、強く印象に残っている。彼と会った人間は、たとえ初めてだろうともすぐに彼と認識し、おそらく生涯、彼の姿を忘れることはないだろう。──不思議な人だ。

「──こうか?」

 にっこりしてナンシーが応える。

「ええ、まさにジェラルド様です。身体が覚えてらっしゃるようですね。ただ、」

 ナンシーが私の背と肩に手を置き、思いっきり反らした。

「っ……!」

「少しお背中が曲がっております、ジェラルド様。そのような姿では、臣下の方々に示しがつきません」

「ナンシーさ」

「ナンシーとお呼びください」

「は……」言いかけたところで、ナンシーに睨まれる。「わかった。ナンシー、」

「はい、ジェラルド様」元の笑顔に戻って彼女が応える。

「一人称は、俺であっているか?」

「はい、ですが、公務・政務の際はわたし、です」

 頷く。確かに、堂々として、かつぶっきらぼうに応えていれば、何とか過ごせそうだ。問題は……。

「問題は、その公務・政務です」

 一気に背筋が伸びる。心臓がドクドクと鳴る。ここからが本番だ──。

 その時、表の部屋の扉がドンドンとノックされた。ひどく荒々しい、まるで急いでいるかのようなノックの仕方だ。

 私が目を覚まし、ナンシーと話しているこの部屋はジェラルドの私室だった。部屋はふたつ続きになっており、私たちがいるこの奥の部屋が書斎兼寝室、表側は奥の部屋と比べれば奢侈なソファーやローテーブルが設てあり、簡易な応接間として使用できるようになっている。その表の間の扉が叩かれたのだ。

 ハッとしたナンシーがエプロンのポケットから時計を出し、顔をこわばらせた。

「もうこんな時間──私としたことが、時間を気にしておりませんでした」

 そして、申し訳ございません、と私に深々と頭を下げる。やめてください、と声が出そうになるが、直前でぐっと堪え代わりに質問する。

「何事だ?」

「──おそらく、ジェラルド様を呼びに来たのでしょう。私が人払いをして兵を退がらせておいたので、取り継ぎができず慌てた輩が不躾にも扉を乱暴に叩いたのです。ひとまず要件を聞いて参りますので、こちらでお待ちください」

 そう言い残して表の部屋へ消える。程なくして、ナンシーの声が聞こえた。ジェラルドと話すときとは違う、冷たい声だ。

「何事です?閣下の私室とわかってのことでしょうね」

 ノックした人間はひどく恐縮しているらしかった、ボソボソと話す声はこちらまで届かない。

「取り継ぎを介さずあのようにノックするとは、不躾にも程がありますよ、リルラ」

「申し訳ございません……」可愛らしい声が微かに聞こえた。どうやら若い女性のようだが、叱責されて今にも泣き出しそうだ。「フォーガス兵士長様から至急とのご命令だったので」

「フォーガス兵士長はどこに?」

「執務室に向かわれました。私はこちらへ……フォーガス様から閣下へ『枢密院ノインラートが始まりますので、ご出席を』とご伝言を承っております」

「……わかりました、お伝えします。フォーガス兵士長へは、直ぐに向かわれるとお伝えできますか?」

「……はいっ!」

 パタパタと足音が聞こえ、リルラと呼ばれた女性が去っていく。しばらくしてナンシーが戻ってきた。難しい顔をしている。

 ……何だか嫌な予感がする。

「時間がありません。ジェラルド様には直ぐに、枢密院ノインラートへ向かっていただかなければなりません」

 ナンシーは冷酷にも、私にそう告げた。

 まだ何も国政について教えられてないのですが……?

 心の中の不満を目で訴えてみるが、軽く肩をすくめられた。そして「さあ、」と促される。

 渋々、カップの残りを飲み干して立ち上がった。

「欠席はできないのか?」

 念のため聞いてみる。前を行くナンシーが振り返らず答える。

「残念ながら、ジェラルド様は公務を蔑ろにするお方ではありません」

 ため息が出かかった。……ノー知識で何とかなるとは思えないのだが。

「お気持ちはわかりますが、ここを出れば、ご自身の力で立っていただくしかありません」

 表の部屋の、奥の間より豪奢な扉の前で、ナンシーは私を振り返った。

「覚悟は、よろしいですか?」

 首を縦に振る以外の選択肢は、もう、残されていない。

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